104話 準備完了、動き出すアトリエ②
「「いらっしゃいませー!!」」
アトリエ開店の直後、一人の女性が入ってきた。
女性は店内を一通り見回すと、メルの店へまっすぐ歩いていく。
「この丸パンを五つください」
「丸パン五つですね! 750ルミナです!」
軽やかなやり取りとともに、紙袋が手渡される。
「はい、ありがとうございましたー!」
明るい声。
女性も満足そうに頷き、そのまま店を後にしていった。
扉が閉まる音が、小さく響く。
――沈黙。
「……」
「……」
ほんの一瞬、静けさが戻る。
ゆっくりと、視線を横へ。
そこには、どこか得意げな顔で立つメル。
「……初客、そっちに持っていかれたんだけど」
「えへへ、ありがとうございます!」
「褒めてないのよ?」
即座に返す。
だが、口調に棘はない。
「……まあ、売れたならいいけど」
小さく息を吐く。
最初の客。
それがどういう形であれ、“売れた”という事実は大きい。
ゼロではない。
それだけで、十分な前進だ。
「次はこっちに来るかもしれませんよ!」
「そう簡単にいくかしらね……」
肩をすくめる。
とはいえ。
さっきの様子を見る限り、まったく興味を持たれていないわけでもなさそうだ。
視線を店内へ戻す。
そのときだった。
次の客が入ってくる。
今度は若い男性。
きょろきょろと周囲を見回しながら、一歩、二歩――
そして。
――迷いなく、メルの方へ。
「すみません! おすすめってどれですか?」
「はい! 今焼きたての丸パンと、それから――」
メルが少しだけ胸を張る。
「お米を使った、手で握った軽食もあります!」
「お米……?」
「はい! 中に具を入れていて、そのまま食べられますよ!」
「へぇ……じゃあ丸パンで!」
「ありがとうございます!」
軽快に決まる。
会計、受け渡し、笑顔。
流れるような一連の動作。
――早い。
思考する暇すらない。
男性は満足そうに店を出ていった。
扉が閉まる。
……そして。
また、次の客。
今度は二人連れの女性。
入ってきた瞬間、ふわっとパンの香りに気づいたのか、顔を見合わせる。
「いい匂いしない?」
「するする!」
――決まり。
二人はそのまま、一直線にメルの方へ。
「これ何種類あるんですか?」
「いくつかありますよ! こっちが――」
楽しそうな会話。
選ぶ時間すら、楽しさに変わっている。
私はその様子を横目に見ながら、静かに棚を整える。
……まあ、そうなるわよね。
さらにもう一人。
今度は年配の女性。
入口で少しだけ立ち止まり、店内を見回す。
一瞬、視線がこちらの棚に向いた。
――来るか。
ほんのわずかな期待。
だが。
「パン、まだあるかしら?」
「ありますよー!」
――はい、そっちね。
迷いなし。
即決。
私は軽く視線を落とした。
「……全員、そっち行くわね」
「えへへ、大人気です!」
メルは悪びれもせず、にこにこと答える。
……知ってる。
見れば分かる。
「いや、分かりやすすぎるのよ」
「そうですか?」
「ええ。匂いで引き寄せて、見た目で安心させて、選ばせてる」
「……?」
きょとん、と首を傾げるメル。
無自覚。
完全に感覚でやっているタイプ。
――厄介ね。
私は小さく息を吐いた。
対してこちらは。
無臭ではないが主張の弱い薬草の香り。
見ただけでは用途が分からない瓶。
そして、説明が前提の商品。
比べるまでもない。
「……まあいいわ」
ぽつりと呟く。
焦る必要はない。
これは想定内。
むしろ――
「最初は、こんなものよね」
誰もが手に取りやすいものから売れていく。
それは自然な流れだ。
だからこそ。
ここからどうするか、が問題になる。
視線を上げる。
店内には、まだ数人の客。
そのうちの一人が、ほんの少しだけこちらの棚に視線を向けていた。
――ゼロじゃない。
それで十分。
私は静かに瓶の向きを整えた。
手に取りやすく。
見やすく。
ほんの小さな変化でも、意味はある。
――その一歩を、積み重ねるだけだ。
そう思った矢先だった。
「……あれ、あっち何だ?」
入口付近で立ち止まった二人組の声が、耳に入る。
視線を向ける。
装備、立ち方、視線の配り方。
――冒険者。
軽装の男と、ローブを羽織った女性。
互いに短く言葉を交わしながら、店内を見ている。
「パン屋かと思ったけど……隣、なんか違くね?」
「瓶ばっかり並んでるわね」
女性の方が、わずかにこちらへ視線を向ける。
ほんの一瞬。
だが、確かに“認識した”視線。
――来る。
私は手を止めず、瓶の位置を整えながら待つ。
呼び込まない。
無理に視線も合わせない。
