116話 迫る期限、最後の素材
風邪は治ってきているけど最近よく鼻血が出るのはなんで??
装備の素材製作の依頼を受けて、一週間――
残り一週間。
納得のいく素材を仕上げなければならないと考えると、胸の奥にわずかな焦りが滲む。
時間はある。
けれど、“余裕”はない。
自信はある――
理論は完成している。
手順も、再現性も、すべて頭の中にある。
だが。
“成立する”ことと、“通用する”ことは違う。
もし万が一があった際のことを考えるともう二三日は欲しい
そんなことを考えているとーー
「エレノア様! もう体調はよろしいのですか?」
護衛の一人が声を掛けてきた。
「はい、ご心配をおかけしました。」
そう答えると安堵の表情を浮かべている。
「それで、今日はどちらへお出かけですか?」
その問いに、ほんの一瞬だけ視線を外へ向ける。
「市場へ行こうと思います」
「市場、ですか?」
少しだけ意外そうな声。
無理もない。
つい先日まで倒れていた人間が、いきなり外出なのだから。
「はい。少し、必要なものがあって」
そう言いながらも、詳しくは言わない。
まだ“確定していない”段階だから。
「……お身体の方は、本当に問題ありませんか?」
念を押すような声。
「問題ありません。体力も、完全に戻っています」
はっきりと答える。
実際、もう違和感は何もない。
むしろ――
(……時間が惜しい)
内心で、そう呟く。
残された時間は一週間。
その中で、“納得できる素材”を完成させなければならない。
「そうですか……」
どこか心配そうな表情を浮かべている
「わかりました......馬車を準備しますので少々お待ちください」
「馬車は今回は必要ないです」
「……え?」
わずかに驚いた声が返る。
「市場は人が多いですから。馬車だと、逆に動きにくいと思います」
落ち着いて、そう説明する。
「それに――」
一瞬だけ言葉を区切る。
「今回は“探し物”ですから」
視線を少しだけ細める。
「複数の店舗を回ることになると思いますし、その都度止めていたら時間がかかってしまいます」
並んでいる品物。
積まれている廃材。
人が見向きもしないようなもの。
――そういうところにこそ、ある。
「歩いた方が、効率がいいんです」
「……なるほど」
護衛は小さく頷いた。
護衛は小さく頷いた。
「では、通常の倍の人員を――」
「多すぎます」
即座に返した。
「市場を見て回るだけですし、目立つのは避けたいです」
はっきりと伝える。
「それに、動きづらくなります」
理屈としては、間違っていない。
けれど。
「それでもです」
迷いのない声だった。
「市場は多くの人が集まる場所です。
エレノア様に万が一があった際に備えるのが我々の使命ですので、どうかご理解いただけないでしょうか」
まっすぐに告げられる。
言葉は丁寧なのに、引く気配は一切ない。
「……」
少しだけ考える。
目立つのは避けたい。
動きやすさも優先したい。
でも――
(……正論ですね)
安全を軽視する理由にはならない。
「……分かりました」
小さく息を吐いて、頷く。
「お任せします」
「ありがとうございます」
短く、しかし確かな返答。
(……押し切られましたね)
内心で苦笑する。
けれど、嫌な気はしない。
それだけ本気で守られている、ということだから。
そんな風に思っているとーー
「エレノア様、お待たせしました!」
振り返った瞬間――
思わず、言葉を失った。
私の周りには、あまりにも過剰すぎる護衛が展開されていた。
視界の端にも、気配の奥にも。
明らかに――増えている。
「……」
一拍。
「……多くないですか?」
控えめに聞いてみる。
「万全を期しております」
即答だった。
微塵も迷いがない。
……ですよね。
……前言撤回。
(これ、絶対目立つじゃん!!!!!)
思わず心の中で叫ぶ。
視界に入る人数。
背後に感じる気配。
どう考えても“市場に行く規模”じゃない。
――完全にやりすぎである。
けれど。
(……まあ、仕方ないか)
小さく息を吐く。
安全第一。
それは、自分でも否定できない。
多少目立とうが、やることは変わらない。
必要なのは――最後の素材。
「行きましょう」
そう言って一歩踏み出す。
ざわり、と周囲の空気がわずかに動いた気がした。
――少しだけ騒がしくなりそうな市場へと、足を向けるのだった。
ーー王都・市場
貴族街を抜け、市場へとやってきた私たち。
今日は土曜日ということもあってか、明日の休息日に備え多くの人で溢れており、いつも以上に活気がある。
「すみません! 道を開けてください!」
「おい! エレノア様にこれ以上近づくな! 拘束するぞ!」
客引きと思われる男に対し、威圧感を放つ護衛。
(……いや過剰すぎるよね!?)
