146話 警戒体制、悲鳴を上げる現場
屋敷内からの商品供給が三日間続いたが、遂に各所から不満が続出し、限界を迎えていた。
「無理です」
開口一番。
メルが机へ突っ伏した。
「もう無理ですほんとに限界ですぅぅぅぅ!!」
半泣きだった。
その目の前には、大量の帳簿。
搬出記録。
転移門使用記録。
供給遅延報告。
そして――厨房から届いた追加生産依頼。
「焼いても焼いても消えるんですけど!?」
「供給した瞬間在庫ゼロになるんですけど!?」
「なんでパンだけ戦場みたいになってるんですかぁ!?」
叫び声が部屋へ響く。
その横では、パルシアが静かに紅茶を飲んでいた。
「人気なのですね」
「その段階はもう三日前に通り過ぎましたぁ!!」
メルが涙目で机を叩く。
「配送工程増えすぎなんです!」
「アトリエ→確認→搬出→転移門→受領確認→店舗側確認って、パン冷めますぅ!!」
「しかも毎回護衛さんが真顔で確認するんですよ!?」
『数量一致確認完了』って!!」
「パンですぅぅぅ!!」
もはや悲鳴だった。
一方。
別室。
「ポーション側も限界です」
エリシアが淡々と報告する。
その表情はいつも通りだ。
だが机上の資料だけがいつも通りではない。
「現在、供給効率が通常時の六十二%まで低下」
「品質維持は達成していますが、輸送待機時間が長すぎます」
「加えて、確認工程増加により作業人員の拘束時間が増加しています」
一拍。
「簡潔に申し上げますと、非効率です」
即断だった。
アランが小さく眉間を押さえる。
「……やはりそこまで落ちたか」
「はい」
ミィナも資料へ視線を落とした。
「現状、警備上は安定しています」
「ですが、その代償として物流そのものが詰まり始めています」
一拍。
「特にパン」
「なんで毎回パンが最優先被害枠なんだ……」
ルーカスが疲れた顔で呟く。
アメリアも苦笑した。
「というか、三日よく持った方じゃない?」
「護衛隊側も限界です」
今度は別の隊員だった。
「現在、搬出確認のため本来警戒任務へ回す人員まで物流側へ投入されています」
「完全に人手不足です」
静かな沈黙。
つまり。
守るために始めた運用が、今度は守る側を圧迫し始めている。
「ですが、安全性を優先した結果です」
ミィナが冷静に補足する。
「現時点で実害は確認されていません」
「護衛対象への接触もゼロを維持しています」
「その代わりに、物流が死にかけてるんだが?」
別の隊員が真顔で言った。
誰も否定しない。
むしろ数人が静かに目を逸らした。
会議室の机には、大量の報告書が積まれている。
供給遅延。
搬出待機。
転移門使用待ち。
護衛人員不足。
店舗側からの悲鳴。
そして――
「パン部門が限界です」
一人の隊員が、完全に疲れ切った顔で告げた。
「本日午前だけでメル様が四回叫びました」
「記録更新ですね」
「更新してる場合か」
即座にツッコミが飛ぶ。
さらに別の資料が机へ置かれる。
「アトリエ側も処理速度が低下しています」
「搬出確認工程が増えたことで、調合済み商品の滞留が発生」
「護衛配置との導線競合も起きています」
一拍。
「現状、“安全に詰まっている”状態です」
その表現に、会議室の空気が妙に静かになった。
誰も反論できない。
全部事実だからだ。
アランは額を押さえる。
「……エレノア様は?」
「まだ気づいていません」
「正確には、“なんとなく効率悪いな”程度で止まっています」
ミィナが即答する。
「ただ、このまま続けば流石に気づかれます」
「メル様の悲鳴が隠し切れません」
「そこか……」
アランが遠い目をした。
三日。
たった三日。
だが、常時護衛強化状態のまま物流まで屋敷内へ集約した結果、現場負荷が限界へ到達していた。
人員は足りない。
導線は増える。
確認工程は膨れ上がる。
しかも問題なのは――
「護衛対象本人が普通に仕事量を増やしているんですよね……」
隊員の一言に、全員が黙った。
そう。
エレノアは何も知らない。
知らないまま、“供給落ちてるなら増産しよう”で動いている。
結果。
現場だけがさらに死にかけていた。
「……やむを得ない」
アランが静かに口を開く。
「運用を変更する」
静かな沈黙。
だが、その一言が落ちた瞬間――空気が変わった。
数人の隊員が、目に見えて安堵した。
「本邸側への集約を解除」
アランは淡々と続ける。
「アトリエでの商品供給を復活させる」
