162話 異常な需要、常識外の古代魔法②
――翌日。
王都郊外の平原。
風は穏やかで、遠くには王都の城壁が霞んで見える。
その一角に、明らかに“異質な集団”が集まっていた。
いつもの護衛騎士たちが周囲を固め、即応できる距離を保つ。
その中心にはリュシア。
そして王立魔法研究所から派遣された研究員ーー
さらにその少し外側、まるで当然のように景色に溶け込む形で。
ミストルティン様が立っていた。
「なぜミストルティン様がいるんですか……」
リュシアの第一声は、それだった。
ミストルティン様は、何事もなかったかのように微笑む。
「だって陛下から来てくれって言われたんだもん」
「その“来てくれ”の軽さで世界の安全度変えないでください」
即答だった。
リュシアの視線が、護衛隊へ、研究班へ、そして空間の“異物”へと順番に向く。
そして静かに呟いた。
「護衛対象が増える……」
その声は、もはや諦めに近かった。
所員が小さく手を挙げる。
「禁忌指定の古代魔法が観測できると言われて来たんですが……本当に発動できるんですか?」
一拍。
その問いは、研究者としては当然のものだった。
だが、この場では少しだけ“遅い”。
リュシアが即座に視線だけでエレノアを指す。
「その人に聞いてください」
「私ですか」
「あなたです」
即答だった。
私は、手元の術式を何度も確認しながら答える。
「発動はできます」
所員の目がわずかに輝く。
「では――やはり禁書級の理論を完全再現して……」
「再現ではありません」
その言葉で空気が一瞬止まる。
エレノアは続けた。
「構文が間違っていたので修正しただけです」
「……はい?」
所員の声が裏返る。
リュシアが小さく頭を抱えた。
「その説明やめてください……理解が追いつかないので……」
ミストルティン様は楽しそうに笑っている。
「いいわね、その“軽い訂正”で世界が動くの」
「動かさないでください」
リュシアの即答は鋭い。
ミストルティン様はくすりと笑いながら肩をすくめた。
「あと改良してあるので消費魔力量をかなり抑えています」
エレノアが何気なく付け足す。
「な……なるほど」
所員が乾いた声を漏らした。
リュシアは一瞬だけ目を閉じて、ゆっくりと息を吐く。
「……今、“かなり抑えています”って言いましたよね」
「はい」
即答。
「どれくらいですか」
「元の三分の一くらいです」
「禁書級の三分の一って何ですか」
間髪入れずのツッコミだった。
所員がそっと資料をめくる。
「理論上、禁書級魔法は国家戦略兵器級の魔力消費ですので……その三分の一ということは……」
途中で言葉が止まる。
計算するまでもない、という顔だった。
「……まだ普通に危険域ですね」
「安全圏には寄せています」
私は淡々と返す。
「寄せないでください!」
リュシアの即答はもはや条件反射だった。
ミストルティン様は楽しそうに空を見上げる。
「いいじゃない。力を“削る”って発想自体が面白いわ」
「面白がらないでください」
リュシアの声は少しだけ疲れている。
その時――
「すまない! 会議が長引いてしまった。」
陛下たち上層部が、到着した。
「じゃあ始めますね」
そう短く告げ、エレノアは術式を起動する。
「《大連鎖大瀑布》――展開!」
瞬間。
空間が“ひとつ上書き”されるような感覚が走った。
次の瞬間――
空から水が降った。
それは雨という規模ではない。
“落下”というより、“解放”。
天井を外された世界から、膨大な水量が一気に解き放たれていく。
「……っ!」
リュシアが即座に防御術式を展開する。
護衛騎士たちも反射的に防御陣を張る。
だが、誰もが一瞬遅れて理解する。
これは攻撃ではない。
そして――自然現象でもない。
天災を人為的に起こす禁忌の魔法だとーー
書院が震えた声を漏らす。
「……水の“生成量”がおかしい……!」
魔道師団長の顔が引きつる。
「これは魔法というより……現象規模だぞ……!」
降り注いだ水は地表に到達した瞬間、ただの水ではなくなる。
衝撃を吸収するように広がり、しかし暴れない。
それでも量が量だ。
瞬く間に平原は白い飛沫と轟音に包まれ、地形が変わり始める。
「ちょ、ちょっと待ってくださいエレノア様!?」
リュシアが叫ぶ。
「抑えてます!」
即答だった。
「どこをどう抑えてるんですか今の!!」
ミストルティン様は、濡れることすら気にせず微笑んでいる。
「いいわね、世界の水量調整」
「そんな言い方しないでください!」
陛下は無言でその光景を見ていたが、やがて静かに口を開く。
「……これが“古代魔法”か」
お父様が乾いた声で続ける。
「いや……古代魔法というより……災害の設計図ですね……」
「褒めてませんよそれ」
リュシアが即座に突っ込む。
さらに水は勢いを増す。
しかし、不思議なことに“広がり方”だけは制御されている。
特定の範囲からは一歩も外れない。
まるで見えない器の中でだけ暴れているようだった。