あくまで、“そこにある”状態を保つ。
「……ちょっと見てくる」
男がそう言って、一歩こちらへ。
女性も続く。
足音が、こちらへ近づいてくる。
――初めてだ。
自分の側に、客が“選んで”来るのは。
「……ここ、何売ってんだ?」
棚の前で立ち止まり、男が口を開く。
「錬金術による調合品を扱っています」
簡潔に答える。
余計な言葉は乗せない。
「調合品……ってことは、ポーション系か?」
「はい。ローポーションからハイポーションまでの回復ポーションに、マナポーション、解毒ポーションを扱っています」
「……へぇ」
男は棚に並ぶ瓶を見回す。
視線の動きが早い。
種類と配置を一瞬で把握しようとしている。
――慣れてる。
「ハイポーションもあるのか?」
「あります」
「この辺で売ってるの、だいたいローポーション止まりだぞ」
「そうですね」
短く肯定する。
女性の方が、一歩前に出る。
「効果、どのくらい?」
「ローポーションですと、通常のローポーションの二倍の回復効果があります」
「……二倍?」
女性が眉をひそめる。
「はい」
短く答える。
「それ、本当か?」
「事実です」
視線は逸らさない。
「……」
二人の間に、わずかな沈黙が落ちる。
疑い。
だが同時に、無視できない魅力。
女性が、ゆっくりと口を開く。
「ハイポーションは?」
「同様に、既存のものより高い回復性能があります」
「どのくらい?」
「そこまでは、わかりません...... 王城が主に買っていくので」
「そこまでは、わかりません……王城が主に買っていくので」
「……は?」
男の声が一段低くなる。
女性も、ぴたりと動きを止めた。
「王城って……あの王城か?」
「はい」
短く答える。
特に隠す必要もない。
「……おいおい」
男が額を押さえる。
「なんでそんなとこに卸してるもんが、普通に店に並んでんだよ」
「余剰分を販売しています」
「余剰ってレベルじゃねぇだろ……」
呆れたように呟く。
女性が、改めて棚を見る。
その視線は先ほどまでとは明らかに違う。
「……品質は保証されてる、ってことね」
「はい」
「王城が使ってるなら、少なくとも偽物ではないわね」
「その通りです」
淡々と肯定する。
男が小さく笑った。
「なるほどな……話が早ぇ」
手に持っていた瓶を軽く掲げる。
「じゃあ、試す価値は十分ってわけだ」
「はい」
無駄な言葉は加えない。
女性がこちらを見る。
「副作用は?」
「確認されていません」
「……断言するのね」
「使用実績がありますので」
「王城で?」
「はい」
「……」
一瞬の沈黙。
そして、女性が小さく息を吐いた。
「決まりね」
「ああ」
二人は頷き合う。
「試させてもらうわ」
「はい」
用意していた小瓶を差し出す。
「いくらだ?」
「ハイポーションとローポーション三本で150,000ルミナです」
「…………は?」
男の思考が止まる。
「……今、なんて?」
「150,000ルミナです」
「――はぁ!?」
今度はしっかり声が出た。
女性も固まっている。
「ちょっと待って」
額に手を当てる。
「ハイポーションはまぁ分かるとして……ローポーションも入ってるわよね?」
「はい」
「三本よね?」
「はい」
「……合計で?」
「はい」
「…………」
沈黙。
数秒。
男がゆっくり口を開く。
「桁、一つ多くねぇか?」
「王城に納品している価格と同じなので……」
「……は?」
思考が止まる音がした。
「同じって……あの王城と?」
「はい」
即答。
「値引きとかじゃなくて?」
「していません」
「……」
男が天井を仰ぐ。
「いや待て、普通逆だろ……王城の方が高くて、一般向けはちょい落とすとかじゃねぇのか?」
「品質は同一ですので」
「……」
「一応、条件に合えば王城から補助金が出て市場価格と同じ価格になりますが……」
「……は?」
男がぴたりと動きを止める。
「今なんつった?」
「条件に合致した場合、王城から補助金が支給されます」
「……マジか」
女性が一歩踏み込む。
「条件って?」
「王城が必要と判断した案件に従事する者、緊急性が高い怪我や病を患った者が家族にいる場合です」
「……」
一瞬、空気が変わる。
男がゆっくりと視線を上げる。
「……ちなみにだが」
「はい」
「俺らみたいな普通の冒険者は――」
一拍。
「もちろん対象外、だよな?」
「はい」
即答。
「現時点では対象外です」
「だよなぁ……」
苦笑が漏れる。
「そんな都合よくいくわけねぇか」
女性も肩をすくめる。
「それこそ魔軍激突」レベルの案件じゃないとダメということ?
