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嘘告で心を折られた俺、“普通”に生きようとしたら学校一の高嶺の花を餌付けする係になっていた件  作者: 小馬


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ep.9 波瀾万丈夏合宿

 もしかしたら女子の水着を見れるかもしれないという期待を胸に、目的地へと向かう男、そう、俺だ。ちなみに貧乳派。

 合宿初日。バスに揺られること二時間、俺たちを乗せた車両は緑深い山道をくねくねと登り、ようやく目的地である宿泊施設の前で停車した。木造の大きな建物が、蝉時雨の中にどっしりと構えている。降り立った瞬間、都会とは違う湿った土と草の匂いが鼻をつく。エアコンの効いたバスの中から一歩出ただけで、じっとりとした山の熱気が肌にまとわりついてきた。

「うわぁ、思ったより山奥……」

 バスから降りるなり有栖が伸びをしながら呟いた。艶のある黒に近い灰色の髪が、山風にふわりと揺れる。両側で揺れる淡いピンクのリボンだけが、この場違いなほど自然豊かな景色の中で妙に浮いていた。

「文句言うな有栖。取材道具の運搬、手伝えよ」

「えー、それカメラマンの仕事でしょ」

 結局俺一人で機材を抱えることになり、玄関先で早々に息が上がる。段ボール一箱分の三脚と予備バッテリー、それに部誌のバックナンバーまで詰め込まれた鞄はずしりと重い。

「ちょっと明月くん、腰痛めないでよー、貴重な戦力なんだから」

 御手洗先輩がのんびりとした調子で声をかけてくる。労いの言葉のわりに、荷物を持つ気配は一切なかった。その後ろでは、赤みがかった髪をふわりと揺らしながら、先輩がスマホで施設の外観をパシャパシャと撮影している。記事用というより、完全に観光気分だった。


 ロビーで部屋割りが発表されると、案の定「男子は雑魚寝、女子は個室」という不公平極まりない構成になっていた。

「なんで俺ら大部屋なんですか」

「新聞部の予算じゃそれが限界なの! 我慢しなさい!」

 文句を言う俺を先輩は笑って一蹴し、代わりにと言わんばかりに購買のアイスをくれた。現金なもので、それだけで少し機嫌が直ってしまう自分が情けない。

 荷物を放り込んだ大部屋では、早速中村が畳の上に大の字で寝転がり、石井がその横で持参したアルコールシートで床を拭き始めていた。

「お前ら、まだ練習も始まってねぇぞ」

 簡単なオリエンテーションを終えると、各部活がそれぞれの練習場所へと散っていった。バレー部は体育館、テニス部はクレーコートへ。新聞部の俺たちは、というと御手洗先輩の号令のもと「取材班」として各所を飛び回ることになった。

「明月くん、まずはテニス部から! 神楽坂さんの練習風景、しっかり撮ってきてね!」

「え、俺一人でですか」

「有栖ちゃんはバレー部担当だから。ほら、頑張って!」

 背中を押されるようにコートへ向かう。渡された一眼レフの重みが、妙に緊張感を煽ってくる。


 クレーコートに着くと、白いラインの上を軽やかに動く水色の髪が目に入った。神楽坂だ。制汗用のリストバンドをつけた腕がラケットを振り抜くたび、きっちり結ばれている髪が汗で頬に貼りついている。コートの周りには他の部員もいたが、彼女だけが明らかに違う集中力でボールを追いかけていた。

「神楽坂、お疲れ」

 声をかけると、彼女はラケットを止めてこちらを振り返った。頬は紅潮し、額には玉のような汗が浮いている。教室で見る澄ました表情とは違う、剥き出しの疲労がそこにあった。

「……明月くん? なんでここに」

「取材。新聞部の仕事でな」

「そう……別に、見せるほどのものじゃないけど」

 そう言いつつも、澪は乱れた前髪を手で軽く払い、居住まいを正そうとする。だが直後、足元がもつれてラケットを取り落としてしまった。

「あ、」

「大丈夫か」

「だ、大丈夫よ! ただの、その、日頃の運動不足なだけだから……!」

 慌てて拾い上げようとして、今度は水筒まで倒す始末。中身のスポーツドリンクがコートの土に染み込んでいくのを、澪は絶望的な表情で見つめている。学年首席の完璧なお嬢様も、疲労の前ではただの不器用な女の子だった。

