反撃の狼煙
明らかに様子がやばい。さっきの雄とは比較にならないほどの圧だ。
両手を握り込んで息を吐いても、震えはなかなか止まらない。それでも顔を上げて、棚の隙間からメスの姿を確かめた。
逃げられないなら、倒す方法を探すしかない。
メスは広場の真ん中で首を巡らせ、私を探していた。足元では根がじわじわと床を這い、少しずつこちらへ近づいてくる。
そのとき、焦げた根の切り口が目に入った。さっき酸で焼き切った場所だ。黒く焦げたまま、いつまでたっても再生する気配がない。
オスは周りの鉄の花を吸い上げて鎧にしていた。けれどメスの体には鉄が一枚もないし、鉄の花の光もメスのほうへは流れていかない。
体を直していたのはオスのほうだったんだ。だとしたら、今のあいつは削れば削っただけ弱っていく。
「……いける、かも」
声に出すと、少しだけ指先に力が戻った。
問題はヤツが上げる悲鳴だ。あれを聞いた瞬間に『魔力操作』の糸がぶちぶちと切れて、ファンネルが全部落ちた。でも裏を返せば、耳から入る音さえ弱めればいいということになる。
アイテムボックスを探ると、ポケットティッシュが出てきた。ほかに使えそうなものはない。私はティッシュを丸めて、両耳の奥まで押し込んだ。周りの音がすっと遠くなる。完全には防げなくても、少しはましになるはず。
それから、レベル25で取ったまま一度も使っていない『魔力付与』を試すことにした。相手は植物なんだから、効くのはやっぱり火だろう。
アーケード街で見たヘルハウンドの炎を思い浮かべながら、ファンネルにMPを流し込む。すると黒い杭の表面に火がつき、ぼっと音を立てて燃え上がった。
「ついた……!」
続けて二本目と三本目にも火を灯す。MPは流し続けないと消えてしまうけど、減り方はゆっくりだから、かなり長く燃やしていられそうだ。酸のファンネルにも炎を重ねてみると、緑がかった膜の上でオレンジ色の火が揺れた。重ねがけもできるらしい。
最後に、カセットコンロの予備のボンベを三本取り出しておいた。
腕の中のヨツバは、まだ小さく震えている。
「ヨツバ。あいつの根っこ、茨で押さえてくれる? 燃やすのは私がやるから」
ヨツバはしばらく動かなかった。けれど、やがて蔓の先で私の手の甲をとんと叩いてくれた。
「ありがと。……いくよ!」
棚の陰から飛び出した瞬間、足元の床が爆ぜた。
突き上がってきた根の槍をワープでかわすと、着地した先からも次の根が噴き出してくる。跳んでは避け、避けてはまた跳んで、私は広場の端から端へと追い立てられた。
「ヨツバ、今だ!」
床から茨が噴き出して、迫る根に絡みついた。根の槍がぎしぎしと軋み、空中で止まる。
その隙に、四本の炎のファンネルを根の群れへ横一文字に走らせた。炎の帯が広場を薙ぎ払い、焼かれた根は再生することなく炭になって崩れ落ちていく。
――ォオオオオオッ!!
メスが吠え、四本の腕を振り回した。展示棚がまとめて吹き飛び、砕けたガラスが頭上から降り注ぐ。私はワープで腕の隙間をすり抜けて、メスの懐へ飛び込んだ。
肩の付け根に炎のファンネルを二本突き立て、残りの二本で手首を焼き切る。太い腕が一本、床に落ちて燃え上がった。
すぐに別の腕が真上から振り下ろされた。ワープで逃れた直後、さっきまで立っていた石畳が粉々に砕け、飛んできた破片が頬を裂く。
続けて、メスの背中から黒い棘が何十本も撃ち出された。私はファンネルを回転させて棘を弾き落としながら後ろへ跳び、そのあいだにヨツバの茨が二本目の腕を床に縫い止める。そこへ酸と炎のファンネルを撃ち込むと、腕はじゅうっと溶け落ち、メスの巨体が大きく傾いた。
確実に削れている。このまま押し切れる。
そう思った直後、メスの球根がぶくりと膨らんだ。
私はボンベを三本まとめて胴体へ投げつけ、ぶつかる寸前に炎のファンネルで撃ち抜いた。
――ドオォォンッ!
