123話 人手不足、ついに終焉
朝早く――夏だというのに、まだ空気に少しだけ涼しさが残る時間。
周りでは、仕事に向けた身支度や朝食の準備が始まり、屋敷の中も少しずつ目を覚まし始めていた。
そんな中――
屋敷の前には、大量の馬車が列をなしている。
「……多い」
思わず、ぽつりと呟く。
三十五人。
数字では分かっていた。
分かっていたけれど――実際に目の前にすると、圧がすごい。
普通に多い。
いや、多すぎる。
「おはようございます、エレノア様」
隣でカイルが静かに頭を下げる。
「おはよう……」
まだちょっと眠い。
でも、そんなことは言っていられない。
今日は中央商会からの人員が正式に到着する日だ。
つまり――
この人手不足地獄の終わりの日でもある。
(たぶん)
いや、終わってほしい。
切実に。
「部屋の準備は?」
「なんとか間に合いました」
「お父様は?」
「昨夜、書類に埋もれていました」
「生きてる?」
「たぶん」
「たぶんって言った」
不安しかない。
後で絶対に冷たい甘い物を持っていこう。
命綱として。
そんなことを話していると、一番前の馬車の扉が開いた。
中から降りてきたのは――
年の頃は十代後半くらい。
綺麗に整えられた栗色の髪に、上質だが派手すぎない服装。
一目で分かる。
(……この人だ)
中央商会、商会長の娘。
話に聞いていた人物。
彼女は周囲を一度見渡し、そして迷いなくこちらへ歩いてきた。
所作が綺麗だ。
慣れている。
ただの“お嬢様”ではない。
「朝早くに失礼いたします」
優雅に一礼する。
「中央商会より参りました、フィリアと申します」
顔を上げる。
その瞳は、思った以上にまっすぐだった。
「本日より、よろしくお願いいたします」
……うん。
これはたぶん。
(普通に強いタイプだ)
そんな予感しかしなかった。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
私も軽く頭を下げる。
「私は、エレノア・フォン・セレスティアです。」
「エレノア様の執事をしております。 カイルです」
「メルです! よろしくお願いします!」
私に続くようにメルとカイルが自己紹介をする。
「……たぶん、皆さんが思っているより普通の人なので、あまり緊張しなくて大丈夫ですよ」
そう言うと――
フィリアさんの後ろに控えていた数人が、ほんの少しだけ困ったような顔をした。
……うん、分かる。
たぶんもう手遅れだ。
王城とお父様が事前に何を吹き込んだのか、なんとなく察してしまった。
「いえ、その……」
フィリアさんが少しだけ言葉を選ぶように間を置く。
「この屋敷で過ごしていると並大抵のことでは、驚かなくなるとは聞いていますが......」
「誰がそんなことを……」
思わず遠い目になった。
いや、心当たりは山ほどある。
たぶんお父様だ。
もしくは陛下。
最悪、両方。
「否定は、できませんね」
カイルが静かに頷いた。
「しないで!? そこで肯定しないで!?」
即座にツッコミを入れる。
フィリアさんの後ろで、数人がさらに緊張した顔になった。
違う。
そんな魔境みたいな場所じゃない。
……いや、神様が普通に居座っていたり、突然意味不明な魔道具が増えたりはするけれど。
でも生活自体はわりと普通だ。
たぶん。
「安心してください」
私はできるだけ穏やかな笑顔を作る。
「基本的には普通の伯爵家です」
一瞬、沈黙が落ちた。
フィリアさんが、すごく優しい目をした。
「“基本的には”が付く時点で十分不安なのですが」
「気のせいです」
「説得力がありません」
即答だった。
ひどい。
まだ何もしていないのに。
「……とりあえず」
小さく咳払いをして、話を戻す。
「立ち話もなんですし、中へどうぞ」
「ありがとうございます」
フィリアさんが一礼する。
その後ろで、ずらりと並ぶ三十五人。
改めて見るとやっぱり多い。
本当に多い。
