132話 第一次ゲームブーム、神はガチャに敗れる②
あっちの世界へ買い出しに行き、戻ってきたころには17時を回っていた。
「え……もうこんな時間?」
メルがぽかんとした顔で壁の時計を見る。
ついさっき出かけたような気がしていたのに、気づけば夕方だった。
時間というものは、買い物をしている時だけ異常な速度で消えていく気がする。
「俺らこんなに買ったか……?」
カイルが床に置かれた大量の袋を見下ろしながら、半ば呆れたように呟いた。
そこには、超大量のレジ袋。
コンビニ。
ド〇パラ。
ダ〇ソー。
リブル〇ルシェ。
ニ〇リ。
ヨドバ〇カメラ。
お店の名前を確認するのも難しいほどの物量だった。
明らかに買いすぎである。
どう見ても買いすぎだった。
私は静かにその山を見つめる。
「……可愛いマグカップだけのはずだったんですが」
誰に向けた言葉なのかわからない。
でも確実に、最初の目的はもっと慎ましいものだった。
可愛いマグカップ。
それだけ。
本当に、それだけだったはずなのに。
なぜこうなった。
メルが元気よく手を挙げる。
「でも見て! このクッションすっごくふかふかだよ!」
「それは見ればわかります」
しかも、なぜかうさぎ型だった。
可愛い。
悔しいけれど、普通に可愛い。
ルーカスお兄様は紙袋をひとつ持ち上げて、遠い目をしている。
「なんでゲームするために間接照明まで買ってるんだ……」
「雰囲気は大事だよ!」
ミストルティン様が即答した。
その手には、妙におしゃれなLEDライトが握られている。
完全に本気だった。
しかも色が変わるやつだ。
絶対にいらないと言い切れないのが腹立たしい。
「いや、まあ……わかるけど」
カイルが小さく頷く。
「夜にやるなら雰囲気あるほうがテンション上がるし」
「カイルまで染まってる……」
もうだめだ。
誰も止められない。
私の味方がいない。
いや、たぶん最初からいなかった。
ミストルティン様は満足そうに腕を組む。
「完璧なゲーム環境には、完璧な空間づくりが必要なんだよ!」
「その理論、たぶんどこまでも拡張できますよね」
「もちろん!」
即答だった。
知ってた。
私は深いため息を吐く。
まだ設置すら終わっていないのに、すでに未来が不安だった。
「この部屋の雰囲気に全然合わないですよね……」
私は部屋を見回しながら、ぽつりと呟く。
高い天井。
重厚な木製の扉。
装飾の入った壁。
いかにも中世の貴族の屋敷、という空間。
そこに並ぶのは――
白く光る高性能PC。
水色のゲーミングデスク。
巨大なモニター。
LED付きの強そうな椅子。
どう考えても異物だった。
馴染む気配がまったくない。
むしろ部屋のほうが困惑していそうである。
私は静かに額を押さえた。
「……違和感がすごいです」
「わかる」
ルーカスお兄様が真顔で頷く。
「ここだけ異世界感が強すぎる」
「いや、もともと異世界なんですけどね?」
そこは今さらだった。
カイルも腕を組みながら苦笑する。
「さすがにこのままだと客が来た時に説明が難しいな」
「説明できる自信が最初からありません」
というか、したくない。
絶対にしたくない。
するとミストルティン様が、待ってましたと言わんばかりににやりと笑った。
「だからこそ、これを買ってきたんでしょ!」
そう言って、ニ〇リの大きな袋をごそごそと漁る。
次の瞬間。
ずるり。
取り出されたのは――
大量の壁紙だった。
「……はい?」
私は思わず瞬きをする。
見間違いであってほしかった。
でも現実だった。
淡い水色。
白を基調にした可愛い柄。
ところどころに金の装飾まで入っている。
どう見ても、“ゲーミング部屋に合うように選びました”という顔をしている。
ミストルティン様は満面の笑みで胸を張った。
「貼り替えよう!」
「いや待ってください」
即答だった。
反射だった。
「うちの屋敷の壁をそんな軽いノリで改装しないでください」
「大丈夫! ちゃんと綺麗にはがせるやつだから!」
「そういう問題じゃありません」
問題しかなかった。
メルはきらきらした目で壁紙を見ている。
「えっ、可愛い!!