!
オレンジ色の火の玉が球根を丸ごと飲み込んだ。熱風が広場を吹き抜け、天井に残っていたガラスが一斉に砕け散る。膨らみかけていた球根はぐしゃりと潰れ、悲鳴は上がらなかった。
メスがよろめき、焼け焦げた蔓が剥がれ落ちていく。その奥で、心臓のように脈打つ赤い光が一瞬だけ見えた。
核だ。あれを壊せば終わる。
踏み込もうとした瞬間、足元の床がぼこりと盛り上がった。
地中から突き上げてきた根がヨツバの茨を下から食い破り、そのまま私の左腕に巻きつく。けれど、根が狙っていたのは私じゃなかった。
「ヨツバっ!!」
ものすごい力で引っ張られる。ヨツバは私の手首や指に蔓を巻きつけてしがみついたけど、それでも少しずつ引き剥がされていった。どれだけ強く握っても、指のあいだを蔓がすり抜けていく。
「だめ、離さないで……!」
最後の一本が、指先から離れた。
ヨツバは根に絡め取られたまま、メスの胴体へと引きずられていく。
手のひらにはまだ蔓の感触が残っているのに、ヨツバは根にぐるぐる巻きにされて、赤い核が脈打つ胴体のすぐそばまで運ばれていく。あのままでは取り込まれて養分にされてしまう。
ふいに、あの夜のことが頭をよぎった。真っ二つにされたファンネルと、屋上から見下ろしていた七つの人影。あのとき、私は逃げることを選んだ。
そして今も、天井の茨さえ焼き切れば、一人だけなら外へ出られるかもしれない。
……でも、今回ばかりは逃げるわけにはいかないんだ。
図書館は取られたし、愛用の武器もへし折られた。そのうえ逃げた先でヨツバまで置いていくなんて、絶対に嫌だ。
一緒に逃げて、一緒に家を建てた自慢の相棒なのだ。
「返して……うちの子、返してよっ!!」
気づけば立ち上がっていた。膝はまだ震えていたけど、もう止まる気はなかった。
メスが残った二本の腕を振りかぶり、同時に床から根の槍が突き上がる。私は根の槍をワープでかわし、振り下ろされた腕の上に着地して、そこからまた跳んだ。跳ぶたびに炎のファンネルで根を斬り払い、ヨツバとの距離を詰めていく。
背中から放たれた黒い棘が肩をかすめ、ローブを裂いた。傷口が焼けるように痛む。それでも足は止めずに、次の棘をファンネルで弾き返した。
あと少しでヨツバに届く。そのとき、メスの球根がまた膨らんだ。ボンベはもう残っていない。
耳の奥を引っかき回されるような感覚に、視界がぐらりと揺れた。
けれど、ファンネルは落ちなかった。ティッシュ越しに届く悲鳴は、さっきよりずっと小さい。
『魔力操作』の糸も、まだちゃんとつながっている。
今しかない。
四本のファンネルを呼び戻し、ひとつに束ねて巨大な槍にした。センチピードを貫いたときと同じ形だ。そこへ炎と酸を両方まとわせると、MPが一気に引きずり出されていく。くらりとめまいがしたけど、流し込むのはやめなかった。黒い槍が頭上で唸りを上げて燃え上がる。
ワープで跳ぶと、次の瞬間にはメスの真上にいた。
足の下で、赤い核がどくんどくんと脈打っている。そのすぐ横で、根に絡め取られたヨツバがこちらを見上げていた。
「――いっけえええええっ!!」
落ちながら、槍を真下へ撃ち下ろす。
槍は焼け焦げた胴体を突き破り、核に突き刺さった。岩に杭を打ち込んだような手応えが、腕の骨まで響く。それでも押し込み続けると、核はじゅうじゅうと音を立てて溶け、赤い光に亀裂が走った。
――ズドオォォンッ!!