そんな中、一人の所員が気づいた。
「こ……これは空間拘束術式!?」
「エレノア様! 並列起動しているんですか!?」
リュシアが驚きの声を上げる。
視線が一斉にエレノアへ向く。
エレノアは淡々と紙から目を上げずに答えた。
「消費魔力と威力と規模を抑えてもこのくらいの規模になるのは目に見えていたので、予め発動しといたんです」
一拍。
沈黙。
所員がゆっくりと頭を抱える。
「“予め発動しといた”の軽さじゃない……!」
魔道師団長が低く呻く。
「古代魔法の前提条件を“事前処理”で済ませるな……」
お父様は、もはや諦めた声で呟いた。
「慣れてきた自分が一番怖いな……本当に」
リュシアは額に手を当てる。
「事前に対策してるのは偉いんですけど、対策の規模が戦争規模なんですよ」
ミストルティン様は楽しそうに目を細める。
「準備がいい子は嫌いじゃないわよ」
「そこ褒めるところじゃないです」
即答だった。
陛下は静かに空間を見渡す。
見えない壁の内側で制御された水流がうねり、しかし外へは一滴も漏れていない。
まるで世界そのものが“枠”に収まっているようだった。
「……これが拘束術式の本来の用途か?」
所員が即座に首を振る。
「違います! 本来はもっと小規模で対人防御用です!」
「ですよね」
リュシアが即答する。
そして小さく息を吐いた。
「なんで“洪水用に最適化”されてるんですか……」
エレノアは少しだけ考えてから答える。
「必要だったので」
「何にですか!?」
「安全確保に」
「その安全の定義が広すぎます!!」
再び水が大きくうねる。
しかし、やはり外には出ない。
完全に制御された“災害”だった。
所員が呟く。
「……これ、記録に残したら未来の魔術体系壊れませんか?」
魔道師団長が遠い目で返す。
「もう壊れている」
お父様が静かに続ける。
「修復ではなく、再定義案件だなこれは」
ミストルティン様は微笑んだまま一言。
「いいじゃない、世界の更新」
リュシアは即座に反応した。
「更新ボタン軽く押さないでください!!」
「......記録終わりました」
書院の声と共に魔法を解除する。
「じゃあもうひとつの魔法を発動しますね」
そう言い古代回復系魔法を発動する準備をする。
「常世の残響ーー展開!」
発動した瞬間空中に浮かぶ遺物ーー魔力観測用の魔道具が粉々に砕けた。
「エレノア様!?」
リュシアが驚きを通り越して何が起こったかわからないというう顔をしているーー
「失敗か!?」
「恐らくは......」
お父様が静かに答える
だが......
「いえ......成功しています」
一人の所員が観測結果を陛下へ見せる。
それを見た陛下はーー
「な!?」
驚きの声と共に崩れ落ちる。
その様子に魔道師団長とお父様は、観測データに目を通した。
「「......」」
二人は陛下の驚きを嫌という程理解してしまった。
「つまりこれは、古代回復魔法ではありますが、同時に相手に攻撃する魔法です」
空気が、一段階だけ“重く”なった。
リュシアがゆっくりと目を瞬かせる。
「……はい?」
所員が観測結果を握ったまま、震える声で続ける。
「回復反応そのものは正常です。間違いなく“回復系古代魔法”です」
一拍。
「ですが――」
言葉がそこで途切れる。
魔道師団長が資料を受け取り、目を走らせた瞬間。
「禁忌指定たる所以がよくわかる魔法だ......」
「......はい?」
リュシアが即座に聞き返す。
「回復魔法ですよね!?
回復魔法が同時に攻撃する魔法ってこの世に存在するんですか!?」
その問いにミストルティン様はーー
「あるわよ」
一拍。
「正確には、神聖魔法にこれとは全く違う攻撃方法だしもっと悲惨なことになるけど形態自体はあっているわ」
「てことは神聖魔法と同等の魔法が古代には作られていたってことですよね......」
リュシアが恐る恐る聞く。
「そうね」
ただそれだけ答える。
そしてーー
「もっと詳しく言うならこの魔法はね、味方陣営には回復という恩恵を受けることができる
けど相手陣営にはその回復過程と同時に相手に無数の針で刺されているかのような耐え難い激痛に襲われる」
一拍。
「そんな魔法よ」
リュシアの顔から、さっきまでの「理解不能だけどギリギリ受け止めている表情」がゆっくりと剥がれ落ちていく。
「……それ、回復魔法の分類でいいんですか?」
声が少しだけ裏返っていた。
魔道師団長が、観測記録から目を離さないまま呟く。
「分類上は“回復系”だ。術式の核は確かに治癒構造になっている」
一拍。
「だが副作用ではなく、“同時並列処理で攻撃効果が乗っている”」
「副作用じゃないんですか!?」
リュシアの声が跳ねる。
所員が乾いた声で補足した。
「むしろ攻撃の方が“意図的に重ねられている”形跡があります……治癒処理と同じ階層で……」
「同じ階層って何ですか……?」
もはや質問というより、祈りに近かった。
