デートに誘われる憂うつ
純が一人で夕食をとっていると、家の電話が鳴った。
「もしもし?」
相手は伊藤和幸だった。
「びっくりした?」
和幸のいたずらっぽい笑顔が見えるようだ。彼のえくぼを思い浮かべる。
「どうしたんですか?」
「デートのお誘い」
「・・・」
純は驚いて黙り込んでしまった。
「あ、黙っちゃった」
少しの沈黙のあと。
「あの・・・デートって、私とですか?」
「この電話に出るの、純ちゃんか、君のお父さんだけでしょ?」
「家政婦さんも出ますけど」
「おとなしい顔で、冗談言うんだ」
受話器の向こうから、和幸の笑い声が聞こえてくる。
「今度の土曜は、どう?」
「土曜はピアノのレッスンがあって・・・」
純は何とか断ろうとする。
「じゃ、金曜は?」
断る理由がパッと思いつかない。
「ええと・・・金曜は・・・」
「断る前提で話してる?」
和幸が不満そうな声を出す。
「いいえ、そんなわけじゃ・・・」
「じゃ、金曜で決定ね。10時に君の家に迎えに行くから、待ってて」
「え?・・・ええ」
和幸の強引さに負けてしまった。
「あの・・・家を知ってるんですか?」
「君の家の場所は父さんに聞いてる。君のお父さんには許可をもらっているから、大丈夫」
「えっ?」
「そういうことだから、じゃ、金曜ね」
純の疑問を無視して、一方的に電話は切られた。
受話器をつかんだまま、純は呆然としていた。
『男の人と二人きりで・・・デート』
もちろん、貴久や泰久どちらか片方で二人で出かけたりとか、音楽教室の仲間の誰かと出かけたりするけれど、『デート』と称しては、初めてだ。
しかも、父親の会社の取引先の息子と・・・。
『父の許可をもらってる?どういうこと?どうしよう・・・。あ、行き先も聞いてない。そもそも行かなきゃならないの?デートって本当はウキウキするものなんじゃないの?こんなに気が重いなんて、何か間違っている気がする・・・』
純は、またしても憂うつな気持ちになる。
勝が帰宅しても、和幸とのデートについて話すことも、疑問に思ったことを尋ねることも、純には出来そうになかった。
それに、デートを断りたくても、和幸の連絡先を知らない。
明日はデートという日の夜。
純はたまりかねて貴久に電話をしてしまった。
「珍しいな、純から電話して来るなんて」
貴久の声を聞いて、純は安心感を覚える。
「何かあったか?」
「わかる?」
「何かなかったら、お前は電話なんかして来ないだろ」
「うん・・・あのね・・・」
父親の取引先の社長の家族と食事をしたこと。和幸に強引にデートに誘われたこと。手短かに話した。
「そっか・・・」
長い沈黙。
「行ってきたらいいじゃないか」
沈黙のあとに返って来た答えはそれだった。
「え?」
純は『止せ』という言葉をどこかで期待していた自分に気付く。
本当は貴久も、言いたかったのはその言葉だ。しかし、自分の想いをもみ消す言葉を口にしたのだった。
「いままで、翔とか渡や憲人とか、あいつらとばっかり付き合ってて、他の人間と付き合ってないじゃないか。いい機会なんじゃないかな」
「そういうもの?」
「そういうものだと思えばいい」
「そうかな」
「たまには、他の人と付き合うのも大事だよ・・・たぶん、な」
「うん・・・」
純には納得できない『うん』だ。それはそうだ。言ってる貴久だって、頭で解っているだけで、全く気持ちは付いて行っていないのだから。
「それに、断りの連絡も取れないんじゃ、行くしかないんじゃないか?」
「行くしかないかな・・・」
純が諦めたように言う。
「そうだな・・・」
貴久の声が寂しそうに聞こえ、純は戸惑った。