思わず心の中でツッコミを入れる。
「えっ、いや、ちょっと声かけただけで……!」
男は慌てて両手を上げ、後ずさる。
周囲も一斉に距離を取り、ざわりと空気が揺れた。
「怖っ……」
「なんかすごいの来たぞ……」
ひそひそとした声が耳に入る。
……うん、完全にやりすぎである。
そんな人たちのなかにも、私のことを知っている人がいるようで――
「あれ? エレノア様じゃん! 市場にいるなんて珍しい」
「は? エレノアってエレノアのアトリエの店主の!?」
一気に空気が変わる。
「え、あのポーションの……?」
「エレノアのアトリエの店主ってことは……セレスティア伯爵!?」
「やっぱりそうか!?」
「いや、だから護衛の数が……!」
ざわめきが、確信に変わっていく。
「流石王国一の最重要人物と言われるだけあるな」
(そんなことないからね!?)
思わず心の中で即否定する。
どこからそんな話になったのか。
というか――
(盛られすぎでは……?)
評価が、一人歩きしている。
「噂以上だな……」
「そりゃ王城とも関わりあるって話だし……」
好き勝手に補強されていく情報。
……うん、もう無理。
(止められないやつだこれ)
一度広がった噂は、訂正するほど逆効果になる。
今ここで否定したところで、
「身分を隠している」とか言われるのがオチだ。
つまり――
(放置が正解ですね)
小さく息を吐く。
気にしていても、時間の無駄だ。
やるべきことは一つ。
最後の素材を見つけること。
「……行きましょう」
短く告げて、歩き出す。
ざわめきも、視線も、そのままに。
エレノアは市場の奥へと進んでいく。
やがて到着したのは鉱石系の素材をメインに扱うお店ーー
雰囲気は、宝石や貴重な鉱石も販売しているとあって、とても綺麗な外観におしゃれな空気を纏ったお店だった。
磨き上げられたガラス越しに並ぶ石は、光を受けて静かに輝いている。
外の喧騒とはまるで別世界のような、落ち着いた空間。
「お前たちは、店外で待機していろ!」
「「「「は!!!!!」」」」
――静寂が、吹き飛んだ。
(あ、外はいいんだ)
一瞬そう思ったのも束の間。
扉が開かれる。
そして当然のように――数人がそのまま中へ。
(お店の中にも来るのね……)
小さく、心の中で呟く。
「いらっしゃい……ませ!?」
店員の声が、途中で跳ねた。
無理もない。
静かな店内に、明らかに場違いな“圧”が流れ込んできたのだから。
他の客も、一斉にこちらを見る。
空気が、ぴたりと止まる。
(……ですよね)
内心で小さく頷く。
完全に営業妨害である。
軽く一歩前に出る。
「すみません、お騒がせしてしまって」
ぺこりと頭を下げる。
「少し、見て回らせていただいてもよろしいでしょうか?」
できるだけ柔らかく、穏やかに。
そう伝えると――
「は、はい! もちろんでございます!」
店員は慌てて姿勢を正し、深く頭を下げた。
……うん、やっぱり緊張してる。
でも、これで多少は空気も戻るはず。
(……あとは、探すだけ)
視線を店内へと巡らせる。
並ぶのは、選び抜かれた石たち。
光を受けて、静かに輝いている。
その中に――
(あるかな)
探している“最後の素材”が。
だが、ショーケースをひとつひとつ確認しても、目的の素材は見つからない。
かろうじて見つけたのは、その素材とよく似た種類のもの――
「うーん……期待は薄いけど、こっちの売り場も見てみようかな……」
私の視線の先にあるのは、様々な理由で規格外品やB級品となった鉱石が、安価で販売されている場所――
角に追いやられるように置かれたその区画は、先ほどまでの整然とした空間とは違い、どこか雑多で、少しだけ無造作だ。
けれど。
(……むしろ、こういうところにある)
今回私が探している素材は、熟練の職人や鉱石鑑定士であっても正確に見抜くのが難しいと言われるもの。
外見だけでは判断がつかない。
だからこそ――
価値を見落とされる。
(確実に“ない”とは言い切れない)
むしろ、紛れている可能性の方が高い。
そんな場所だ。
当然、ここは目利きと知識が問われる。
軽い気持ちで手を出せば、ただの“外れ”を掴まされるだけ。
だからか、近くにいるのは――
自信ありげに石を選ぶ数人の職人風の男と、あとは子供のおもちゃ代わりに眺めている者くらい。
明らかに“層”が違う。
