110話 鋼を継ぐ者、理を紡ぐ者②
風邪をひきました。
熱もあるのでもしかしたら更新が止まるかも......
――カラン。
扉のベルが鳴る。
その音が、やけに大きく響いた気がした。
さっきまでの喧騒が、ほんの一瞬だけ遠のく。
「……来たな」
ヘルガーさんが、ぽつりと呟く。
視線の先――入口に立っていたのは、二人の人物だった。
一人は、無駄のない動きで店内へと足を踏み入れる男。
そして、その少し後ろ。
もう一人――
エレノアより、少し年上に見える少女が、静かに立っていた。
視線だけが、店内をゆっくりと見渡している。
感情の読めない、落ち着いた目。
けれど――
ただの付き添いではないと、本能的に分かる。
そして。
男が一歩、踏み込んだ瞬間――
――空気が、変わった。
ざわついていた店内が、不自然なほど静かになる。
リリアの声も、使用人たちの動きも、一瞬だけ止まった。
理由は分からない。
けれど――
誰もが、無意識に意識を向けてしまう。
そんな存在感だった。
男は店内を一瞥する。
カウンター、棚、導線、人の流れ。
まるで“値踏み”するかのように、淡々と見て回る。
少女は何も言わない。
ただ一歩後ろで、その様子を静かに見ている。
やがて男は、小さく息を吐いた。
「……」
わずかな間。
そして――
「――随分と、騒がしい店だな」
低く、抑えた声。
けれど、不思議とよく通る。
「悪くはねぇが――落ち着かねぇ」
「は、はい!? すみません!」
反射的にリリアが頭を下げる。
けれどその人物は、気にした様子もなく――
まっすぐに、こちらへと視線を向けた。
「で」
一歩、踏み出す。
靴音が、やけに響いた。
「どいつが――俺に会わせたい奴だ?」
その言葉に。
一瞬だけ、空気が止まる。
「あたしの目の前にいるじゃないかい――ローディス」
軽く肩をすくめながら、ヘルガーさんが口を挟む。
その声に。
男――ローディスの視線が、わずかに動いた。
ゆっくりと、こちらへ向けられる。
まるで品定めをするような、遠慮のない目。
そして――
「……あ?」
低く、短い声。
明らかに、納得していない。
そのまま、一歩。
距離を詰めてくる。
靴音が、やけに大きく響いた。
逃げ場は、ない。
けれど――
逃げるつもりもなかった。
「……なんだよ」
吐き捨てるように、呟く。
「会わせたい奴ってのは――このガキかよ」
値踏みするような視線が、上から下へと流れる。
そして、露骨に興味を失ったように鼻を鳴らした。
「俺は忙しいんだ」
一歩、身を引く。
「冷やかしなら――帰るぜ?」
踵を返しかける、その瞬間。
「待ちな」
ヘルガーさんの言葉に、ローディスの足が止まる。
完全に振り返ることはしない。
けれど――
わずかに、肩越しに視線だけを向けてきた。
「……なんだよ」
苛立ちを隠そうともしない声音。
それに対して、ヘルガーさんは肩をすくめる。
「この子は――あたしより腕のいい錬金術師だ」
一拍、置いて。
わざと、言葉を区切る。
「それに」
顎で、こちらを示す。
「例のポーションを作ってるのも、この子だよ」
その言葉が、静かに落ちる。
次の瞬間。
ローディスの動きが、ぴたりと止まった。
「こいつが?」
その言葉に、少女がわずかに眉をひそめた。
「お父さん。いくらなんでも、“こいつ”呼ばわりは失礼だって」
淡々とした声音。
けれど、はっきりと咎める口調だった。
ローディスは一瞬だけ、そちらに視線を向ける。
「……うるせぇな」
短く吐き捨てる。
だが、それ以上は言い返さない。
そして再び、こちらへ視線を戻す。
今度は、さっきよりもほんの少しだけ真面目な目で――
「名は?」
「エレノア・フォン・セレスティアです。」
名乗った瞬間。
ローディスの眉が、露骨にひそめられた。
「……セレスティア?」
低く、繰り返す。
そして――
「はっ」
鼻で笑った。
「貴族様じゃねぇか」
その声音には、明確な嘲りが混じっていた。
「で?」
じろり、とこちらを見下ろす。
「そんなお嬢様が、“例のポーション”を作ったって?」
一拍。
そして、吐き捨てるように言う。
「冗談きついぜ」
空気が、ぴり、と張り詰める。
「どうせどっかの職人か錬金術師に作らせて――」
視線が鋭くなる。
「手柄だけ横取りしたってとこだろ?」
あまりにも露骨な物言いだった。
店内の空気が、一瞬で冷え込む。
「……ローディス殿」
低く、抑えた声。
それまで沈黙を守っていた護衛の騎士が、一歩前に出る。
「それ以上の無礼は、見過ごせません」
静かな声だった。
けれど――
そこに込められた圧は、はっきりとしたものだった。
「次に同様の発言があれば――」
一瞬の間。
そして、はっきりと言い切る。
「王命錬金護衛隊の権限に基づき、拘束します」
その言葉に。
空気が、ぴたりと凍りついた。
(……王命錬金護衛隊?)
