戸惑いのプレゼント
遠足のせいで、純はバイオリンのレッスンに遅れて行った。
純が教室に入ると、すでに辺見憲人がレッスンを終えて、レッスン室から出てくるところだった。
「純ちゃん、遅かったね。二年三組はどこに行ってたの?」
「上田公園だったの」
それだけ話すと、純の名前が呼ばれ、レッスン室に入る。
気持ちが散漫で、思うような演奏が出来ず、へとへとになって純はレッスンを終えた。
待合室にはまだ憲人が残っている。
「バス停まで一緒に行こう」
バイオリンケースを背負った憲人が誘った。
純は、憲人と一緒に教室を出る。
街灯がともる道を二人で歩く。
「僕たちのクラスは海浜公園に行ったんだ」
「去年の遠足は、そこだったよ」
純は一人きりで過ごした去年の遠足を思い出す。そして伊藤和幸と『親公認の』デートをしたことも。
それを思うと、今日の動物園の敏と二人の遠足がどれだけ濃密な時間であったか、あらためて感じる。
母との悲しい場面さえ思い出さなかったら、もっと楽しいものだったはず・・。
純が黙り込んでいると、急に憲人が立ち止まった。
そして、ショルダーバッグの中から小さな紙袋を取り出した。
「あげる」
両手でバイオリンケースを抱きしめるように持っていた純は、手では受け取れなくて、憲人が純のレッスンバッグに紙袋を突っ込んだ。
「あ、ありがとう・・・」
戸惑った顔のまま、純は礼を言う。
バス停に純が乗るべきバスが停まった。
「ありがとう、憲人。じゃぁ」
もう一度礼を言って、バスのステップに足を掛けたとき、憲人が焦ったように大声を出した。
「それ、僕の気持ちだから・・・」
「え?」
純はそのままバスに乗り込んでしまった。
振り返れたのは、ドアが閉まってからだった。
純はせつない目の憲人を、戸惑いの眼差しで見る以上のことは出来なかった。
空いていた座席に着くと、バスがすぐに発車した。
憲人から貰ったのは、水族館の名前が入った紙袋。
『それ、僕の気持ちだから・・・』
水に濡れたイメージのある、憲人の声。
紙袋に入っていたのは、銀色のネックレス。
ペンダントヘッドにイルカと、もう一つ・・・ハートのモチーフ。
一日にうちに、二人の男の子から貰ったプレゼント。
敏がどんなつもりでペンケースをくれたのか分からなかったけれど、憲人がくれたモチーフの意味は理解していた。
『これって、憲人の気持ちを受け取ったことになるのかな・・・?』
憲人を含め翔や渡、音楽教室の仲間の誰とも、特別な仲にはなりたくなかった。
幼い頃から築いて来た関係を壊したくなかった。
純は須川駅前のバス停で降り、自宅への道を歩き始める。
家政婦の藤井も帰ってしまった誰もいない家にたどり着く。
グランドピアノの上に、ネックレスの入った紙袋を置いたまま、純は途方に暮れて椅子に腰掛けた。
レッスンに行く前に、キリンのぬいぐるみと敏に貰ったペンケースは、ベッドルームの枕元のテーブルにきちんと並べて置いたのに。
父親の勝が帰宅して、夕食を共にしていても、純の思いはハートのモチーフに飛ぶ。
「どうかしのか?」
勝が声を掛ける。
「え?何が?」
「疲れた顔をしている」
「今日は遠足だったから、たぶん、疲れただけ。それにレッスンもあったし」
「そうか。遅くまで起きてないで、早く寝なさい」
「うん。そうする」
父親には『早く寝る』と言ったけれど、純はなかなか寝付けなかった。
母親のことを思い出した衝撃。
憲人に告げられた想い。ネックレスのハートのモチーフ。
目をつむっても、それらを思って眠れない。
いつも眠れないときにするように、母親の残した古いプレイヤーで音楽を聞く気にもなれなかった。
敏に貰ったペンケースを、ビニール袋ごと抱きしめた。
そして、抱いたままベッドにもぐり込む。
夢の中で、純は母親にバイオリンを教えてもらっている。
譜面台の上では、キリンの絵柄のペンケースが、譜面の押さえに使われている。
『ママの生前に、村上君のペンケースがあるわけがない・・・』
夢の中で、寝苦しく疑問を抱く。
純は何度も寝返りをうった。