これ絶対いい感じになるよ!」
「メルまで乗り気なんですね……」
「だって秘密基地感が増すもん!」
秘密基地の規模が大きすぎる。
もはや基地ではなく施設だった。
ルーカスお兄様は遠い目をした。
「……もう好きにしてくれ」
諦めが早い。
でも気持ちはすごくわかる。
カイルは壁紙を手に取りながら感心していた。
「これ貼るだけなら確かに印象かなり変わるな」
「でしょ!」
ミストルティン様が嬉しそうに頷く。
「せっかくなら完璧にしたいんだよ!」
その“せっかく”が一番怖い。
私は深く、深くため息を吐いた。
「ゲームを始める前から胃が痛い……」
心の底からの本音だった。
普通、ゲームというのはもっと気軽に始めるものではないだろうか。
少なくとも、壁紙の張り替えや間接照明の設置から入るものではないと思う。
たぶん。
いや、絶対に。
すると、カイルが軽く肩をすくめながら笑った。
「とりあえず、早く遊びたいからやろうか」
その一言に、部屋の空気が一気に動いた。
メルはぱっと顔を輝かせる。
「賛成!!」
「やったー!」
ミストルティン様も嬉しそうに両手を上げる。
完全にその流れを待っていた顔だった。
ルーカスお兄様は腕を組みながら、深いため息を吐く。
「……反対しても無駄なんだろうな」
「はい!」
元気のいい即答だった。
諦めが早くて助かるのか、余計に困るのか判断に迷う。
私は静かに壁を見た。
まだ中世貴族の気品を保っている壁。
たぶん数十分後には、水色になる。
……申し訳ない。
色々と。
「せめて、綺麗に貼ってくださいね……」
「もちろん!」
その返事が一番信用できない。
でも、もう止められない。
ミストルティン様は早速、壁紙を広げ始めた。
メルはクッションを抱えたまま応援係に回っている。
絶対に戦力にならないやつだ。
カイルは普通に脚立を持ってきている。
順応が早い。
早すぎる。
ルーカスお兄様は無言で工具箱を開けていた。
なんだかんだ一番協力的かもしれない。
私はというと――
「……なんで私まで」
気づけば、壁紙をまっすぐ押さえる係になっていた。
おかしい。
本当におかしい。
今日は読書をして、静かに休む予定だったはずなのに。
どうしてこうなった。
でも。
こうしてみんなで騒ぎながら何かをするのは、嫌いじゃない。
むしろ、少しだけ楽しい。
……認めたくはないけれど。
私は小さくため息を吐きながら、壁紙の端を押さえる。
「ずれました」
「えっ!?」
「ほら、そこ」
「わあああ待って待って!!」
開始早々、大騒ぎだった。
――静かな休日は、完全に消滅した。
夕食を挟み、三時間後――
ゲーム部屋は、ついに完成した。
いや、“完成した”というより。
完全に、別世界になっていた。
白を基調にした高性能PC。
水色の大きなデスク。
ふかふかで強そうなゲーミングチェア。
控えめに光る間接照明。
可愛いクッション。
綺麗に整えられた配線。
壁には貼り替えられた淡い色の壁紙。
そして、隅にはしっかりと設置されたお菓子コーナー。
ポテチ。
チョコ。
グミ。
クッキー。
完全に本気だった。
どう見ても、もう客室ではない。
もはや“ゲームをするためだけに存在する部屋”だった。
私は部屋の入口に立ったまま、しばらく言葉を失う。
「……異質すぎる」
屋敷全体の重厚な雰囲気を、この部屋だけが全力で裏切っていた。
扉を開けた瞬間、時代が違う。
文明レベルが違う。
説明不能である。
隣では、メルがきらきらと目を輝かせていた。
「これが、あっちの世界の家……」
感動したような声音だった。
私は即座に突っ込む。
「普通の家はこんなんじゃないからね!?」
「えっ!?」
メルがものすごく驚いた顔をする。
「違うの!?」
「違います」
断言した。
大事なところなので強めに言った。
「こんなに光ってないし、こんなに椅子が強そうでもないし、こんなにお菓子コーナーが本気でもありません」
「そこなの!?」
そこだった。
かなりそこだった。
ミストルティン様は満足そうに腕を組んでいる。
「いやぁ、完璧だね!」
達成感に満ちた顔をしていた。
たぶん一番満足している。
絶対にそうだ。
カイルは椅子に座りながら軽く背もたれを倒す。
「……これ、普通にかなり快適だな」
「でしょ!」
「ちょっと悔しいけど認める」
全面的に同意だった。
悔しい。
すごく悔しい。
でも快適だった。
ルーカスお兄様も、しばらく部屋を見回してから小さく頷く。
「……まあ、やるならここまでやったほうがいいのかもしれないな」
「落ちた」
私は静かに呟いた。
最後の砦だと思っていたのに。
ルーカスお兄様は不服そうに眉を寄せる。
「違う。
合理的判断だ」
「その言い訳、すごく聞き覚えがあります」
だいたい私も同じことを言う。
つまり負けである。
