胸は焦げ付いて
週が明けて月曜に敏が登校すると、想像していた通り、純はいつものように男の子みたいな恰好で前のドアから入って来た。それも、憲人から貰った紺色のストライプの半袖シャツを着て。
『なんで、憲人から貰ったシャツだって覚えているんだろう・・・』
敏は自分の変な記憶力の良さにがっかりする。
「おはよう」
「おはよう」
チラと敏の目を見るか見ないかで、すぐに純が背をむけてしまうのも、いつもの通り。
昼食もいつもの通りに二人で食べたが、やはり純の言葉数は少なかった。
寂しく思ったけれど、『学校モード』と『おうちモード』が、純にはあるのだ、と敏は理解するよう努めた。
数日が過ぎて、夏休みまで残すところ十日余りとなった。
敏たちは、夏休みの部活の活動計画を立て、担当の先生に提出しなければならない時期になった。
そういうわけで、敏はしばらくの間、昼食後を純と図書室で過ごすことが出来なくなった。
ほぼ夏休みの計画表が出来上がったある日、昼休みの終わりかけに、敏は図書室に寄ってみた。
いつも座っている席に、純の姿が無い。他の席にも見当たらない。
教室に戻っているのだろうと、図書室を後にした。
外廊下を過ぎ、あの事件が起きた階段に向かった。
階段を上がろうとしたとき、一瞬、敏の目の端に、純のシャツの水色を捉えた。
ハッとして、外廊下を見る。
こちら側に来る純の姿。そして、図書室のある棟の方へ憲人の姿が・・・。
外廊下の向こうの校舎の裏側に、二人でいたことが想像出来る。
敏は気づかぬふりをして、急いで階段を駆け上がった。
不愉快で、悲しく、そして悔しい。
敏が教室に着いて間もなく、純も戻って来た。
敏は、純に図書室にいなかった理由を確かめたくて仕方なかった。
でも、その気持ちを無理やり抑え込む。
純は席に座って、次の授業の用意をしている。
敏など眼中に無いように見える。
敏はその日の授業が終わっても、帰りの準備をしている純に、声を掛ける気持ちを失っていた。
「あの・・・」
「なに?」
めずらしく純の方から話し掛けたのに、敏は不機嫌な声で返答してしまう。
「あの・・・ううん、何でもない・・・」
純は、喉まで出かかった言葉を引っ込めて、小さく手を振り帰って行く。
昼休みに、憲人が純を校舎裏に呼び出した理由は、今年の秋にあるバイオリンの発表会の楽曲の楽譜をわたすためだった。
「この曲なんだけど」
憲人は純に楽譜を見せた。
手書きの楽譜・・・。
『SerenadeⅠ』のタイトル。
「セレナーデⅠ・・・」
「そうだよ、僕が初めて作ったセレナーデだから」
セレナーデ・・・意味は分かっているけれど、純は素知らぬふりをした。
(serenade・・・夕べに恋人の窓の下で歌い奏でられる音楽)
「私、弾きこなせるかな・・・力不足かもしれない」
「純ちゃんなら、大丈夫。出来るよ」
楽譜の最初の部分を読むだけでも、憲人の才能に感心させられる。
「僕ね・・・サマースクールのあとのコンクールで良い成績が取れたら、そのままアメリカに残ることになると思う」
「え?そのまま?」
「あくまでも、いい成績が取れたら・・・だよ」
憲人がいなくなるということが、現実になるかもしれない。純は狼狽する。
「簡単なことじゃないから、確実にアメリカに残るって、はっきりは言えないけど」
「そう?」
純の目には、憲人は自信たっぷりに見えた。
「もしもアメリカに残ったら、今年の発表会に僕は出られないから、この曲で純ちゃんに頑張ってほしいんだ」
「うん、わかった」
純は手にした楽譜を閉じた。
「明日、またここで会おうよ。曲の説明をもう少ししたいんだ」
「うん。じゃ、ひと通り読んでくるね」
楽譜の解説を憲人にお願いして、純は教室に戻った。
そんなことを知らない敏は、帰って行く純の後ろ姿も見送らなかった。
良太が敏のそばにやって来た。
「ね、住吉さんと何かあったの?」
「なんで?」
「だって、七夕祭りのときと、余りに違い過ぎるから」
「なにが?」
「あんなに仲が良さそうだったのに・・・」
良太は、あの時はからかっていたけれど、本心では敏を心配している。
「僕だって分かんないよ。純ちゃんに聞けよ」
「敏に原因があるわけじゃないの?」
「僕、何もしてないし、知らないよ。憲人に聞けば?」
敏は余計なことを言ってしまった。
「憲人がらみなの?」
「うるさいな」
『・・・良太に八つ当たりして、どうなるんだ。心配して言ってくれているのに・・・』
「ごめん」
敏は泣きそうな顔で、良太に謝った。
「そうとう、住吉さんに惚れちゃってるね」
あきれた顔と心配な顔と半々に、良太は苦笑いした。
次の日も、敏は純と昼食をとったけれど、昨日の憲人と一緒だったことにこだわっていて、一緒にいてもぎこちなかった。
しかし、沈黙にたまりかねて、無理やり話題をふった。
「夏休み、何か予定はあるの?」
「特には・・・」
「部活やってないと、ヒマじゃない?」
「夏休みは、家政婦の藤井さんも休みを取るから、家の用事もあるし。それに・・・夏休みから、発表会の練習が始まるから。今年はバイオリンの発表会があるから」
「今年は、って毎年あるわけじゃないんだ」
「二年に一回。でも、私はピアノとバイオリンの両方だから、毎年交互に・・・」
「じゃ、憲人も一緒なんだ」
敏は思わず『しまった』という顔をした。
『・・・なんで自分から嫉妬丸出しのことを言っちゃうんだろう』
純の顔が曇る。
「今年は・・・憲人は・・・」
「え?」
焦って純の顔を覗き込む。
「ううん・・・なんでもない」
憲人のことなんて聞きたくないから、敏はそれ以上、追及しなかった。
昼食が終わって、敏は純に付いて図書室に行こうとした。
「ごめんね。今日は図書室には行かない・・・」
純がすまなそうな顔をする。
『今日も、だろう』と、敏は思ったが、素知らぬふりをした。
「珍しいね。図書室に行かないなんて」
「ちょっと用事があるから。またあとでね」
敏を振り切るように、純は行ってしまった。
どこに行くのか、もちろん敏は分かっている。
確かめなくたっていいはずなのに、敏は階段の踊り場の窓の前に来てしまった。
窓を開けて外廊下の向こうの校舎裏を覗く。
やっぱり、純が憲人と一緒にいる。
上から見ているから、表情は今一つ分からないが、憲人が話しかけ、それに純が返事をしているように見える。
『昨日も今日も、そんなに何を話しているんだろう』
敏の胸はジリジリと焦げ付く。
しばらく二人を見つめていたけれど、階段を上がり下がりする生徒たちの怪訝そうな目にいたたまれなくなって、敏はその場を離れた。