「ほら、水」

 俺が転がった水筒を拾って差し出すと、澪は気まずそうに受け取り、ごくごくと喉を鳴らして飲んだ。汗で張り付いた前髪の隙間から覗く目元が、少しだけ潤んでいる。

「……ありがと」

「別に。それより、写真撮っていいか? 記事用に」

「え、今? こんな汗だくの顔で……」

「素の表情の方が、記事映えするんだよ」

 御手洗先輩の受け売りをそのまま口にすると、澪は一瞬顔を赤らめたあと、諦めたように小さく頷いた。シャッターを切る瞬間、澪はほんの一瞬だけ、いつもの作り笑いではない自然な表情を見せた。ファインダー越しに見えたその顔は、普段のクラスで見る彼女よりもずっと年相応で、俺の心臓が意味もなく跳ねる。

「……何枚撮る気よ」

「え、あ、悪い。つい」

 我に返って慌ててカメラを下ろすと、澪はくすりと小さく笑った。その笑い方も、教室では見たことのない類のものだった。

「取材、もういいの?」

「あ、いや。せっかくだし、少しインタビューもいいか?」

「インタビュー……何を聞くつもり」

 急に警戒するように腕を組む澪。その仕草が、まるで取り調べを受ける前の容疑者みたいで、俺は思わず笑いそうになるのを堪えた。

「テニス、いつから始めたんだ?」

「小さい頃から。家の方針で、何か一つは極めろって言われてたから」

「極める、ねぇ。楽しいのか、それ」

 その問いに、澪は一瞬だけ言葉に詰まった。ラケットを持つ手の力が、わずかに緩む。

「……楽しい、と思ったことは、あまりないかも」

 ぽつりと零れたその一言は、記事に載せるには不釣り合いなくらい、正直な響きをしていた。俺はノートを開く手を止めて、代わりにただ黙って彼女の言葉の続きを待つことにした。

「でも、今日は少しだけ、楽しかったかもしれない」

 そう言って澪は、コートの外れに転がったままの水筒に目をやった。俺の視線に気づくと、彼女は慌てたように咳払いをして表情を引き締める。

「な、なんでもないから。さ、そろそろ次の練習始まるから、行った行った」

 追い払うように手を振られ、俺は苦笑しながらコートを後にした。振り返ると、澪はまたいつもの真剣な顔でラケットを構え直していたが、口元にはまだ、隠しきれない笑みの余韻が残っていた。


 午後、練習が一段落すると、各部活合同で近くの川へ涼みに行くことになった。「取材の名目」だと御手洗先輩は言い張っていたが、明らかに単なる水遊びだ。宿泊施設から歩いて十分ほどの場所に、透き通った水が流れる浅瀬があり、周囲には涼を求めて集まった生徒たちの歓声が響いている。

「うっわ、水冷たっ!」

 真っ先に川へ飛び込んだのは有栖だった。紺色のシンプルな水着に着替えた彼女は、いつものツインテールを高い位置でまとめ直し、身軽な動きで浅瀬をバシャバシャと駆け回る。小柄な体からは想像もつかないほど、堂々とした余裕が滲んでいた。薄紫の瞳がきらきらと水面の反射を映して、いつもの試すような目つきが今だけは無邪気に緩んでいる。

「洸夜も早くおいでよー!」

「お前、はしゃぎすぎだろ……」

 やっぱり女子の水着は良いもんだ。俺は生涯この光景を忘れることはないだろう。

 石井は岩場の上で腕を組み、川に入ろうとしない。

「俺は遠慮しとく。水質、絶対大腸菌とかいるだろこれ」

「お前ほんとそういうとこだよな……」

 中村は既に半分水没しながら、器用に石を投げて水切りをしている。桜井はというと、なぜか浮き輪を二重に着けて微動だにせず浮いていた。

「桜井、なにしてんだお前」

「省エネ」

「意味がわからん」

 石井がタオルで手を拭きながら、澄まし顔で講釈を垂れる。

「大体な明月、こういう場所は雑菌の温床なんだよ。俺は今日はカメラマン兼、衛生管理担当ということで」

「今考えた設定だろそれ」

 誰も頼んでいない役職を勝手に名乗る石井を、中村が水を掛けて黙らせようとする。案の定、石井は悲鳴を上げながら岩場を転げ回る羽目になった。

「ちょ、待て、髪が、髪が濡れる……!」

「もう水着なんだから諦めろって!」

 抵抗も虚しく、次の瞬間には石井もびしょ濡れで川の中に引きずり込まれていた。清潔第一を掲げていた男の敗北宣言に、周囲からどっと笑いが起こる。御手洗先輩はその一部始終をここぞとばかりにカメラで連写し、「これよ、これがスクープなのよ!」と一人で盛り上がっていた。


 そんな騒がしい輪の少し離れた岩陰で、澪が所在なさげに立っていた。白を基調としたワンピース水着に薄手のパーカーを羽織り、水色の髪を高い位置で一つに結んでいる。日差しを受けてきらめく髪先が、いつもより幼く見えた。

