115話 目覚めの後、止められても進む
――気がついたときには。
やけに静かな部屋だった。
「……ん……」
重たい瞼を、ゆっくりと持ち上げる。
ぼんやりとした視界に映るのは、見慣れた天井。
……自分の部屋。
規則正しく整えられた空間。
差し込む光も、柔らかくて――
(……朝?)
ゆっくりと瞬きを繰り返す。
頭が、少しずつ働き始める。
けれど――
(……なんか、変)
妙な違和感が残る。
静かすぎる。
いつもなら、屋敷のどこかから物音が聞こえるはずなのに。
それに――
(私、なんで……)
ここにいる?
確か、私は。
作業部屋で――
毒を防ぐ装備のために、調合を続けていて。
それから――
……それから?
「エレノア様!」
その瞬間、慌てた声がすぐ横から響いた。
びくり、と肩が揺れる。
顔を向けると、そこにはカイルの姿。
そして――
「よかった......エレノア様が起きた!」
少しだけ涙ぐんだメルが、ベッドの傍に立っていた。
どちらも、明らかに――
安堵と、怒りが混ざった表情。
「……おはよう?」
反射的に口をついて出た言葉に、
「おはよう、じゃないです!」
「二日です!!」
「……え?」
カイルの短い一言に、思考が止まる。
「エレノアったら丸二日寝ていたんだからね?」
腕を組んで、少しだけ眉を寄せながら――
アメリアお姉さまが、呆れたようにため息をつく。
「……え?」
思考が、追いつかない。
二日?
そんなに――?
「作業部屋で倒れて、そのまま運ばれてきて……」
「全然起きないから、みんな心配してたのよ?」
静かだけど、はっきりとした声。
その言葉に、胸の奥が少しだけ痛くなる。
「……ごめんなさい」
自然と、言葉が零れた。
すると、
「ごめんなさい、で済む話じゃないです!」
すぐ横から、メルの声。
「本当に、無理しすぎです!」
「今回はさすがにやりすぎですね」
カイルも、珍しくきっぱりと言い切る。
……逃げ場がない。
「大体五日も休息も食事もとらないのは身体にすごく負担がかかるんですからね!」
メルが一歩踏み込んで、びしっと言い切る。
いつもより少しだけ強い口調。
「一応、完全に飲まず食わずってわけではないよ......? それに一時間は仮眠とかしてたし」
「実験部屋に食べ物なんてありましたっけ……?」
カイルが首をかしげる。
「一応、長期間籠ることを想定して、お米と即席の味噌汁とお茶を作れるようにはしているんだよね」
「五日間は、その味噌汁と小さめのおにぎりを食べていたし」
「……」
一瞬の沈黙。
「それだけですか?」
「……うん」
「少なすぎです」
即答だった。
「それに、水分もそれだけですよね?」
「……たぶん」
「たぶん、じゃないです」
ぴしり、と切り捨てられる。
「というか、それ……“長期間籠る用”じゃなくて“最低限の延命用”ですよね?」
「……」
言い返せない。
「しかも五日間それで通したんですよね?」
「……うん」
「ダメです」
断言。
「完全に栄養不足です」
横から、メルもきっぱりと言い切る。
「むしろよくそれで五日も動けましたね……」
カイルが呆れたようにため息をつく。
「……え?」
「褒めてません」
「……はい」
「大体一時間睡眠ってそんなの寝たの判定になりませんからね!?」
メルがびしっと言い切る。
「え、でも……何回かに分けて――」
「合計してもダメです!」
「……はい」
即、否定された。
「というか、それで五日間動き続けてたんですよね?」
カイルがじっとこちらを見る。
「……うん」
「普通に異常です」
「……」
言い方。
でも否定できない。
「自覚あります?」
「……ちょっとは」
「全然足りてません」
「……はい」
完全に押し切られた。
「本当に……」
メルが小さく息を吐いて、
「無事でよかったです……」
ぽつりと、そう零す。
その声は、さっきまでの強さとは違って――
どこか、安心したような響きだった。
「……ごめん」
自然と、もう一度謝る。
「もういいです」
少しだけ拗ねたように言いながらも、メルは小さく頷く。
「でも、次は本当にダメですからね?」
「約束です」
「……うん」
しっかりと頷く。
――でも。
(あと少しで……)
思考は、やっぱり止まらない。
「……エレノア様?」
カイルの声に、はっとする。
どうやら顔に出ていたらしい。
「今、何か考えてますよね」
「……」
図星すぎて、何も言えない。
「ダメです」
「ダメよ」
「ダメです」
三方向からの即否定。
「……はい」
完全に、詰んだ。
すると――
「今日は絶対安静です!」
メルがびしっと言い切る。
