87話 新たな扉、魔法学院へ①
初夏の柔らかな陽光が、エレノアの屋敷の庭を優しく照らしていた。
青々とした草木は風に揺れ、穏やかで心地よい時間が流れている。
その日の朝、アメリアお姉様とルーカスお兄様は、いつも通り魔法学院へと登校していった。
――そして、屋敷に静けさが戻った頃。
時計の針が、ゆっくりと十の刻を指す。
「さて、そろそろ出発する準備をしようかな……」
私はそう呟き、手にしていたマグカップの中身を飲み干すと、そっとテーブルへ置いた。
椅子から立ち上がり、二人に声を掛けた。
「今から魔法学院の見学に行く準備をするから、手伝ってもらってもいい?」
その声掛けにメルとリリアは、頷き自室へと向かう。
時計の針が、ゆっくりと十の刻を指す。
「さて、そろそろ出発する準備をしようかな……」
私はそう呟き、手にしていたマグカップの中身を飲み干すと、そっとテーブルへ置いた。
椅子から立ち上がり、二人に声を掛けた。
「今から魔法学院の見学に行く準備をするから、手伝ってもらってもいい?」
その声掛けにメルとリリアは、頷き自室へと向かう。
「我々は、馬車の準備と護衛の準備を行います!」
力強い声が響いた。
視線を向けると、そこにはいつも屋敷の周囲で見かける護衛たちの姿があった。
一糸乱れぬ動きで一礼すると、そのまま迷いなく持ち場へと散っていく。
その動きは相変わらず無駄がなく、見ているだけで只者ではないと分かる。
「……やっぱりすごいね、あの人たち」
思わず呟くと、リリアが穏やかに微笑む。
「エレノア様をお守りする護衛の人たちですから」
「うん、安心するよね」
そんな話をしていると自室の扉の前までやってきた。
メルが扉をあけ中へ入ると着替えを開始した。
「今日は、魔法学院に行かれるのでしたら、こちらの動きやすい衣装がよろしいかと」
「エレノア様をお守りする護衛の人たちですから」
「うん、安心するよね」
そんな話をしていると自室の扉の前までやってきた。
メルが扉をあけ中へ入ると着替えを開始した。
「今日は、魔法学院に行かれるのでしたら、こちらの動きやすい衣装がよろしいかと」
「エレノア様をお守りする護衛の人たちですから」
「うん、安心するよね」
そんな話をしていると自室の扉の前までやってきた。
メルが扉をあけ中へ入ると着替えを開始した。
「今日は、魔法学院に行かれるのでしたら、こちらの動きやすい衣装がよろしいかと」
そう言いながら、リリアが手にしていたのは、上品さを残しつつも動きやすさを重視した衣装だった。
淡い色合いの生地に、過度にならない程度の装飾。
貴族らしい気品を保ちながらも、活動の邪魔にならない実用性が感じられる。
「これなら……歩きやすそう」
私がそう呟くと、メルが小さく頷いた。
「はい。学院内は広いですし、見学で歩かれる時間も長くなるかと思いますので」
「なるほど……」
納得して頷くと、二人は手際よく着替えを手伝ってくれる。
袖を通し、裾を整え、細かな乱れを丁寧に直していく。
その動きは無駄がなく、見ているだけで安心感があった。
「髪も整えますね」
リリアが背後に回り、櫛で優しく髪を梳いていく。
さらりと流れる感触に、思わず目を細めた。
「はい、これで整いました」
「とてもお似合いですよ、エレノア様!」
そう言われて鏡を見ると、そこには少しだけ雰囲気の違う自分が映っていた。
「……うん、ありがとう」
小さく頷き、私は立ち上がる。
「それじゃあ、行こうか」
「はい、ご一緒に参りましょう」
二人に挟まれるようにして部屋を出る。
――魔法学院へ向かうために。
屋敷の前へと出た、その瞬間。
思わず足が止まった。
「……え?」
視線の先にあったのは、用意されていた馬車。
――けれど、それはエレノアの知っている“馬車”とはどこか違っていた。
磨き上げられた車体。
上品で無駄のない装飾。
それだけなら、貴族の馬車として珍しくない。
だが――
「……なんか、すごくない?」
ぽつりと呟くと、近くに控えていた護衛の一人が一歩前に出る。