「神楽坂さんも早く入りなよー!」

 有栖が水を弾き飛ばしながら手招きする。澪は一瞬躊躇うように視線を泳がせたあと、意を決したようにパーカーを脱いだ。

「べ、別に、恥ずかしくなんかないんだからね」

 誰も何も言っていないのに、先に言い訳をする澪。その白い肩が、水面の反射でちらちらと輝いている。おそるおそる足先を水に浸けた瞬間、澪は小さく「ひゃっ」と声を上げてよろけた。

「わっ、」

 俺は咄嗟に手を伸ばして、その細い腕を支える。

「だ、大丈夫……ちょっと、石で滑っただけだから」

 顔を真っ赤にしながら、澪は俺の手を振り払うようにして立ち上がった。だがその拍子に、盛大に尻もちをついて水しぶきを上げる。完璧なお嬢様の威厳は、川の水と一緒にどこかへ流れていってしまったらしい。

「ぷっ……」

 思わず噴き出した俺を、澪はキッと睨みつけてきた。だがその目にはさっきまでの刺々しさはなく、どこか照れくさそうな色が混じっている。

「わ、笑わないでよ!」

「悪い悪い。でも、そういう顔の方が、俺は好きだけどな」

 言った後で自分の言葉に気づき、俺は慌てて視線を逸らした。澪も同じタイミングで顔を背け、二人の間に妙な沈黙が流れる。川のせせらぎと、遠くではしゃぐ仲間たちの声だけが、その沈黙をなんとか埋めていた。

 その一部始終を、少し離れた場所から有栖がじっとりと見つめていたことに、俺はまだ気づいていなかった。


 夜。夕食を終え、各自の部屋で自由時間となった頃、俺は廊下でばったり中村に捕まった。

「明月ぃ、ちょっと時間くれ。折り入って相談があるんだ」

 いつもの飄々とした表情とは違い、中村は珍しく真剣な顔をしている。連れて行かれたのは非常階段の踊り場、月明かりだけが頼りの薄暗い場所だった。虫の鳴く声が、やけに大きく耳に響く。

「実は……その、有栖に告白しようと思ってる」

 バカなことはよせ。

「……は?」

「合宿最終日の夜。ちゃんと二人きりで、時間作ってさ」

 あまりに唐突な告白に、俺はしばらく言葉を失った。だが確かに思い返せば、中村が有栖のことをよく目で追っていたような気もする。バレー部の練習を眺める振りをして、実は隣のコートの有栖ばかり見ていたことも一度や二度ではなかった。

「なんで俺に相談すんだよ」

「お前、有栖と幼馴染だろ。攻略法知りたくてさ」

「攻略法て。恋愛はゲームじゃねぇぞ」

 軽口を叩きつつも、俺の脳裏には中学の頃の苦い記憶がちらついた。信じて、裏切られて、笑いものにされた、あの日のことが。手のひらに、当時の感触が蘇るような気さえした。

「まぁ……有栖は、意外と単純な理由じゃ動かないタイプだと思う。ちゃんと自分の言葉で伝えろよ」

「言葉で、な」

「あと、変にかっこつけようとすんな。お前のそのポンコツな感じ、案外嫌いじゃないと思うぞあいつ」

 俺なりに絞り出した助言に、中村は神妙な顔で頷いた。

「サンキュな、明月。お前が言うと、なんか説得力あるわ」

「ねぇよそんなもん」

「いや、あるだろ。お前、意外と人のこと見てるもんな」

 中村は照れ隠しのように頭をがしがしと掻きながら、階段の手すりに寄りかかった。

「最終日、失敗したらどうしよう。今からもう緊張してきた」

「気が早すぎだろ」

「うるせぇ。お前だって、いざとなったら同じこと言うと思うぞ」

 図星を突かれて、俺は思わず言葉に詰まった。中村はそんな俺の反応を見て、珍しくにやりと笑う。

「まぁ、持ちつ持たれつってことで。俺が上手くいったら、次はお前の番な」

「気の早い話をするなよ、まったく」

 軽く肩を小突き合いながら、二人で階段を降りる。虫の声に混じって、遠くから誰かの笑い声が微かに聞こえていた。

 そう答えながらも、俺の中では別の顔がちらついていた。汗だくで転んで、それでも笑っていた神楽坂澪の顔が。


 二日目の夕方。合宿最後のイベントであるバーベキューが、施設裏の広場で始まった。網の上で肉が焼ける香ばしい匂いと、炭のはぜる音が夕暮れの空気に溶けていく。空はオレンジから紫へと色を変え始め、蝉の声も心なしか勢いを失っていた。

