言ってはいけない言葉
夏休みが始まる前日。
西山高校は二学期制だから、夏休み前に終了式は無い。
三時間目まで授業があって、四時間目のロングホームルームで終わる。
教室の窓から見える夏空が、青くまぶしい。
ホームルームで、担任から夏休みの注意事項などを伝達される。
みんな、聞いているのかいないのか、騒がしい。
敏は、純としばらく会えないかと思うと、何かしらの約束を取り付けたかった。
ホームルームが終わって、帰宅の準備をする純に、敏は声をかけた。
「このあと、ちょっといいかな?」
「え?」
純の驚いた表情。
「その・・・このあと・・・」
敏が、もういちど同じ言葉を言おうとした。
「ごめんね。ちょっと用事があるの」
「何の?」
何気なく純に聞いてしまった。
「うん。ちょっと・・・約束が・・・」
純は口ごもる。
「それって、憲人との約束?」
「えっ?」
図星をさされて、純が驚いている。
『・・・言わなきゃよかった。今の自分は嫉妬のかたまりだ・・・』
そう分かっていても、自分を抑えきれない。
敏は純の腕を取り、教室の外のベランダに引っ張って行った。
教室に残っている生徒たちの視線など無視して。
「ねえ、憲人って、純ちゃんの何なの?」
「え?どういう・・・」
どういう意味で?と聞きたいのに、純の言葉は途切れる。
「校舎の裏で会ってたでしょ、憲人と・・・。何回も・・・見たんだ」
「それは・・・だから・・・」
純の胸は苦しくなって、喉が詰まったみたいに言葉が出ない。
『・・・純ちゃんの困る顔を見たいんじゃないのに・・・こんなこと・・・』
敏は自分が泣きそうになるのを、必死で食い止めた。
「僕には関係ないことだから、どうでもいいけど・・・」
敏の口から出てくるのは、本心とは正反対の言葉ばかりだ。
純は頭がくらくらしてきて、敏への言いわけも口に出来ない。
「ごめんね・・・」
「謝ることはないんじゃない?純ちゃんと僕は関係ないんだから、そうでしょ?」
敏は嫉妬のあまり、口にしてはならない言葉を口にしてしまった。
「え?・・・関係ない?・・・そんな・・・」
戸惑いの表情のあと、純の左頬を涙がすーっとひと筋流れ落ちていく。
純は頬の涙をぬぐうことも出来ず、敏から逃げるように、顔を伏せて教室の中へ戻って行く。
そして、赤いリュックと黒いキャップを掴むと、前のドアから急いで出て行った。
敏はしばらくの間、そのまま立ち尽くしていた。
ベランダから、下校する生徒たちが見える。
その中に、純と憲人が一緒に帰る姿を見てしまった。
『ダメ押しみたいに、何でこんなものまで見えてしまうんだろう・・・』
敏の心はボロボロだった。
「喧嘩の原因は何?」
良太がベランダにやって来て、うなだれたままの敏に、そっと声をかけた。
「喧嘩じゃないよ」
「住吉さん、泣いてたみたいだけど・・・」
「じゃ、僕が悪いんだろ、たぶん・・・」
「何が、どうなってるの?」
「・・・」
敏にも答えられない。
良太は、暗い顔の敏を見ていられなかった。
「部室・・・行こうか?」
「うん・・・」
今の敏には、良太の思いやりが有難かった。
部室には、一、二年生のほぼ全員がそろっていた。
当然、憲人の姿は無い。
部長の神山明和が夏休みの予定表を配る。
「憲人は夏休みは出られないって言ってた。コンクールで入選したから、夏休みは短期留学するんだって」
その言葉を受けて、憲人と仲の良い一年の部員たちが口々に憲人の情報を伝える。
「そのあと、アメリカのコンクールで入賞したら、そのままアメリカに残って留学するって言ってました」
「それに、今、お母さんが手術したとかで、入院中だそうです」
敏は、そんな情報をうわの空で聞いていた。
ただ、今は、純のひと筋の涙が、敏の心の深いところをえぐる。
『純ちゃんのそばにいる資格は、もう自分には無いのかもしれない・・・』
帰りがけ、明和は、ぼーっとしている敏をつかまえた。
「ライバルが減るな」
「何のこと?」
「憲人がいなくなったら、住吉さん、敏のものじゃないか」
敏の暗い顔がさらに暗くなる。
「すでに、僕は圏外みたいだよ」
「ケンガイ?なんだそれ?何かあったのか?」
そばで聞いていた良太が、明和の腕を掴んで首をふった。
「今日は、そっとしておいてやって」
明和にも良太にも気遣われ、いたたまれない敏は、一人で部室を後にした。