「はい。今後、エレノア様のご移動には、こちらの馬車を使用いたします」
「え、これを?」
思わず聞き返す。
「はい。安全性を最優先に設計されたものです」
簡潔な説明。
けれど、その一言で十分だった。
「へぇ……」
改めて馬車を見上げる。
やはり、ただの馬車じゃない。
近くにいるだけで感じる、不思議な安心感。
「……なんか、守られてる感じがする」
無意識にそう呟くと、護衛は静かに頷いた。
「その認識で問題ございません」
それ以上の説明はない。
けれど――
(……すごいものなんだろうな)
細かいことは分からなくても、それだけは分かる。
「じゃあ、これからはこれで移動なんだね」
「はい」
短く、確かな返答。
私は小さく頷くと、馬車へと一歩踏み出した。
これが“当たり前”になることの意味を――
まだ、深く考えることもなく。
差し出された手を軽く取り、私は馬車へと足をかけた。
一歩。
そして――
中へ入った、その瞬間。
「……え?」
思わず、声が漏れた。
視界に広がったのは――
広い。
明らかに、広い。
外から見た大きさとは、どう考えても一致しない空間がそこにあった。
柔らかな絨毯。
ゆったりとしたソファ。
小さなテーブルに整えられた茶器。
それだけじゃない。
少し奥には、さらに空間が続いているのが見える。
簡易的な寝台らしきものや、収納、簡素ながら生活できる設備まで整っていた。
「……あれ?」
後ろから入ってきたメルも、同じように足を止める。
「……広く、ないですか……?」
リリアも続いて入ってきて、言葉を失ったように周囲を見回していた。
「だよね……?」
三人で顔を見合わせる。
どう見てもおかしい。
馬車の中だ。
なのに――
「部屋……どころじゃないよね、これ」
ぽつりと呟くと、メルがゆっくりと頷く。
「はい……小規模な住居、と言っても差し支えないかと……」
「……住めるよね?」
その一言に、リリアが少し考え込む。
「十人程度であれば、問題なく生活可能かと……」
「十人……?」
思わず聞き返してしまう。
馬車の中で?
そんなことある?
理解が追いつかないまま、私は視線を巡らせる。
すると――
「ご説明いたします」
外に控えていた護衛の一人が、扉越しに静かに声をかけてきた。
「この馬車には空間拡張の魔法が施されております」
「空間拡張……」
聞いたことはある。
けれど――ここまでの規模は聞いたことがない。
「加えて、防護結界、対魔法・対物理耐性、魔力認証による施錠機構を搭載しております」
淡々と続く説明。
「緊急時には転移魔法陣による離脱も可能です」
「……え?」
思わず、変な声が出た。
「なお、本馬車は多くの術者が関わり、長距離移動時の運用を前提として設計されております」
「長距離……?」
「はい。外部施設を利用した際の各種リスクを排するため、本馬車内での滞在を前提としております」
そこまで聞いて、ようやく全部が繋がる。
「……だから、住めるんだ」
ぽつりと呟くと、護衛は短く応じた。
「はい」
あまりにもあっさりとした肯定。
けれど、その一言がすべてだった。
「……すごい」
それしか言葉が出てこない。
理解はできない。
けれど――
「ほんとに、すごい馬車なんだね」
「ご安心いただければ何よりです」
簡潔な返答。
それ以上は語られない。
でも、もう十分だった。
「なんか……普通に暮らせそう、どころじゃないね」
苦笑しながら言うと、メルとリリアも頷く。
「ええ、長期滞在も可能かと」
「もはや移動手段というより……拠点ですね」
「……だよね」
小さく笑って、ソファに腰を下ろす。
ふかり、と沈み込む感触。
その心地よさに、思わず息が漏れた。
「……なにこれ、すごい」
外見からは想像もつかない空間。
――まるで、小さな屋敷みたいだ。
その間に、扉が静かに閉じられる。
外の喧騒が、すっと遠ざかった。
完全に切り離された、安心できる空間。
馬車は静かに動き出す。
その揺れすらほとんど感じさせないまま――