「ただし」
アランが、そこで言葉を切った。
安堵しかけていた空気が、再び引き締まる。
「完全に元へ戻すわけではない」
一拍。
「店舗側運用は、“制限付き再開”だ」
ミィナが机上の資料を開く。
「商品製造は従来通りアトリエ内で実施」
「ただし、接客及び店舗管理は護衛側主導へ移行します」
隊員の一人が確認する。
「具体的には?」
ミィナは淡々と答えた。
「入店制限方式です」
一拍。
「一定人数ごとのグループ管理を行います」
「店内人数を常時固定」
「全グループ退出後、護衛隊による確認を実施」
資料へ次々と項目が追加されていく。
「不審物確認」
「残留魔力反応確認」
「死角確認」
「アトリエ側人員の安全確認」
「その後、次グループを入店」
静かな沈黙。
つまり。
店そのものを半分“管理区域”として扱う。
隊員の一人が苦笑する。
「店なのか検問所なのか分からなくなってきましたね……」
「実際、両方です」
ミィナが真顔で返した。
「現時点では、“不特定多数を自由に流す”方が危険です」
アランも小さく頷く。
「エレノア様は通常業務を継続」
「アトリエ作業優先」
「不特定接触は可能な限り減らす」
「表側の対応は護衛隊と店舗スタッフで処理する」
一拍。
「少なくとも、“全員フリーパス状態”よりは遥かに管理しやすい」
誰も異論を挟まなかった。
実際、それが最も現実的だった。
物流は戻る。
効率も改善する。
それでいて警戒レベルは維持できる。
完全封鎖より遥かに回る。
そして――何より。
「これでメル様が死なずに済みます」
その一言に、全員が深く頷いた。
もはやそこが最重要項目になりつつあった。
その頃、アトリエ側では。
「……入店制限?」
私は説明書類を見ながら目を瞬かせる。
「はい」
エリシアが頷く。
「一定人数ごとの案内へ変更されます」
「テーマパークみたいね」
思わずそう呟く。
普通のアトリエのはずなのに、説明を聞く限りでは完全に大型施設の入場管理だった。
「次のご案内までこちらでお待ちください、とか言いそう」
私が苦笑混じりに言うと、エリシアが小さく首を傾げた。
「……テーマパーク、ですか?」
「え?」
「申し訳ありません。その単語は初めて聞きました」
一拍。
「どういった施設なのでしょうか」
私はそこで言葉に詰まる。
説明しようとして、やめた。
いや、無理だ。
この世界に存在しない概念をどう説明すればいいのか分からない。
「えーっと……」
私は少し考えてから、曖昧に答える。
「すごく人が集まる娯楽施設、みたいな?」
「娯楽施設……」
エリシアは真面目な顔で復唱する。
「つまり現在の店舗は、人を並ばせながら順番に案内する娯楽施設運営に近いと」
「いや、そういうわけじゃ――」
「整理券制度」
「入場制限」
「導線管理」
「滞留時間調整」
「……確かに近いですね」
「理解が早い……」
変な方向に。
私は思わず遠い目になる。
その時だった。
遠くの店舗側から声が響く。
「第一グループ退出確認!」
「店内異常なし!」
「第二グループご案内します!」
さらに続く。
「列整理お願いしまーす!」
「最後尾こちらです!」
「パン搬入急げぇぇぇ!!」
完全にそれだった。
私は数秒沈黙したあと、小さく呟く。
「……やっぱりテーマパークじゃない?」
「なるほど」
エリシアは真顔で頷いた。
「現在のアトリエは、テーマパーク運営状態ということですね」
「違うのよ……たぶん……」
だが。
否定しきれないのが問題だった。
遠くから聞こえてくる案内声。
一定間隔で流れる入店誘導。
搬入と補充の怒号。
そして何より――
「本日の待機時間はどのくらいですか!?」
「現在約四十分待ちです!」
「パン追加入りまーす!!」
完全に普通のアトリエではなかった。
私は静かに紅茶を置く。
「……錬金術士って、こんなだったかしら」
「少なくとも一般的ではありません」
エリシアは即答した。
「ですよね……」
少し安心した。
私の感覚がおかしくなったわけではないらしい。
その時。
アトリエ側の扉が勢いよく開いた。
「エレノア様ぁぁぁ!!」
飛び込んできたのはメルだった。
小麦粉がついている。
完全に修羅場帰りだった。
「パンが! パンが追いつきません!!」
「また?」
「またですぅぅぅ!!」
メルは半泣きだった。
「入店制限したのに何で増えるんですかぁ!!?」