「……」
その中に、足を踏み入れる。
ざらりとした空気。
整えられていない分、情報が多い。
でも――
(こっちの方が、分かりやすい)
目を細める。
私には、“鑑定”がある。
対象の性質、反応、内側にある情報――
表面だけでは分からない部分まで、読み取ることができる。
だからこそ。
こういう売り場でも、躊躇う理由はない。
むしろ――
(……紛れている方が都合がいい)
価値を見抜かれず、埋もれている素材。
それを拾い上げることができるのなら。
ここは“外れ”の山じゃない。
“可能性”の山だ。
ゆっくりと視線を巡らせる。
積まれた石の一つ一つ。
色も、形も、質もバラバラ。
けれど――
(……いる)
ほんの僅かに。
違和感を放つものがある。
それは、注意深く見なければ見落とす程度の差。
けれど私には――はっきりと分かる。
「……これ」
迷いなく、手を伸ばした。
一見すると、ただの苔が生えた普通の石にしか見えない。
だからこそ、注意深く見なければ見落とされる。
“価値がないもの”として。
(これ……もしかしたら本物じゃないかな……?)
手に取った石へ、意識を集中する。
――鑑定。
【鑑定結果】
名前:灰白苔
分類:鉱石・植物(苔類)
品質:高品質+
備考:古くから毒の混入を防ぐため井戸の素材として使われてきた素材。
近年は鉱脈の減少や環境の変化によって希少度が増し、同時に類似品の流通が増えた。
万が一毒が混入しても分解する性質がある。
「……やっぱり」
小さく、確信の声が漏れる。
見た目はただの“外れ”。
でも、中身は――当たりどころか、理想に近い。
(これなら、いける)
足りなかった最後の一つ。
それが、今――手の中にある。
軽く石を撫でる。
微かに感じる、澄んだ反応。
間違いない。
(……見つけた)
その瞬間。
胸の奥で、止まっていたものが一気に動き出した。
組み上がっていた式が、完全に“繋がる”。
あとは――作るだけ。
「……これ、ください」
静かにそう告げる。
手にしているのは、どう見てもただの苔が付いた石。
それを見た店員は、一瞬だけきょとんとした表情を浮かべて――
「……そちらで、よろしいのですか?」
少しだけ慎重な声で確認してくる。
「はい」
迷いなく頷く。
その様子に、店員は小さく息を吐いて――
「かしこまりました」
そう言って石を受け取ろうとした、その時。
ちらり、と私の後ろを見る。
そして。
「……あの」
「はい?」
「その……すごい護衛ですね」
「……」
思わず、無言になる。
やっぱり、そう見えるよね。
というか、どう見てもすごい。
「万全を期しております」
背後から即答が飛んできた。
……うん、知ってる。
でもそれ、今言わなくていい。
「……は、はは……」
店員が少し引きつった笑みを浮かべる。
完全に圧に負けている。
……申し訳ない。
軽く頭を下げる。
「すみません、気にしないでください」
「い、いえ……」
微妙な空気のまま、会計へ。
石は簡単に布で包まれ、差し出される。
そして――
「こちらの商品ですが」
店員が、少しだけ真面目な表情になる。
「規格外品となりますので、返品・交換、ならびに品質に関するクレームはお受けできません」
「……はい」
頷く。
当然だ。
むしろ――
(それでいい)
価値が分からないからこそ、ここにある。
それを承知で選んでいるのだから。
「ご理解いただき、ありがとうございます」
店員はほっとしたように微笑む。
……たぶん、普通のお客さんならトラブルも多いんだろう。
石を受け取り、軽く頭を下げる。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
店を出ると、再び護衛の気配に包まれる。
さっきまでの静かな空間とは打って変わって、現実に引き戻されるような感覚。
でも――
手の中の重みが、それを上回る。
(……揃った)
最後の素材。
それが、確かにここにある。
あとは――
(作るだけ)
自然と、足取りが軽くなる。
胸の奥で、静かに熱が灯る。
焦りは、もうない。
あるのは――
(間に合わせる、じゃない)
ほんのわずかに、口元が緩む。
(納得させる)
握りしめた素材に、視線を落とす。
――期限まで、残り一週間。
そのすべてを使ってでも。
最高の一つを、仕上げる。