核が砕けた瞬間、胴体の内側から炎が噴き上がった。火柱が天井の茨を突き破り、広場全体を赤く照らす。メスの巨体は大きくのけぞり、四本の腕が糸の切れた人形みたいにだらりと垂れ下がった。
そして、ヨツバを縛っていた根がほどけた。
「ヨツバ!」
落ちてくるヨツバを両手で受け止め、そのまま背中から床に叩きつけられた。息が詰まる。それでも、腕の中を確かめずにはいられなかった。
「ヨツバ、大丈夫!? ねえ、返事してよ……!」
ヨツバはくたりとしたまま動かない。
しばらくして、蔓の先がゆっくりと持ち上がった。そして私のほっぺたを、ぺちぺちと二回叩いた。
「……よかったぁ」
声が震えて、それ以上は言葉にならなかった。涙がぼろぼろこぼれてくる。私はヨツバを抱きしめたまま、しばらく起き上がれなかった。
どれくらいそうしていたんだろう。ふと気づくと、崩れていくメスの体の中で、核のかけらが熾火みたいに赤く光っていた。ヨツバがそちらへ蔓を伸ばしている。
「……食べたいの?」
蔓がこくんと頷いた。さっきまで自分を食べようとしていた相手を、今度は食べ返すつもりらしい。なんてたくましいんだ、うちの子は。
念のため鑑定してみる。
【名称:雌株の根核(破片)】
【等級:レア】
【備考:アルラウネの母体の核の欠片。植物系の存在にとって極めて高い滋養を持つ】
「いいよ。ヨツバが頑張ったんだもんね」
ヨツバが蔓を絡めると、かけらはすうっと吸い込まれていった。次の瞬間、ヨツバの体がまぶしい緑色に光り出す。
【従属個体『ヨツバ』が規定量の滋養を吸収しました】
【『ヨツバ』が進化します】
【擬態蔓 → 棘冠蔓】
【ヨツバが、スキル『鉄棘』を取得しました】
【効果:周囲の金属成分を取り込み、茨の棘を鋼鉄化する】
光が引くと、ヨツバの蔓は一回り太くなり、深い緑色に変わっていた。蔓の先には、赤い花がひとつ咲いている。
「うちの子にきれいな花が咲いた!今夜はお赤飯だ!!」
ヨツバは得意げに、花をふりふりと揺らしてみせる。
ヨツバの進化を喜んでいると、私のほうにも通知が入ってきた。
【経験値を大量に獲得しました】
【レベルが上がりました! Lv.26 → Lv.29】
汐見 凪
Lv. 29(+3)
HP: 385/385(+85)
MP: 3326/3326(+421)
筋力: 187(+48)
耐久: 209(+51)
敏捷: 230(+54)
器用: 255(+57)
幸運: 180
(補正値:耐久+153 敏捷+30)
「一気に三つも……」
レベル31の相手を正面から倒したのだ。じわじわと実感が湧いてきて、私は思わず拳を握った。
メスの体が粒子になって消えると、ヨツバが一番大きなかけらを蔓で押してよこした。
【名称:雌株の根核】
【等級:レア】
【備考:アルラウネの母体の核。強い生命力と柔軟性を持つ。金属成分を溜め込む素材と合わせることで、しなやかさと硬さを兼ね備えた素材となる】
金属を溜め込む素材と聞いて、すぐにオスの『鉄蓄えの球根』が浮かんだ。あの球根とこの核を合わせれば、新しいファンネルが作れるかもしれない。
微妙だなんて言って悪かった。ちゃんと使い道あったじゃん。
入り口を塞いでいた茨がゆるゆるとほどけ、天井の網も崩れ落ちていく。割れたガラスから夕日が差し込み、焦げた広場を橙色に染めた。耳からティッシュを抜くと、風の音と遠くの鳥の声が戻ってくる。
ヨツバを左腕に戻すと、太くなった蔓が前よりしっかりと巻きついてきた。手首のあたりで赤い花が揺れている。
「帰ろっか、ヨツバ」
図書館を飛び出したあの夜とは違った。今日は何も奪われなかったし、奪われかけたものはちゃんと取り返したのだ。
帰ったら、ヨツバには一番いい肥料をあげよう。私は焼き鳥の缶詰を開けよう。それくらいのご褒美は許される!
そう決めて、夕日の中を家へと歩き出した。