思わず、内心で繰り返す。
そんな名前は、聞いた覚えがない。
けれど――
“王命”の二文字だけで、その重みは十分すぎるほど伝わってきた。
店内の空気が、一気に張り詰める。
リリアたちも、言葉を失っている。
だが――
「……はっ」
ローディスは、面白そうに口の端を歪めた。
「物騒だな、貴族様は」
そう言いながらも。
その目は、依然としてこちらを射抜いていた。
「違うってんなら、見せてみろ」
一歩、距離を詰める。
「そうだな……」
わずかに顎に手を当て、考える素振り。
「腕のいい錬金術師か見極めるなら――錬成が一番分かりやすい」
そして、こちらを見据える。
「素材を選ぶところから、俺に見せてみろ」
淡々とした声音。
けれど――
それは明確な“試験”だった。
周囲の空気が、一段と張り詰める。
リリアたちも、思わず手を止めてこちらを見ている。
視線が集まる。
逃げ場はない。
けれど――
「……いいですよ」
自然と、言葉が出た。
迷いは、なかった。
むしろ。
ほんの少しだけ――
楽しいとすら、思っていた。
視線を外し、素材棚へと向かう。
背中に、鋭い視線を感じる。
振り返らなくても分かる。
ローディスが、こちらを見ている。
――値踏みするように。
背中に突き刺さる視線を感じながら、私はアトリエの素材棚へと目を向けた。
一通り視線を走らせる。
その中で――
丁度よさそうな素材を見つけた。
――大地の石と、銀。
どちらも、特別珍しい素材ではない。
ありふれている、と言ってもいい。
だが――
実力を証明するのであれば。
むしろ、こういうシンプルな素材の方がいい。
誤魔化しが利かない。
技量が、そのまま結果に出る。
そう判断し、迷いなく手を伸ばした。
「大地の石と銀か」
ローディスはそう言いながら、私の手元を覗き込んだ。
その隣では、少女がわずかに眉を寄せてこちらを見ている。
「ありふれた素材じゃねぇか」
鼻で笑う。
「こんなシンプルなもんで、俺を納得させようってのか」
一拍。
そして、吐き捨てるように言った。
「――三十年早ぇぜ?」
挑発。
明確な、見下し。
けれど――
「そうですね」
手元から視線を外さず、静かに答える。
「だからこそ、です」
大地の石を軽く持ち上げ、状態を確かめる。
密度、含有魔力、微細な亀裂の有無。
問題ない。
次に銀へと視線を移す。
「複雑な素材ほど、誤魔化しが利きますから」
指先で表面をなぞりながら、続ける。
「単純な素材の方が、技量ははっきり出ます」
そのまま、作業台へと素材を並べる。
「違いますか?」
視線だけを、わずかに横へ向ける。
ローディスと、目が合う。
一瞬の沈黙。
そして――
「……はっ」
ローディスが、口の端を歪めた。
「言うじゃねぇか」
さっきまでとは違う。
ほんのわずかに――
興味の色が混じっていた。
私は、二つの素材を錬成釜の中へ入れ、火をつけた。
釜の温度が上がるにつれ、銀と大地の石は徐々に溶けていく。
やがて、頃合いを見計らい――
魔力を込めながら、ゆっくりと攪拌していく。
焦る必要はない。
だが、遅すぎてもいけない。
慎重に、“最適な瞬間”を見極める。
次第に、二つの素材は均一に混ざり合っていく。
ムラがある時に見られる濁りは、一切ない。
むしろ――
キラキラと、内側から輝くような光を帯びていた。
その光景を見て。
ローディスが、低く呟く。
「……一応は、それなりに腕は良いみたいだな」
素直とは言い難いが、それでも評価の言葉。
その隣で、少女が小さくため息をついた。
「お父さん。納得したなら、ちゃんと謝るんだよ?」
たしなめるような声音だった。
「うるせぇ! ここまではそれなりの錬金術士でもできる!」
吐き捨てるような言葉。
その一言に、ヘルガーさんは呆れたように肩をすくめた。