(これが全員、今日から……)
忙しさは減る。
きっと減る。
そのはずだ。
……たぶん。
私は心の中で小さく祈りながら、屋敷の扉へと視線を向けた。
どうか今日は。
平和に終わりますように。
屋敷の中へ案内すると――
案の定、フィリアさんたちは入口の時点で足を止めた。
「……」
「……?」
視線の先。
そこにあるのは――
居間。
そして、見慣れた光景。
ソファで優雅にお茶を飲んでいるパルシア様。
新聞を読みながら何故かお菓子をつまんでいるミストルティン様。
窓際で眠そうな表情を浮かべるエルヴィータ様。
そして、その周囲には見たことのない魔道具がいくつもおかれていた。
テーブルの上に置かれた私のタブレット。
超巨大な液晶テレビ。
……うん。
初見だと意味が分からないと思う。
「おはよう、エレノアちゃん」
パルシア様が、のんびりと手を振る。
「おはようございます」
「話に聞いてはいたけど、大分多いねー」
お菓子を食べながら、にこりと微笑むミストルティン様。
朝から自由すぎる。
そして――
「今日やけに起きるのが早いと思ったら、そういうことだったのね」
朝早くにも関わらず、威厳に満ち溢れているソフィア様が居間にやってきた。
その瞬間。
フィリアさんの後ろにいた使用人たちが、一斉に固まった。
うん、そうなる。
分かる。
神族が自然に朝の居間にいる光景なんて、普通は意味が分からない。
しかも全員、妙に存在感が強い。
圧がすごい。
「え、えっと……」
考えが追いつかないのか、フィリアさんが困り始める。
視線は居間のあちこちを忙しなく彷徨っていた。
「一応お聞きしますけど……この方たちは……」
「神族の方たちです……」
「デスヨネ……」
ですよね、みたいな顔をされた。
「話を聞いた時、そんなまさかって思ってましたけど……本当だったんですね……」
遠い目だった。
たぶん、事前説明の段階では半分くらい都市伝説だと思っていたんだろう。
普通の伯爵家に神族が日常的にいる――なんて言われて、信じる人がいるかと聞かれたら、胸を張って“いない”と答える。
それが普通だ。
むしろ信じる方がどうかしている。
「この四人は毎日……というより、住んでいるので仲良くしてくださいね」
「住んでる!?」
ついに声が裏返った。
無理もない。
「はい」
にこやかに肯定する。
「もう普通に朝ごはんも一緒ですし、お茶会もしますし、たまに夕飯の献立で揉めます」
「揉めるんですね……」
「主に食後のデザートをどうするかで」
「そこなんですね……」
フィリアさんの理解が追いつかない顔がすごい。
でも全部事実なので仕方ない。
誇張は一切ない。
むしろまだ控えめなくらいだ。
「と……とりあえず、改めて説明させていただきたいのですが……いいですか……?」
若干、現実逃避しかけていたフィリアさんが、なんとか気を取り直して口を開く。
さすが中央商会。
この状況でも仕事の話に戻せるあたり、かなり強い。
「もちろんです」
私が頷くと、フィリアさんも小さく息を整えた。
「今回、私たちが派遣された理由ですが――」
一拍。
「表向きは、使用人としての補助とアトリエ運営の支援です」
やっぱり表向き、らしい。
うん、知ってた。
「ですが、私個人に関しては別件もあります」
「別件?」
「はい」
まっすぐにこちらを見る。
「エレノア様の経理関係を担当するよう、父より命じられています」
「……経理」
思わず、その言葉を復唱した。
「はい。帳簿管理、納品記録、王城との取引整理、伯爵領への出納管理――」
淡々と並べられていく単語。
聞いているだけで頭が痛くなる。
「つまり」
一拍。
「お金周り全部ですね」
「はい」
即答だった。
私は静かに天を仰いだ。
……助かる。
ものすごく助かる。
助かるんだけど。
「それ、今まで誰がやってたと思います?」
「……まさか」
「私です」
フィリアさんの表情が固まった。