「部屋から出るのも禁止ですからね!」
「え」
「もちろん、作業も禁止です」
カイルが淡々と追撃する。
「必要なものがあれば、全部こちらで用意します」
「……」
逃げ道が、ない。
「いいですね?」
「……はい」
観念して、素直に頷く。
――完全に、包囲された。
枕に沈み込みながら、そっと天井を見上げる。
体は動けない。
でも――
(あと一つ……)
頭の中では、すでに次の工程が組み上がっていく。
必要な素材。
性質。
組み合わせ。
再現方法。
全部――見えている。
あとは、それを“手に入れる”だけ。
――次の日。
丸二日寝たあとに強制的に一日休息させられたおかげで、体力は完全に回復していた。
「朝日が気持ちいい……」
窓からは、春の暖かな木漏れ日が差し込んでいる。
部屋の中に落ちる光は柔らかくて、妙に落ち着く。
軽く伸びをすると、体の重さはもうほとんど感じない。
(……大丈夫)
そう、はっきりわかる。
けれど――
頭の奥では、まだ消えていないものがあった。
(あと一つ)
必要な素材。
それさえ手に入れば、形になる。
そこまで来ている。
そこまで来てしまっている。
「……よし」
小さく息を吐いて、ベッドから足を下ろす。
そのときだった。
「エレノアちゃん、ご飯できたからそろそろ起きて!」
母性を感じる、やわらかくて優しい声が部屋の外から響いた。
「今行きます!」
反射的に返事をしてしまう。
「ふふ、いい返事」
扉の向こうから、満足そうな声が返ってくる。
次の瞬間、ゆっくりと扉が開いた。
そこに立っていたのは、穏やかな微笑みを浮かべたパルシアだった。
「ちゃんと起きてて偉いわね」
「今日は栄養たっぷり取れるように、いつもより腕によりをかけたわよ」
その言葉に、小さく頷く。
「……今、行きます」
「ええ、待ってるわね」
柔らかく微笑んで、パルシアは一度部屋を後にした。
扉が閉まるのを見送ってから、ゆっくりと息を吐く。
ベッドから降りて、軽く体を動かす。
問題ない。
重さも、だるさも――もう残っていない。
(……大丈夫)
そう確認してから、手早く着替えを済ませる。
乱れていた髪を整え、身支度を整えると――
部屋を出た。
廊下は、朝の光に満ちている。
静かな屋敷の空気が、どこか心地いい。
そのまま歩き出すと、少し先でパルシアが待っていた。
「早いわね」
「もう大丈夫です」
「そう?」
くすりと笑いながら、隣に並ぶ。
「でも、無理はダメよ?」
「……はい」
軽く頷く。
そのまま並んで歩き、食堂へ向かう。
扉の前に立つと、ふわりと食事の香りが漂ってきた。
「ほら、入って」
パルシアに促されて、扉を開く。
食堂の扉を開けた瞬間――
「……え?」
思わず、足が止まった。
視界いっぱいに広がるのは、見慣れたはずの食堂――のはずなのに。
「……豪華すぎませんか?」
ぽつりと漏れた声に、隣のパルシアがふふんと胸を張る。
「当然よ。回復直後なんだから、ここでしっかり栄養を入れないと意味がないでしょう?」
並べられている料理は、一目で分かる。
ただ量が多いだけじゃない。
色とりどりの野菜。
香ばしく焼き上げられた肉料理。
ふわりと湯気を立てるスープ。
果物に、焼きたてのパン。
――栄養バランスが、完璧。
しかも。
「……全部、おいしそう……」
「“おいしい”のは前提よ」
パルシアはさらりと言い切る。
「料理っていうのはね、“回復させるもの”でもあるのよ。特に今回はね」
そう言って、軽くこちらを見る。
「無理した分、ちゃんと取り戻さないと――もったいないでしょう?」
やわらかな声に、こくりと頷く。
そのまま、もう一口。
優しい味が、すっと身体に染み渡っていく。
――ああ、本当に回復してる。
そう実感した、その時。
「ねぇ、それ一口ちょうだい」
「……自分のを食べてください」
即座に返す。
隣では、当然のようにミストルティン様がパンに手を伸ばしていた。
「えー、いいじゃん減るもんじゃないし」
「減ります」
「ケチ」
「違います」
いつものやり取り。
もはや説明すらいらない、日常の一部。
――そう、ミストルティン様は“いる”。
最初から、ここに住んでいるかのように。
そんな光景に苦笑していると――
「ふふ、今日も仲がいいですね」
穏やかな声が重なる。
「エルヴィータ様……」
気付けば向かいに座っている。
相変わらず自然すぎて、存在に気付くのが遅れる。
「体調はもう大丈夫そうですね」
「はい。もう完全に回復しました」
「それは良かった」
優しく微笑むその姿に、ほっと息が抜ける。
――そして。
「……賑やかね」
静かに落ちる声。