ミストルティン様は、にこにことしながらPCの電源ボタンに手を伸ばした。
「それじゃあ――」
その笑顔が、やけに眩しかった。
「楽しい課金ライフの始まりだね!」
「始まり方がおかしいんですよ」
私は即座に突っ込んだ。
本当に、色々と不安しかなかった。
ミストルティン様は、にこにことしながらPCの電源ボタンに手を伸ばした。
「それじゃあ――」
その笑顔が、やけに眩しかった。
「楽しい課金ライフの始まりだね!」
「始まり方がおかしいんですよ」
私は即座に突っ込んだ。
本当に、色々と不安しかなかった。
けれど。
ここまで来たら、もう逃げられない。
ミストルティン様が、ぽちりと電源ボタンを押す。
白いPCが静かに起動し、モニターに光が灯る。
複数の画面が順番に立ち上がっていく様子は、妙に壮観だった。
「おお……」
思わず、メルが感嘆の声を漏らす。
ちょっとわかる。
こういう起動の瞬間は、なんだか妙にわくわくする。
悔しいけれど。
ミストルティン様は慣れた手つきで操作を進めていく。
キーボードを叩き、マウスを滑らせ、いくつかの設定を一瞬で終わらせる。
……妙に手慣れている。
「なんでそんなに詳しいんですか」
「神だから!」
「便利な言葉ですね」
だいたいそれで押し切られている気がする。
やがて、ひとつのゲーム画面が立ち上がった。
巨大な都市。
ネオンに照らされた夜の街。
高層ビルの間を走る列車。
遠くに見える観覧車。
空を滑るように移動する乗り物。
街の喧騒。
光。
音。
全部が鮮やかだった。
ただのゲーム画面なのに、妙に“そこに世界がある”感じがする。
私は思わず目を奪われた。
「……これ、なんていうゲームなんですか?」
ミストルティン様は、満足そうににやりと笑う。
「N〇Eっていう、超現実都市オープンワールドRPGだよ!」
「名前からして絶対時間が溶けるやつですね……」
「正解!」
嫌な予感しかしない。
でも。
すごく、気になる。
メルはすでに前のめりだった。
「街すっごい綺麗!!
映画みたい!」
「でしょ!?
しかもキャラが可愛い!」
「そこ大事なんですね」
「最重要事項だよ」
そこは揺るがないらしい。
ゲームが始まる。
主人公は都市の一角に降り立ち、自由に動けるようになった。
最初から説明は少ない。
“好きに遊んでね”という圧がすごい。
私はマウスを動かしながら、静かに周囲を見回した。
街を歩いているだけで楽しい。
通りを歩くNPC。
ふと始まる小さなイベント。
気になる路地裏。
高い場所へ登れそうな足場。
隠し宝箱みたいな配置。
つい寄り道したくなる構造。
しかも。
戦闘もシームレス。
フィールドで敵に触れれば、そのままアクション戦闘が始まる。
回避。
連携。
スキル。
タイミング。
派手なのに、ちゃんと考える必要がある。
「……これ、危険ですね」
私は真顔で言った。
ミストルティン様が満面の笑みになる。
「でしょ!!」
危険だった。
非常に危険だった。
私はこういうのに弱い。
自由に探索できて。
素材を集めて。
効率を考えて。
戦闘もちゃんと奥がある。
しかも、生活系コンテンツまである。
料理。
釣り。
家具。
乗り物。
ミニゲーム。
「詰め込みすぎでは……?」
「全部やるんだよ!」
「時間が足りないんですが」
「だから課金するんだよ!」
「解決方法がおかしい」
でも。
すごく、わかってしまう。
それが一番まずかった。
私は静かに理解した。
「あ、これダメなやつだ」
「ようこそ!」
ミストルティン様が嬉しそうに両手を広げる。
やめてほしい。
まだ引き返せる。
たぶん。
いや、無理かもしれない。
気づけば私は、真剣な顔でマップを見つめていた。
この依頼を先に片付ければ報酬効率がいい。
でも素材回収なら北エリアを回るべき。
いや、その前に移動用の乗り物を確保したほうが――
「……」
無言だった。
完全に集中していた。
後ろで、ルーカスお兄様がぽつりと呟く。
「……落ちたな」
「落ちましたね」
カイルが静かに同意する。
メルはにこにこしている。
「エレノア様、目が研究してる時と同じだよ!」
やめてほしい。
ものすごく自覚がある。
私は画面から目を離さないまま、小さく呟いた。
「……この素材、序盤から回収できますか?」
「できるよ!」
「どこで」
「北区の旧工業エリア!」
「なるほど」
会話が成立してしまった。
もう終わりだった。
その日。
私は読書の代わりに、深夜まで仮想都市を走り回ることになった。
最初は「少しだけ」のつもりだった。
本当に。
本当に、少しだけだった。
デイリー任務を確認して。
街を少し探索して。
素材をいくつか集めて。
それだけのはずだった。
なのに。
気づけば。
「この依頼、報酬効率おかしくないですか?」
「でしょ!?
