視線
恒例になった敏と良太の女装してのダンスが終わった。
すぐに、純はリュックを背負いガーメントバッグを持って、体育館の隣にある女子更衣室に向かった。
ブルーのカクテルドレスに着替えたところで、『そろそろ舞台裏に来て』と、憲人からメッセージが届く。
憲人の舞台での合図がよくわかるよう、純は普段使わないメガネを掛け、楽譜だけを持って、体育館へ戻る。
舞台裏では、二つのバイオリンを手にして憲人が待っていた。
そして、貴久もギターを持って舞台へ上がるところだった。
「今日はドレスなんだ・・・」
貴久が純の姿に目を細める。
「去年のピアノの発表会で着た・・・ママのドレスだよ」
「そっか」
「貴兄さんも、頑張ってね」
貴久は純と憲人を等分に見た。
「お前たちも、な」
「はい」
憲人は自信たっぷりの表情で返事をし、純は緊張した面持ちでうなづいた。
貴久が舞台に上がって行く。
舞台上からは、前の演目の後片付けをしていた部員たちが降りてくる。
「あれ?住吉さん。どうしたの?」
軽音楽部の部長の東雄一郎が声を掛ける。
雄一郎は純と同じ一年三組だ。
「そんな服着てるから、誰だかわかんなかったよ」
からかうように言ったのは、やはり同じクラスの鮎川真二だ。
魚谷京平に至っては、
「綺麗だね・・・」
と、見とれている。
純はクラスメイトたちそれぞれの反応に、何と答えればよいのか分からなくて、うつむいた。
京平が『綺麗』なんて言うような人だとは、純は初めて知った。
「もしかして、憲人の曲の伴奏って・・・住吉さんなの?」
雄一郎が驚きの声を上げる。
その声を聞きつけて、神山明和が慌ててやって来た。
明和も驚きの表情のまま、すべてを理解した。
「『憲人+』のプラスは、住吉さんだったんだ・・・」
舞台の上では、貴久の曲が始まり、彼の独特な曲調に気を取られ、おしゃべりは止んだ。
『貴兄さんの歌声は、いつ聴いてもいいな・・・』
純も耳を澄ませる。
悲しい片思いの曲。
愛する人に想いを伝えられない。伝えれば愛が消えてしまうから・・・という詩。
純は思わず敏の姿を探した。
「敏なら、客席の方にいると思うよ」
純の彷徨う視線に気付いた真二が、そばに寄ってささやいた。
純は耳まで赤くなった。
『鮎川君って、人のことよく見ている・・・』
緊張のドキドキと、図星をさされたドキドキが合わさって、純の胸は忙しかった。
とうとう、憲人の番がやって来た。
憲人に導かれるように、純も舞台へ上がる。
幕が閉じられているから、薄暗く思える舞台上。
グランドピアノが中央に置かれている。純はピアノのパートの部分の楽譜をピアノの譜面台に広げた。
憲人が舞台いの中央に譜面台を一つ置く。バイオリンで演奏する部分の楽譜をその譜面台に置いた。
それから、二人でバイオリンを調律する。
純の緊張がピークになる。
「大丈夫だよ。打ち合わせ通りにすれば大丈夫」
憲人がにっこり純を励ました。
純がピアノの前の二つのイスの一つに、バイオリンを置く。そしてピアノの前に座ると、もう一度楽譜を確認した。
憲人も舞台の中央の譜面台を背にして、位置を取る。
舞台の係りの生徒が、憲人に合図を送った。
幕が開いて、会場が見えてくる。
『憲人+』の意味を他のダンス部員が教えてくれないままだったから、敏と良太は何も知らずに、憲人の舞台の幕が開くのを見ていた。
舞台には、譜面台が一つ、中央に置いてある。
その前に、黒いパンツに白いシャツ、白い蝶ネクタイを結んだ憲人がバイオリンと弓を手にして立っている。
グランドピアノの前には、女の子が一人座っていた。
ブルーのカクテルドレス。
同じ色のカチューシャで前髪が上げられて、秀でた額をのぞかせている。
敏は、ふち無しメガネを掛けたその顔を認識すると、驚きの声をあげた。
「住吉さん・・・」
憲人は純の方を振り向いて、目で合図をする。演奏が始まる。
ビバルディの『四季』の『夏』第一楽章。
最初は静かに。
バイオリンを演奏しながら、憲人はステップと体の動きだけで踊る。
音楽とダンスが一体化されて、見事だ。観客は今までにないダンスに魅了される。
敏は、純のピアノ伴奏の手の動きにも、心を奪われた。
第一楽章の途中で、純はピアノの伴奏を終えて、バイオリンを手にして立ち上がった。
今度は、純もバイオリンで伴奏しながら、譜面台の前に来た。
曲想がだんだん激しくなって来る。
「純ちゃん、ピアノもバイオリンもすごく上手いね」
良太が感心の言葉を漏らす。