陛下が額を押さえたまま、静かに言う。
「つまり、敵味方の判定を“回復対象”と“非回復対象”で分けているのではなく」
一拍。
「“回復を流した結果として苦痛を発生させる構造”ということか」
魔道師団長が重く頷いた。
「恐らくそうなります」
空気がさらに沈む。
リュシアがゆっくりとエレノアを見る。
「それ……古代の人たち、何考えてたんですか……?」
ミストルティン様が、紅茶でも飲んでいるかのようにさらりと言った。
「戦意を折るためよ」
「軽く言わないでくださいその内容を」
即答だった。
ミストルティン様は続ける。
「当時はね、“殺すより戦えなくする方が効率的”って思想があったの。だから回復を利用して神経系を崩す方向に寄せた」
リュシアが一歩後ろに下がる。
「思想がもう怖いんですけど……」
所員が小さく手を上げる。
「理屈としては理解できます……理解できますが……」
言葉が続かない。
魔道師団長が資料を閉じる。
「禁書指定の理由はこれだな。回復魔法の皮を被った精神・神経干渉攻撃……」
お父様が静かに呟いた。
「……敵に使われたら崩壊するな」
陛下も短く息を吐く。
「逆に言えば、味方に使えば士気と治癒を同時に最大化できる」
一拍。
「だから禁書になったわけだな」
リュシアが即座に反応する。
「“だから”で納得できる案件じゃないです!!」
ミストルティン様は少しだけ目を細めた。
「でも、よくできているわよね」
「評価しないでください!!」
即答だった。
その横で、私は淡々と手元の術式を確認していた。
「干渉部分を少し緩和すれば、非殺傷運用はできますね」
その一言で、全員の動きが止まる。
リュシアがゆっくりと振り向く。
「今、“緩和すれば”って言いました?」
「はい」
即答。
魔道師団長が天を仰ぐ。
「また始まった……」
お父様が静かに目を閉じる。
「もう驚くのに体力を使いたくないな……」
リュシアは深く息を吸ってから、はっきりと言った。
「その“改造前提”の会話、やめてもらえますか……世界の基準が壊れますので……」
ミストルティン様だけが、楽しそうに微笑んでいた。
そんな中陛下は静かに呟く。
「唯一の救いがあるとすれば、二つの魔法ともエレノア嬢と同じレベルの高位術者或いは古代魔法理論に理解があるものではなければ扱えないということだな」
その言葉に、場の空気がわずかにだけ緩む。
リュシアが肩の力を抜いたのが分かった。
「……それは、確かに救いですね」
所員も小さく頷く。
「理論構造があまりに複雑すぎて、通常の魔術師では解析段階で詰まりますからね……」
「そもそも古代魔法特有の詠唱を完全省略という体系の時点で大発見レベルですが、術式の再構成は誰も考えに至らない境地です」
一拍。
「部分的に出あれば魔法研究誌にて公表できるかと」
その言葉に、魔道師団長が即座に眉をひそめた。
「公表だと?」
所員は慌てて首を振る。
「いえ、もちろん全部ではありません! あくまで理論の一部です!」
「一部でも危険だろう」
お父様が静かに釘を刺す。
「特にこの魔法体系は、“再構成”という発想そのものが異常だ。一般化すれば模倣者が出る」
リュシアが小さくうなずく。
「そもそも、詠唱省略ってだけでも普通は研究者が一生かけるテーマですよね……」
所員は少し興奮気味に続けた。
「そうなんです! 通常、詠唱というのは魔力制御の補助と術式安定のために存在していて、それを完全に省略するには――」
そこで言葉が途切れる。
自分で気づいたらしい。
「……前提として、術式そのものが“完成されすぎている”必要があります」
一拍。
魔道師団長が低く呟く。
「つまり、詠唱が不要なのではなく、“詠唱が入る余地がない”構造ということか」
「はい……その通りです」
リュシアが額に手を当てる。
「それ、もう魔法じゃなくて数学とか設計図の領域じゃないですか……?」
ミストルティン様が楽しそうに微笑む。
「昔はそうだったのかもしれないわね」
その一言に、場の空気が一瞬止まる。
陛下が静かに目を開いた。
「……“昔は”?」
ミストルティン様は肩をすくめるだけだった。
「古代魔法って、今の魔法と同じものだと思わないほうがいいわよ」
その言葉は軽いのに、妙に重かった。
所員がごくりと唾を飲む。
「……では、この体系はやはり“失われた技術”の復元に近いのでは?」
魔道師団長が資料を閉じる。
「いや、“復元”というより……」
一拍。
「“別物の再発見”だな」
その評価に、誰も反論できなかった。
リュシアは小さく息を吐く。
「……魔法研究誌に載せる話じゃないですね、これ」
「載せるとしたら歴史欄だな」
お父様の乾いた返しに、誰も笑えなかった。
そしてその場でただ一人、いつも通りの声が落ちる。
「一応、必要なら整理して渡せますよ」
エレノアだった。
「やめてくださいその“業務連絡みたいな軽さ”で禁書体系出すの」
リュシアの即答だけが、いつも通り響いた。




