ふたりの遠足(下)
昼食が済むと、二人は動物園に向かった。
動物園の入り口で、同じクラスの男子生徒たちの姿もあったが、敏と純が一緒なのを見ると、誰も声を掛けては来ない。
二人にとっては、もはや遠足というものではなくなっていた。
いちおう園内を巡る順番があったけれど、二人はコースを逆に歩き出した。
象の園舎を見て、隣のサル山を眺めたり、シマウマをみたり。
ヤギやウサギと触れ合えるコーナーでは、純はヤギに餌をやったり、ウサギをなでたりして満足そうだ。
『本当に動物が好きなんだな・・・』
敏は、純の笑みを見ることが出来るのを嬉しく思い、動物に夢中の純の姿を、断りもなく写真に収めた。
純は、敏が何枚も写真を撮ったことに気付いていたが、何も言わない。
それをいいことに、敏は近くにいた小さな子供を連れた男性に二人一緒の写真を撮ってもらった。
純のスマホに、メッセージで写真を送信する。
初めてのメッセージだ。
純は微笑んで、ありがとうのスタンプを送信した。
キリンのゲージを見つけると、純は張り付くようにして夢中で見ている。
「そんなにキリンが好き?」
敏は子供みたいな純のしぐさや表情を見て笑みが浮かぶ。
「うん。動物園の動物で、キリンが一番好き。しかも、ここのは親子だよ。すごくかわいい・・・」
親子のキリンは本当に可愛らしかった。
でも、敏には、そのキリンの親子に切れ長の目を丸くして見とれている純の方が、心底可愛く感じる。
キリンのゲージの近くには売店があった。
キリンのグッズが並んでいるのを見つけた純は、キリンのぬいぐるみとキリンの絵の付いたペンケースを手に取る。
「買うの?」
敏の声に振り向く。
「可愛いくて・・・。でも予算オーバーだから、どっちか一つ」
「ペンケース、買ってあげるよ」
「え?」
「ぬいぐるみを、自分で買えば?ペンケースは今日の記念にプレゼントするよ」
敏は、戸惑っている純の手からペンケースを取り上げると、さっさとレジに持って行ってお金を払ってしまった。
純も黙ってぬいぐるみの代金を払う。
二人は売店の外に出た。
「はい、プレゼント」
動物園のロゴの入ったビニール袋を純に手渡す。
「ありがとう。この次、なにかお返しするね」
純はバッグにペンケースとぬいぐるみを仕舞った。
キリンのぬいぐるみが思ったより長くて、純が背負った紺色のバッグの上に、ちょこんと黄色い顔が覗く。そのキリンの顔が、びっくりしたり、何かに夢中になったりしている時の、純の子供っぽい表情に似ていると、敏は思った。
二人は、キリンがいるエリアから、鳥類がいるエリアに入って行く。
ここにも売店があって、新井良太と女の子達が賑やかに買い物をしていた。
敏は、良太たちに気を取られて、純の変化に気付くのが遅れた。
今まで、二人で並んで歩いていたのに、純は敏の後方で立ち止まっている。
顔も青ざめて、うつむいて涙をこらえているようだ。
純は鳥類のコーナーに来るまで、この上田公園の動物園に来たことがあったことを忘れていた。
通常のコースを逆回りして来たからだ。
鳥類のコーナーは、大きな木々に囲まれ、空が見えないくらいだ。
薄暗い木々に、純の記憶がフラッシュバックする。
父と母と三人で、最後に出掛けたのがこの動物園だった。
純の母親が入退院を繰り返しでいた時だ。
幼い純には母親の病気を理解することなど出来ず、ねだって出かけて来た。
鳥類のコーナーまで純と一緒に歩いて来た母親は、ここで力尽きて、孔雀のゲージの前でしゃがみこんでしまった。
思い出したそのシーン。純の脳裏から離れない。
『この場所だ・・・』
純は、青ざめて涙を我慢する。
楽しいはずの動物園へのお出かけ。
悲しい幕切れ。
動物園の車いすを借りて、純は母はそのまま病院へ。
それからも、母親は何度か入退院を繰り返したけれど、もう、どこかに出掛けられるような状態にはもどれなかった。
そして、純は家を離れ、祖母の家に預けられた。
「気分でも悪くなっちゃった?」
敏は純のそばに駆け寄って、顔を覗き込む。
純はうつむいたまま、首を横に振る。
「大丈夫。なんでもない」
「大丈夫には見えないよ。そこに座ろう」
ペンギンの水槽の前のベンチに純を座らせると、敏はどうしていいのかわからなくなって、ベンチの前をうろうろしている。
その時、メッセージの着信音が鳴った。良太からだ。
離れたところから、良太が見ている。
『純ちゃん、どうしたの?何かあった?ケンカでもした?』
疑問だらけなのは、純の事情を知らない敏の方だ。
『ケンカなんかしてない。僕もわけがわからない』
と、返信。
再び、良太から集合時間を知らせるメッセージが。
「住吉さん、歩ける?もう集合時間になるから」
「ごめんね。もう大丈夫」
やっと気分が落ち着いた純は立ち上がった。
それからは、二人は何も会話せず、動物園を後にした。
公園の中も、敏がチラチラと純を見るだけで、黙ったまま集合場所へたどり着いた。
バスに乗ると、純は疲れでウトウト眠ってしまった。
敏にとっては、純との初めての『デートもどき』だったのに、純の笑顔よりも、泣きそうな顔の方が印象に残ってしまった。
純の紺色のバッグからはみ出しているキリンのぬいぐるみの顔さえ、敏には泣き顔に見えてしまう。
太陽が傾くころ、バスは学校に着いた。
そのころには、純は普段通りの純に戻っていた。
敏が帰宅のバスに乗ってすぐ、純からメッセージが届いた。
『ペンケース。本当にありがとう。それと、心配かけてごめんね』
『僕、何か悪いこと言ったかな?』
『違うよ。村上君のせいじゃない。ちょっと嫌なことを思い出しただけ。ほんとにゴメンね』
敏は純の涙ぐんだ暗い顔を思い出した・・・『泣きたくなるほどの、嫌な思い出だったのかな?』
『元気出してね』
『ありがとう、また明日』
『バイバイ』の意味のスタンプを敏は送る。
純は、心の中で封印して来た母親のことを不意に思い出してしまった痛さと、敏から受けた暖かな優しさと、その両方を胸に抱え、夕暮れの中の電車に乗った。