エレノアを乗せた“移動式の安全拠点”は、学院へと向かい始めた。
馬車は静かに王都の街を進んでいく。
その動きは滑らかで、ほとんど揺れを感じさせない。
だが――
周囲の視線は、明らかにその一行へと集まっていた。
「……なんだ、あの馬車」
「貴族のものか……?」
「いや、それにしては護衛が……」
言葉が途中で止まる。
護衛の配置。距離。視線。
どれを取っても、ただの護衛ではない。
「……なんか、近づきづらくないか?」
無意識に距離を取る者が現れる。
理由は分からない。
だが、本能が告げていた。
――あれは、踏み込んではいけない領域だと。
「誰が乗ってるんだ……?」
ざわめきは、馬車が進むにつれて波紋のように広がっていく。
そして――
そのまま、馬車は魔法学院の門前へと到着した。
普段であれば、貴族の馬車が来ること自体は珍しくない。
だが――
「おい……見ろよ」
「あの馬車……なんか違くないか?」
「護衛の数、やばくないか……?」
学生たちが次々と足を止め、視線を向ける。
ただの来訪ではない。
それだけは、誰の目にも明らかだった。
「近づいていいのか……?」
「いや、ちょっと無理だろ……」
距離を取る者。
興味を抑えきれず見つめる者。
ざわめきは、一気に膨れ上がっていく。
その中で――
「……あれ」
ぽつりと呟いたのはアメリアだった。
「どうした?」
ルーカスが視線を追う。
そして――
二人は同時に息を呑んだ。
「……エレノアの」
「家紋……だよな」
見間違えるはずがない。
あの屋敷で、何度も目にしてきた紋章。
「行くよ!」
「おう!」
次の瞬間、二人は同時に駆け出した。
「おい、どこ行くんだよ!」
「待てって!」
背後から声が飛ぶ。
だが、止まらない。
一直線に馬車へと向かう。
その動きに、周囲の学生たちもざわつき始める。
「え、あいつら向かってるぞ……?」
「知り合いなのか……?」
「マジかよ……」
ざわめきは、さらに大きくなる。
その様子を、少し離れた場所から教師たちも見ていた。
「……あの馬車は」
一人の教師が低く呟く。
「ただの来訪ではありませんね……」
護衛の動き。空気。圧。
すべてが異質だった。
そして視線は、馬車の側面へ――刻まれた紋章へと向けられる。
「……まさか」
気づいた者から順に、表情が強張る。
だが――
不用意に動くことはできない。
ただ、状況を見守るしかなかった。
やがて――
馬車の扉が、静かに開かれる。
その瞬間。
空気が張り詰めた。
中から姿を現したのは――
「エレノア!」
「エレノア!」
アメリアとルーカスの声が重なる。
私はその声に顔を上げ――
「あ、お姉様にお兄様」
自然と笑みがこぼれる。
そのやり取りを見た瞬間。
「……え?」
「今、“エレノア”って……」
「名前呼び……?」
学生たちのざわめきが、一気に爆発した。
「おいどういうことだよ!」
「知り合いなのか!?」
「説明しろって!」
次の瞬間。
アメリアとルーカスの周囲に、学生たちが一斉に押し寄せた。
「え、ちょ、ちょっと待って!?」
「押すなって!順番に――!」
完全に飲み込まれる二人。
「だからエレノアは――!」
「待てって言ってるだろ!」
質問が飛び交う。
止まらない。
収まらない。
「どこの家なんだよ!」
「なんであんな馬車なんだ!?」
「お前らなんで知ってるんだよ!」
完全に“中心”になっていた。
その様子を見て、教師の一人が小さく息を吐く。
「……収拾がつかんな」
「はい……ですが、軽々しく介入も……」
判断が遅れる。
その間にも、騒ぎは拡大し続ける。
その光景を見ながら、私は小さく苦笑した。
「……大変そう」
ぽつりと呟くと、メルとリリアも頷く。
「ええ……完全に巻き込まれていますね」
「しばらくは抜け出せそうにありません」
その間にも――
「だから押すなって!」
「順番に聞けって言ってるだろ!」
騒ぎは、さらに大きくなっていく。
――しばらく収まりそうにはなかった。