「そこは、王城が判断するのでわかりませんが恐らくそうかと......」
「私たちが普段受けてる依頼じゃ、まず引っかからないわね」
「そうなります」
淡々と肯定する。
「……現実は厳しいな」
男が息を吐く。
「でも」
女性が言葉を続ける。
「逆に言えば、そこまで行けばこれが“普通に使える”ってことよね」
「はい」
「夢はあるわね」
「だな」
二人は小さく笑い合う。
重くなりすぎない程度に、受け止めている。
「ま、今は――」
「試すだけ試すか」
「そうね」
二人は頷き合う。
「効いたら、その時また考える」
「ええ、お待ちしています」
二人は小瓶を受け取り、店を後にした。
扉が閉まる。
――静寂。
「……はっきり言いましたね」
横から、少し苦笑混じりの声。
「事実よ」
「でもちょっとだけ期待してましたよ、あの人たち」
「そうね」
短く返す。
……分かる。
けれど。
線引きは必要。
「でも、なんか安心しました」
「安心?」
「はい。ちゃんと理由があって高いんだなって」
「そう」
「ただ高いだけじゃないって分かると、全然印象違いますね」
「価値には根拠が必要だから」
「なるほど……」
メルが何度も頷く。
そのまま、少し考えるように視線を落とした。
「でも私のパンも……」
「比べなくていいわ」
「ですよね!」
即復活。
……単純。
悪くない。
「でもでも!」
ぱっと顔を上げる。
「こっちも負けないくらい頑張りますよ!」
「ええ」
「いっぱい売って――」
――その時。
「すみませーん! パンまだありますか!?」
「え、あ、はい! あります――」
「こっちもください!」
「並んでいいですか!?」
「焼きたてって聞いて来ました!」
「え、ちょ、え!?」
一気に、人。
声。
熱。
流れ込む。
「メル」
「は、はい!?」
「来たわね」
「来ましたああああ!?」
完全にパンク寸前。
「一列でお願いします! 一列で――ああもう押さないでくださいー!」
「こっち会計待ちですか!?」
「違いますそっちは受け取りですー!!」
「きゃああああ!?」
――崩壊。
「……」
静かに見つめる。
処理が追いついていない。
動線が死んでいる。
典型的な“想定外の来客”。
――その時。
「ちょっと何この列!?」
入口から駆け込んでくる影。
「リリア!」
「メル、大丈夫!? 外まで並んでるんだけど!」
「助けてください!!」
「でしょうね!!」
即断。
そのまま中へ。
「はい並んで! 一列! 押さない!」
「会計こっち、受け取りそっち! 分けて!」
「焼き上がり今出すからちょっと待って!」
一気に流れが整理される。
淀みが消える。
回り始める。
……見事。
「……すごいですね」
ぽつり。
「ええ」
短く返す。
視線を戻す。
こちらは変わらず静か。
あちらは戦場。
でも――
どちらも、順調。
「……悪くないわね」
小さく呟く。
私は静かに、次の客を待った。