後ろの商会の人たちも、揃って無言になる。
そして。
「……よく倒れませんでしたね?」
心の底から同情した声が返ってきた。
「毎月、数字と睨めっこで死ぬかと思いました……」
素直な本音だった。
材料費。
納品数。
王城分の管理。
伯爵領への流通。
店頭販売の収支。
さらに最近は弟子も増えた。
人が増えれば、当然管理する数字も増える。
つまり地獄である。
「……それを十一歳で?」
フィリアさんが静かに呟く。
「はい」
「……」
無言になった。
やめてほしい。
その“可哀想なものを見る目”は結構刺さる。
「なので、本当に助かります」
私は真顔で言った。
「もう帳簿を見なくていいというだけで、だいぶ楽になります」
本当に。
心の底から。
フィリアさんは少しだけ目を丸くして――
それから、ふっと小さく笑った。
「承知しました」
一歩、前に出る。
「では本日より、そのあたりは私が責任を持って管理いたします」
その声音には、迷いがなかった。
仕事として。
当然のように引き受ける強さがある。
……うん。
やっぱり、この人はかなりできる。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
短いやり取り。
けれど、その一言だけで十分だった。
これで、ようやく少し息ができる。
たぶん。
いや、してほしい。
切実に。
「あ……あと、資産が多すぎて困っているから助けてやってほしいと、陛下からお願いされていますので……資産運用も担当しますね」
「……はい?」
思わず、聞き返した。
「はい。なんでも、孤児院に超高額の寄付をされる余裕があるほど資産がおありと聞きまして……」
一瞬、言葉に詰まる。
……誰だ。
そんな言い方をしたのは。
いや、たぶん陛下だ。
すごく心当たりがある。
「いや、あれはその……成り行きというか……」
「金額を確認しましたが、成り行きで済ませていい額ではありませんでした」
「ですよね……」
知ってる。
自分でも思った。
なんであんな額になったんだろうって。
「加えて、現在の保有資産も確認しました」
一拍。
「正直、意味が分かりませんでした」
「そこまで?」
「そこまでです」
即答だった。
「普通、個人で持つ金額ではありません」
「ですよね……」
知ってた。
知ってたけど、他人に改めて言われると地味に刺さる。
主に精神に。
「しかも、使う予定がないまま増え続けています」
「はい……」
「非常によろしくありません」
「はい……」
怒られている。
なぜか私が怒られている。
でも反論できない。
なぜなら事実だから。
「なので」
一拍。
フィリアさんは、にこりと笑った。
「今後は、最低でも収入の六割は使ってください」
「……はい?」
今度こそ、聞き間違いかと思った。
「六割です」
「使う?」
「使う、です」
意味が分からない。
「え、減らすんじゃなくて?」
「増やします」
「なんで?」
「使わないからです」
理不尽だった。
「設備投資、人材育成、研究施設の拡張、孤児院支援」
一つずつ、指を折りながら数えていく。
「使う場所はいくらでもあります」
「それはそうなんだけど……!」
「あと」
一拍。
「個人的な買い物もしてください」
「え?」
「服でも、本でも、お菓子でも」
にこやかに言い切る。
「使わなさすぎです」
「そこまで?」
「そこまでです」
即答だった。
横でカイルが静かに頷いた。
「エレノア様、かなりそこは深刻です」
「カイルまで!?」
「去年、ご自身のために買った物を覚えていますか?」
「……ポーション素材?」
「そういうところです」
違う、そうじゃない、みたいな空気がすごい。
「つまり」
フィリアさんは微笑んだ。
「これからは、ちゃんとお金を使ってください」
「命令です」
逃げ道がなかった。
人手不足は解決した。
けれど――
どうやら今度は、
私のお金の使い方まで管理されるらしい。