振り返ると、ソフィア様がいつの間にかそこにいた。
「ソフィア様……」
「回復祝い、というところかしら?」
「ただの朝食よ」
パルシア様があっさり返す。
「でも、こうして集まっているのは悪くないでしょう?」
ソフィア様がわずかに微笑む。
「……まあ、それは」
否定は、できない。
ふと、視線を巡らせる。
パルシア様がいて。
ミストルティン様がいて(しかも普通に隣)。
エルヴィータ様がいて。
ソフィア様がいて。
――うん。
「……あの」
「なに?」
「どうしたの?」
「なんでしょう?」
一斉に視線が集まる。
少しだけ間を置いて。
「……これ、完全に住み着いてますよね?」
「「「……」」」
一瞬の沈黙。
そして。
「今さらじゃない?」
ミストルティン様があっさり言う。
「否定はしないわ」
パルシア様。
「居心地が良いので」
エルヴィータ様。
「ここは、特別な場所ですから」
ソフィア様。
――満場一致だった。
「……ですよね」
もはや突っ込む気力もない。
でも。
悪くない、と思ってしまう自分がいるのも事実で。
小さく笑いながら、もう一口食べる。
――温かい。
身体も、空気も。
全部ひっくるめて。
ちゃんと、“戻ってきた”と実感できる場所だった。
食事を終え、しばらく穏やかな時間が流れた後。
「それじゃ、行ってくるわね」
アメリアお姉さまが、いつものように微笑む。
「いってらっしゃいませ、お姉さま」
「無理しないでね、エレノア」
「はい」
優しく頭を撫でられる。
その隣で。
「……お前も、ほどほどにしとけよ」
ルーカスお兄様が、そっぽを向いたまま言った。
「また倒れられると、面倒なんだよ」
「面倒、なんですか?」
「……心配するのが、だ」
小さく付け足される。
思わず、くすっと笑ってしまった。
「はい。ちゃんと気をつけます」
「当たり前だ」
ぶっきらぼうに言いながらも、その表情はどこか柔らかい。
「じゃあな」
「いってきます」
二人は並んで屋敷を出ていく。
その背中を、見えなくなるまで見送った。
――そして。
「……さて」
小さく息を吐く。
頭の中には、はっきりと残っている。
あの式。
完成寸前まで組み上がっていた、あれ。
「……あと、一つ」
足りない。
最後の素材だけが。
視線が、自然と外へ向く。
「私も市場に行こうかな」
そう思い立ち上がるとーー
「エレノア様」
「どちらへ?」
「少し、市場に」
答えると、二人の表情がわずかに曇る。
「……まだ休んでいた方がいいと思います」
メルがやんわりと言う。
「そうですね、まだ本調子ではないと思いますので」
カイルも腕を組んで頷く。
その言葉に、少しだけ迷いがよぎる。
でも。
「大丈夫」
はっきりと言った。
「体力は完全に回復しているし――なにより……」
一瞬、言葉を区切る。
頭の中に浮かぶのは、あの式。
完成寸前まで組み上がっていた、あの感覚。
「……期限が近いの」
静かに、でも迷いなく告げる。
その一言で、空気が少しだけ変わる。
メルとカイルは、顔を見合わせて――
「……急ぎ、なんですね」
「うん」
頷く。
「あと一つで完成するの。だから、ここで止めたくない」
それは願いじゃない。
意志だ。
ここまで積み上げてきたものを、最後まで形にするための。
「……はぁ」
小さく、カイルがため息をついた。
「止めても無駄なようですね」
「そうですね……」
メルも困ったように微笑む。
「エレノア様がそう決めたのであれば、私たちは止めません」
「でも」
すっと、一歩近づいてくる。
「絶対に、無理はしないでください」
「今度無理したらレオンハルト様に言いますからね?」
「……それは、困ります」
即答だった。
さすがにそれは、本気で困る。
「そうですよね?」
にこり、と微笑むメル。
優しい顔のまま、しっかりと逃げ道を塞いでくるあたりが容赦ない。
「ちゃんと、約束してください」
「……はい。無理はしません」
素直に頷くしかない。
そのやり取りを見て、カイルが肩をすくめる。
「ま、これで少しは安心ですね」
「うん。少しだけね」
メルが静かに頷く。
――完全には信用されてない。
でも、それでいい。
それだけ心配されているということだから。
「行ってきます」
改めて告げる。
今度は、二人とも何も言わなかった。
ただ――
「いってらっしゃいませ」
「気をつけてくださいね」
その言葉に、しっかりと頷いて。
私は、屋敷の外へと踏み出した。
――市場。
そこに、“最後の一つ”がある保証はない。
けれど。
なぜか――
“何かが起こる”予感だけは、はっきりとあった。