「相変わらず、めんどくさいやつだな……」
小さく息を吐いてから、ちらりと私を見る。
「十歳でここまでできる子が、世界に何人いるか数える方が大変だと思うがな」
「年齢なんざ関係ねぇ」
間髪入れず、ローディスは切り捨てた。
「結果がすべてだ」
鋭い視線が、再び錬成釜へと向けられる。
――だが。
その時にはもう。
私の手は、次の工程へと移っていた。
やり取りをしている間に、溶けた素材はすでに型へと流し終えている。
インゴットを成形するための金型。
そこに注がれた銀と大地の石の混合体は、静かにその熱を失い始めていた。
あとは――
冷え、固まるのを待つだけ。
「……は?」
間の抜けた声が、ローディスの口から漏れる。
視線が、釜と金型の間を行き来する。
「おい、今……」
言いかけて、止まる。
その表情には、わずかな困惑。
そして――
見逃したことへの、苛立ちが混じっていた。
少女もまた、目を丸くして金型を見つめている。
「いつの間に……」
小さく、呟いた。
私は何も答えず、ただ静かにその様子を見守る。
工程に無駄はない。
見せびらかす必要もない。
結果だけが、そこにある。
「言い合っている間に終わりましたよ?」
淡々と告げる。
「なっ――」
ローディスが言葉を詰まらせる。
その視線が、金型へと釘付けになった。
やがて。
ゆっくりと、金型から取り出されたインゴットが姿を現す。
――静かに、光を放っていた。
ただの銀ではない。
大地の石と完全に調和し、不純物の気配すら感じさせない均一な輝き。
「……おい」
低い声。
先ほどまでの棘は、ほとんど消えている。
「それ、貸せ」
差し出された手。
私は無言で、インゴットを手渡した。
受け取った瞬間。
ローディスの表情が、変わる。
「……軽い?」
違和感に眉をひそめ、すぐに持ち直すようにして握り直す。
重さはある。
だが――
「密度が……いや、違う」
ぶつぶつと呟きながら、指先で表面をなぞる。
「混ざり方が、異常だ……」
完全に。
職人の顔になっていた。
その隣で、少女が小さく笑う。
「ほら、お父さん」
にやりと口元を緩めて。
「そろそろ、言うことあるんじゃないの?」
「……ちっ」
舌打ちひとつ。
それから、いかにも不機嫌そうに視線を逸らし――
「一応は認めてやる。ローディスだ」
ぶっきらぼうに名乗った。
……いや。
それ、謝ってないよね?
おっさんのツンデレなんて見たくないんだけど。
思わず苦笑いが浮かぶ。
すると。
「お父さん!」
すかさず、少女――リシェルが声を上げた。
完全に呆れた顔だ。
「……ったく」
ローディスは頭をかき、わずかに視線をこちらへ戻す。
「……悪かったな」
小さく、ぼそりと。
それだけ言うと、またそっぽを向いた。
だが。
その一言で、十分だった。
リシェルは満足したように頷くと、改めてこちらへ向き直る。
「お父さんがごめんなさい」
ぺこりと、丁寧に頭を下げる。
「私はリシェルです。よろしくお願いします」
まっすぐで、礼儀正しい声。
先ほどまでのやり取りが嘘のように、場の空気がわずかに和らいだ。
「……礼儀はちゃんとしてやがるな」
ぼそりと、ローディスが呟く。
そのまま、もう一度インゴットへと視線を落とし――
軽く、鼻で笑った。
「気に入らねぇが……腕は本物だ」
一拍。
そして、面倒くさそうに頭をかく。
「ヘルガーから聞いてる話だが――」
ちらりと、こちらを見る。
「提携の件」
間を置いて。
ぶっきらぼうに、言い放った。
「……認めてやるよ」
その一言に。
空気が、わずかに動いた。
リシェルがほっとしたように息をつき、ヘルガーさんはニヤリと口元を歪める。
「素直じゃないねぇ、相変わらず」
「うるせぇ」
即座に返すローディス。
だが――
その顔には、先ほどまでの棘はもうなかった。