「憲人のバイオリンは有名だけど、住吉さんがバイオリンを弾くなんて、知らなかったな・・・」
純と同じ中学だった明和も驚きの顔だ。
敏は黙ったままで、ただ舞台を見つめている。
憲人は純を見つめながら、彼女の回りを踊り続ける。
純も譜面台を時々見る以外は、憲人を見て演奏している。
時どき二人の視線が絡まる。激しい動きなのに、視線が合うと憲人が微笑む余裕を見せている。
ブルーのドレスの純は、何か艶めかしささえ感じるほど、大人っぽい。
敏は、そんな二人を、ヒリヒリ焼け付くような気持ちで見ていた。
第一楽章が終わると、第二楽章ではなく第三楽章に移った。
敏も、クラシック音楽に興味はなかったけれど、『この曲ならば聞いたことがある』と思った。
歌詞が気持ちを表現するものならば、音楽は言葉に出来ない気持ちを表現するものだ、と思わせる演奏だ。
第三楽章はクライマックスだ。
憲人のダンスと演奏も激しくなる。
それでも、憲人の眼差しの向こうには、純がいる。
たとえ、舞台演出上の視線だと言っても、もう誰も信じはしない。
憲人の純への想いを、観客の誰もが理解した。
純は演奏に集中して来たのか、もう憲人を見ることなく、譜面だけ見ている。
演奏とダンスが終了して、幕が閉じても、拍手が鳴りやまなかった。
敏だちは駆け出して、舞台裏へと向かった。
憲人と純が舞台裏へ降りてくるところだった。
「純ちゃん、最後、僕を見るの忘れたでしょう」
憲人の親しげな声に、敏は思わず純の顔を見た。
「ごめん。あれほど言われてたのに、演奏に夢中になっちゃって」
顔を上気させた純は、さっきの大人っぽさが消えて、可愛い笑顔だ。
敏は、憲人が年上の彼女を『純ちゃん』と呼んでいるのが気に入らない。
憲人はチラッと敏を見て、脇を通り過ぎる。
純に対する敏の気持ちを知っている二年生たちは、憲人のその態度が、ひどく挑戦的なものに映った。
敏は、ドレス姿でバイオリンを手にした純に近付いた。純はメガネの自分を敏に間近で見られるのがイヤで、あわててメガネを外す。
「びっくりしたよ、出るなんて知らなかったから・・・。上手だね。ピアノもバイオリンも」
「ありがとう。憲人の足元にも及ばないけど・・・。村上君も・・・」
「ん?なに?」
「ダンス、可愛かったし、綺麗だったよ」
「あ、うん・・・」
敏は女装のダンスを褒められ、内心はがっかりした。憲人との差があまりにもありすぎる・・・。
「うまくいったじゃないか」
敏はその声にハッと振り向いた。
金松貴久がそばに来ていた。
「そうかな。ちょっと失敗したところもあるけど」
敏は、純の出演を貴久が知っていたことに気が付いた。
『彼氏なら、知っているのは当たり前かもしれないけど、憲人と住吉さんのあんな舞台を見て、平気なんだろうか?平然と会話している・・・やっぱり、自分なんかとは比べ物にならないほと、ずっと大人だ・・・」
貴久は「じゃ」と言って、控室へと消えて行った。
「出るって、なんで教えてくれなかったの?」
不満たっぷりに、純を責める言葉を口にしてしまった。敏はそんな自分自身に呆れながらも、どうすることも出来ない。
純は慌てたように、言い訳をする。
「ほんとに急に決まったことだし。それで、あんまり練習が出来なくて・・・自信無くて・・・ギリギリまで出るかどうか、憲人に返事を待ってもらってたの。それに、憲人と一緒の練習も二回しか出来なくて・・・」
敏は、親しげに呼ぶ『憲人』、それに『一緒の練習』の言葉・・・気になって仕方なかった。
「あの、さ。この後、僕、ソロで出るから、絶対見てね」
ぶっきらぼうに純に伝えた。
「う、うん」
純は、敏の不機嫌な様子を気にして、小さな声で返事をした。
憲人ば純のバイオリンケースを持ってやってきた。
敏と純の会話に割って入り、ケースを開けた。
「あ、ありがと」
純が憲人に礼を言って、憲人が持ったままのケースにバイオリンを仕舞う。
憲人が楽器が収まったケースを純に渡す。
敏は、そんな一連のやり取りに、入り込む余地はなく、ますます気持ちがいら立った。
「純ちゃん、着替えてこようか?」
憲人は、純を誘って、一緒に舞台裏から消えて行った。
まるで純をさらって行くかのように見える。
「敏のヤツ、前途多難だな・・・」
その場で一部始終を見ていた全員の気持ちを、明和は代弁した。
敏は、軽音楽部を手伝うふりをして、逃げるように舞台上に駆け上がる。。
明和は、敏は憲人のせいで、ダンス部の中に険悪な空気が流れるのは避けたいと思いつつ、敏の後ろ姿を見つめた。