「知らないわよ!?」
むしろ私が聞きたい。
エリシアが冷静に資料を確認する。
「待機列による希少性演出の可能性があります」
「演出してない!!」
私とメルの声が綺麗に重なった。
一方その頃、店舗側では。
「次グループご案内しまーす!」
「走らないでくださーい!」
「最後尾こちらです!」
「限定パン残り二十です!!」
もはや完全にイベント会場だった。
護衛隊員の一人が疲れた顔で呟く。
「……これ、本当に警備任務ですよね?」
「多分」
誰も断言できなかった。
夕方。
ようやく最後の入店グループが退出し、アトリエ全体に一息ついた空気が流れ始めていた。
「本日の営業終了しまーす!」
護衛隊員の声が入口側へ響く。
その瞬間、あちこちから疲れ切ったため息が漏れた。
店員側も。
護衛側も。
そして職人側も。
全員が限界だった。
私はカップを置き、小さく伸びをする。
「……すごかったわね」
「はい」
エリシアは即答した。
「本日の来客数ですが、過去最高を更新しています」
「なんで?」
「入店制限による話題性と希少性が――」
「もういいわその分析……」
聞けば聞くほどテーマパーク化が進む。
その時。
厨房側から、ふらりとメルが出てきた。
完全に魂が抜けている。
「おかえりなさい……?」
「ただいまですぅ……」
声に力がない。
メルはそのまま椅子へ座ると、机に突っ伏した。
「今日だけで何個焼いたと思います……?」
「……何個?」
「途中から数えるのやめました……」
重症だった。
さらに奥では、護衛隊員達が真顔で報告し合っている。
「搬入口警備終了」
「店舗内異常なし」
「最終確認入ります」
内容だけ聞けば完全に要塞管理だった。
私はその光景を見ながら、小さく苦笑する。
「ねえエリシア」
「はい」
「これ、本当に錬金術士のアトリエ?」
一拍。
エリシアは真顔で周囲を見回した。
疲弊した護衛。
空になったパン棚。
整理券回収箱。
まだ残っている待機列。
そして粉まみれで沈んでいるメル。
数秒後。
「……アトリエではないですね……」
エリシアが真顔で断言した。
「デスヨネー……」
私は遠い目になる。
錬金術のアトリエとは。
そんな哲学的な問いが頭をよぎった気がした。
その時だった。
厨房側から、か細い声が聞こえる。
「……もう小麦粉見たくないです……」
メルだった。
完全に限界である。
私は静かにその姿を見つめる。
護衛強化。
運用変更。
入店制限。
警戒態勢。
色々あった。
だが最終的に一番被害を受けているの、たぶんメルだ。
私は小さく息を吐く。
そして、ぽつりと呟いた。
「……パン屋さんの人員、増やすか」
ぽつりと零した、その一言。
次の瞬間だった。
机に突っ伏していたメルが、ガバァッ!!と勢いよく起き上がる。
椅子が後ろへ滑った。
「お願いしますぅぅぅぅぅぅ!!!!」
半泣きだった。
というかもう泣いていた。
「限界ですぅぅ!! オーブンが! オーブンが休ませてくれないんですぅぅ!!」
「落ち着いてメル」
「今日だけで何回“追加焼成入りまーす!!”って叫んだと思ってるんですか!!?」
知らない。
でもかなり聞いた。
「パン置いた瞬間なくなるんですよ!? もう棚が“陳列場所”じゃなくて“通過点”なんですよ!?」
「そんなことある?」
「ありましたぁぁぁ!!」
悲痛な叫びだった。
さらにメルは机を叩く。
「しかも護衛の人まで慣れ始めてるんです!!」
「慣れる?」
「“第三搬入口クリア!”とか“追加列形成確認!”とか言いながらパン運んでるんですぅぅ!!」
完全に作戦行動だった。
もうパン屋の空気ではない。
その横でエリシアが静かに頷く。
「本日後半は、護衛隊側の搬送連携効率が二十七%向上していました」
「なんで成長してるのよ!?」
私は思わず叫んだ。
護衛隊がパン搬入に適応している。
意味が分からない。
メルはとうとう机へ額をぶつける。
「人増やしましょうよぉぉ……」
「パン職人さん増やして……」
「あとレジの人も欲しいです……」
「誘導係も欲しいです……」
「できれば私の休憩時間もくださいぃぃ……」
切実だった。
私は静かに紅茶を飲む。
夕暮れのアトリエ。
疲弊した職人。
適応し始めた護衛隊。
テーマパーク化した店舗。
そして増員要求。
「……なんで警備強化しただけでこうなるのかしら」
誰も答えられなかった。