だから先にこっちをやるんだよ!」
「でも北区の素材回収を挟んだほうが結果的に装備更新が早いですね」
「エレノア様もう完全に攻略してる……」
「いや、これは普通に考えれば」
「普通じゃないよ」
ルーカスお兄様の即答だった。
ひどい。
でもちょっと否定できない。
時計を見る。
まだ大丈夫。
たぶん。
そう思って、私は再び画面へ視線を戻した。
イベントマップ。
期間限定報酬。
今しか取れない素材。
これは、やるしかない。
非常に合理的な判断だった。
ミストルティン様は隣で大喜びしている。
「いいねいいね!!
その調子だよ!!」
「煽らないでください」
「いやでも、エレノアが一番ハマってるよ?」
「気のせいです」
「さっきから一番真剣な顔してる」
「気のせいです」
メルがきらきらした目で言う。
「エレノア様、ボス戦の時だけ急に口数減るよね!」
「集中してるだけです」
「それをハマってるって言うんだよ」
カイルの追撃が痛い。
非常に痛い。
私は静かに咳払いをした。
「……とにかく、このボスを倒したら終わりにします」
「その台詞、絶対終わらないやつだ」
ルーカスお兄様が遠い目をしていた。
失礼な。
ちゃんと終わる。
たぶん。
そして。
ボスを倒した。
報酬を確認した。
新しい素材が手に入った。
その素材を使うと、新しい装備が作れることが判明した。
つまり。
「……素材、あと少しですね」
「終わらないじゃないか」
「これは必要経費です」
「完全に沼の人の台詞だな」
違う。
違わない気もする。
私は静かに現実から目を逸らした。
さらに時間は過ぎ。
窓の外はすっかり暗くなっていた。
夕食も終わり。
それでも誰も席を立たない。
ゲーム部屋には、キーボードの音と時々響く悲鳴だけが満ちていた。
「待って、待って!!
その敵強い!!」
「回避! 回避ですメル!」
「無理ーー!!」
「だから言っただろ!」
「ルーカスお兄様が囮になってください!」
「なんでだ!?」
平和だった。
いや、騒がしかった。
でも、すごく楽しかった。
私はふと、小さく笑っていた。
こういう時間も悪くない。
……たぶん、かなり。
その時。
コンコン。
不意に、静かなノックの音が響いた。
全員の手が止まる。
この時間の来客。
しかも、ちゃんとしたノック。
私は嫌な予感しかしなかった。
「……どうぞ」
扉が静かに開く。
入ってきたのは、予想通りリリアだった。
いつもの完璧な微笑み。
でも、その目が少しだけ冷たい。
非常に冷たい。
私は反射的に背筋を伸ばした。
リリアは部屋を見渡した。
白いPC。
巨大なモニター。
光る机。
強そうな椅子。
完全に異世界と化した客室。
そして、その中心で深夜までゲームをしている私たち。
数秒の沈黙。
とても長い沈黙。
やがて。
リリアは、にこりと微笑んだ。
「皆様」
その笑顔が一番怖い。
「そろそろ、お休みのお時間です」
「……はい」
誰一人、逆らえなかった。
即答だった。
ミストルティン様ですら、静かに視線を逸らしている。
珍しい。
すごく珍しい。
リリアは満足そうに頷いた。
「続きは、明日になさってください」
「はい……」
私は素直に返事をする。
完全敗北だった。
PCの電源を落としながら、私は小さくため息を吐く。
楽しかった。
すごく楽しかった。
だからこそ。
明日が待ち遠しいと思ってしまっている自分がいた。
……まずい。
かなりまずい。
部屋を出る直前。
ミストルティン様が、小さな声で囁いた。
「ちなみに明日、新キャラのピックアップ来るよ」
私は立ち止まった。
「…………」
やめてほしい。
本当にやめてほしい。
なのに。
その情報だけは、しっかり頭に刻まれてしまった。
最悪だった。