「先輩、それ生焼けじゃないですか」

「気合いで火を通すのよ!」

 御手洗先輩の謎理論に振り回されながらも、俺たちは肉やら野菜やらを次々と網に並べていく。

「石井、お前トング独占すんな」

「衛生的に、俺が管理した方がいいだろ」

「屁理屈だぞそれ」

 中村が横からひょいと肉をかっさらい、石井が「あっ」と情けない声を上げる。奪われた肉を目で追いながら、石井は本気で悔しそうな顔をしていた。桜井は相変わらずのマイペースで、誰よりも先に肉を一人で黙々と食べ進めていた。

「桜井お前、周り見ろよ」

「腹が減ってたので」

 その淡々とした返しに、思わず笑いがこぼれる。焦げた肉の煙が目に染みて、涙目になりながらも俺たちは馬鹿みたいに笑い合った。誰かが炭を落として小さな火柱が上がり、御手洗先輩が「きゃー!」と大げさに騒ぎ、それを見た全員がさらに大笑いする。

「そういえば明月、お前昼間、神楽坂さんとなんかいい雰囲気だったよな」

 中村が肉を頬張りながら、思い出したように爆弾を投げ込んでくる。

「いや別に、そんなんじゃ」

「川で転んで、なんか二人で見つめ合ってたじゃん」

「見てたのかよ」

 石井まで会話に加わり、揶揄い半分の視線が集中する。焼けた肉の匂いよりも、その視線の熱の方がよほど居心地悪かった。誤魔化すように追加の肉を網に並べ、俺は必死に話題を逸らそうとした。青春、というやつを少しだけ実感した気がした。もっとも、こうやってからかわれるのも含めての青春なんだろう。


 賑やかな輪から少し外れ、俺は夜風に当たろうと施設の裏手に出た。見上げれば、都会では見られないほどの星空が広がっている。頬に触れる夜風は、昼間の熱気が嘘のようにひんやりとしていた。

「一人でこんなとこ来て、寂しくないの?」

 振り返ると、そこには有栖が立っていた。バーベキューの熱気で火照った頬が、月明かりの下で淡く赤らんでいる。

「お前こそ、宴もたけなわなのになんでこっちに」

「なんとなく、洸夜がいなくなったの気づいちゃって」

 いつもの軽口とは違う、どこか静かな声だった。有栖は俺の隣に並んで立ち、しばらく無言で星を見上げていた。夜風がツインテールをふわりと揺らし、頬にかかった前髪の隙間から、いつになく真剣な横顔が覗いている。

「……ねぇ洸夜」

「ん?」

「神楽坂さんのこと、好きなんでしょ」

 あまりにも直球な問いに、俺は言葉に詰まった。否定しようとした口が、なぜか動かない。

「べ、別にそんな……」

「今更誤魔化さなくていいって。あんたが川であの子笑わせてた顔、私、ちゃんと見てたから」

 有栖の声には、からかうような響きはなかった。ただ静かに、事実を確認するような口調だった。

「私さ、応援してるよ。洸夜と神楽坂さんのこと」

「……なんでお前がそんなこと。別にそんなんじゃない」

「幼馴染だからね。あんたの幸せくらい、願ってあげてもバチは当たらないでしょ」

 有栖は星空を見上げたまま、ふわりと笑った。その笑顔は、いつもの意地悪な笑みとは違う、どこか寂しさを滲ませたものだった。

「だから、ちゃんと自分の気持ちに素直になりなよ。じゃないと、後悔するよ」

 中学の頃の苦い記憶が、ふと脳裏をよぎる。信じることの怖さを、俺は誰よりも知っているつもりだった。だからこそ、有栖の言葉の重みが、いつもより深く胸に沈んでいく。

「……ありがとな、有栖」

「別に。私はただの幼馴染だし」

 そう言って笑う有栖の横顔を、俺はしばらく見つめていた。星明かりの下、その表情の奥にある本当の感情までは、俺にはまだ読み取ることができなかった。

 夜風が二人の間を静かに通り抜けていく。遠くから聞こえる仲間たちの笑い声だけが、いつまでも夜空に響いていた。有栖はそれ以上何も言わず、ただ静かに星を見上げ続けている。その横顔に、俺はなぜか声をかけることができなかった。

 しばらくして、有栖は「戻ろっか」と何事もなかったように振り返り、いつもの飄々とした笑顔を取り戻していた。だがその一瞬前、月明かりが照らした横顔に浮かんでいた表情を、俺は妙にはっきりと覚えている。

 賑やかな広場へと戻る有栖の背中を追いながら、俺の胸には言葉にならないもやもやが、いつまでも燻り続けていた。

 

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