ベッドルーム(一)
敏はやっと、家の前まで来た。
インターホンを迷いなく押して声をかける。
「僕だよ」
門扉はカチャリと小さな音がした。取っ手を回し庭に入る。
玄関をめがけてダッシュした。
玄関のドアは、すでに鍵が開いていて、手を掛けただけですぐに開いた。
玄関の床には、純が座り込んでいた。うつむいて、くずおれる寸前の姿。足元は裸足。
敏はびしょ濡れのまま、純に近づいた。
「純ちゃん・・・」
「ごめんなさい。わたしが悪いの・・・」
敏は立ち上がらせようと、手を差し伸べた。
純はそれには応じず、両の手のひらで顔を覆って、床に頭が触れそうなほどうなだれてしまった。
すすり泣く声。嗚咽。
敏は手にしていた傘を捨て、純の両脇に手を差し入れて、抱きかかえようとした。
柔らかな純の肌を、Tシャツ越しに感じる。肌がやけに熱い・・・。
「純ちゃん。熱があるの?すごく熱いよ?」
「わかんない・・・寒い・・・寒い・・・」
純が身震いをする。
「こんなところに座ってちゃダメだ。ベッドに行こう」
敏はためらわず、純を抱きかかえた。
「僕の首につかまって」
純は敏の首に両腕を回すと、彼の右頬のわきに顔をうずめた。
敏の頬に当たる純の額がとても熱い。
敏ののどに吐息がかかるが、それも熱い。
「いつからこんなだったの?」
「・・・憲人とは、何でもないの。本当に何でもないの・・・」
敏の問いかけなど、泣きじゃくる純の耳には届いてないようだ。
「憲人の小母様の・・・お見舞いに・・・行く約束・・・だった・・から・・・ただ、それだけ・・・」
純がしゃくりあげながら、やっとのことで言葉をつなげる。
敏は、純を抱いたまま、ベッドルームのドアを脚で開けた。
寝ていた跡のある、乱れたベッド。
そっと純を下ろし、寝かせようとしたが、純は敏を離そうとしない。
「憲人には、何度も告白されたけど、『Yes』の返事はしてないの・・・どうしても出来なかった・・・」
敏の首元に顔をうずめながら、うわ言のようにつぶやく。
「憲人は・・・大事な人だけど、・・・そういうことじゃない・・・わかって・・・」
すすり泣きながら、敏の首に回した腕に力を込める。
「わかってる・・・わかってるよ・・・」
敏も涙ぐみそうになった。
『・・・でも今は、泣いている場合じゃない・・・純ちゃんの熱、下げなきゃ』
「ちょっとだけ、手を離して。何か頭を冷やすもの、探してくるから」
純の身体から力が抜けて、ベッドに沈み込んでいく。
純のクリームイエローのTシャツとデニムのショートパンツが、敏のせいで濡れてしまっている。
敏は慌てて、びしょ濡れのパーカーを脱いだ。これまたびしょ濡れのジーンズを、どうしようか迷う。
とりあえずベッドの足元に置いてあるソファにパーカーを掛けようとして見ると、ソファに純が着ていたらしいライトグレーのスェットの上下が下がっていた。
スェットのズボンを借りることにして、濡れた靴を脱ぐと、隣の部屋に行き、グランドピアノの向こうで着替えて戻って来た。
純は起き上がっていて、ベッドの端に、惚けたように座っている。頬は涙の跡。
敏は、脱いだジーンスを広げてソファに置き、純の前まで戻る。
そして、彼女の前にひざまずいて、そっと彼女に額に手を当てた。
熱い。
「横にならないとダメだよ」
額に当てた敏の右手の手首を、純の右手が掴んで離そうとしない。
敏は左手の手のひらで、包み込むように純の右手を取った。
純を見つめる。
純の真っ赤な目。熱に潤んだ瞳。
どんな姿でも、いとしくてたまらない。
敏はそっと微笑んだ。
「何か、頭を冷やすもの、探してくるから。何かあるかな?」
「冷凍庫に、たぶん・・・」
「すぐ戻るから、横になって」
純を優しくベッドに寝かせると、敏はベッドルームをあとにした。
翔たちと出会ったリビングとダイニングを抜けて、キッチンに入る。
冷蔵庫の冷凍室に、アイスパックがあるのを確認したとはホッとした。
戻るときに、洗面所に気付いた。
洗面台の脇にタオル類があるのを見つけ、それもゲットした。
濡れた髪を拭きながら、ベッドルームに戻る。
窓の外は、強い雨風の音。揺れる木々のざわめき。
本来なら、まだ明るい時間のはずなのに、薄暗い。
純がベッドの中で、苦しそうに寝返りをうつ。
「枕をどかすよ」
純の巻き毛の頭をそっと持ち上げて、枕をはずした。
敏は、枕のしたに、黄色と茶色のものを見つけた。
『・・・ペンケース・・・』
それは、遠足の時、敏が純にプレゼントしたキリンの絵の付いたペンケース。
まだ開封されていない、ポリ袋がかかったままのもの。
「使ってなかったの?このペンケース・・・。なんでベッドに?」
タオルを巻いたアイスパックを枕の代わりに入れ、純に問いかけた。
純がだるそうに、うっすら目を開けた。
「敏君と一緒に眠っていたの・・・そうすれば怖い夢を見ない・・・」
「敏君・・・て」
今まで、『村上君』としか呼ばなかったのに・・・。
急に純が泣き顔になる。
「敏君・・・どこにも行かないで・・・そばにいて・・・お願い」
純の意識は、ここにあるのか、夢の中にあるのか。
純の手が、揺れながら敏を求めて来た。
敏の心のどこか・・・頭の中なのか、胸の奥なのか・・・どこかで、今まで聞いたことのない音が鳴ったような気がした。




