ep.8さらば一学期
夏休み、それは学校という地獄から長期期間抜け出せる最高のイベント。アニメだったらここで水着回やエロ展開の一つや二つ期待したいところだが…陽キャじゃない俺に水着イベントとかいう奇跡を起こせる力は無い。
一学期終了まであと一週間。新聞部のクーラーが効いた部室でくつろぐ男、そう俺だ。
「てか期末の一位って誰だったんだろうな」
俺が問いかけると有栖は椅子で回転して遊んでいた。回転チェアがよほどお気に入りらしい。
「あー、一位私」
「へー、有栖が一位か…え?」
「なにその二度見。失礼しちゃうなぁ」
有栖は回転を止めて、腕を組みながらドヤ顔を浮かべた。
有栖はニヤニヤしながら、俺の反応を楽しむようにこちらを覗き込んでくる。
「なにその反応。私が一位取ったらおかしい?」
「いや、おかしいってわけじゃないけど……お前、いつ勉強してたんだ」
「失礼だなぁ。私だって、やる時はやるの」
有栖はふふんと鼻を鳴らして、机の上の緑茶をストローで一口飲んだ。
「まぁ、澪ちゃんがちょっと調子崩してたのもあると思うけどね」
三者面談の光景が、ふと脳裏をよぎる。あの重い空気を思い出すと、有栖に何も言えなくなった。
「......そうか」
「なに、その神妙な顔。らしくないよ洸夜」
有栖が探るように俺の顔を覗き込んでくる。あまりにも近いので俺は有栖の顔を片手で押しのける。
「別に何でもねぇよ」
俺は誤魔化すようにパソコン画面へ視線を戻した。
その時、部室の扉が勢いよく開いた。
「みんな聞いてー!」
御手洗先輩が、新聞部の部員たちに引き止められながらも興奮した様子でスマホを片手に飛び込んでくる。この人もかなりの力持ちと見た。
「先輩、そんな慌ててどうしたんですか」
「これよこれ!夏休みの合宿、今年もやることになったの!」
先輩は誇らしげにスマホの画面をこちらに突きつけてきた。表示されているのは、学校からの通達らしきプリントの写真。
「合宿......?」
「新聞部の恒例行事よ! 夏休みに二泊三日、部活動合宿として山の方の施設に泊まりに行くの!記事のネタ探しも兼ねてね!」
有栖が興味津々に画面を覗き込む。
「へー、面白そう!洸夜も行くよね?」
「え、俺?」
「当たり前でしょ!部員なんだから!」
御手洗先輩がビシッと俺を指差した。
「まぁ……アニメ我慢すれば、行けなくはないけど」
「決まりね!今年は部員も増えたし、他の部活と合同で行くことになったのよ!」
「合同って……」
嫌な予感がした。
「バレー部と、あと新聞部の取材対象になってくれた球技大会のMVPクラスも呼んでるから!ってわけで、神楽坂さんも来るわよ!あとあの人一応女子テニス部だし」
思わず、パソコンのキーを打つ手が止まった。それとあいつ女子テニス部だったんだ、知らなかった。
「な……」
「なんならもう連絡済み。乗り気じゃなかったけど、私が拝み倒して了承もらったから」
先輩は満足げに腕を組んで胸を張る。
「先輩、行動早すぎでしょ」
「善は急げって言うでしょ! それに、廃部の危機を回避するには目玉記事が必要なの! 『名門校の令嬢、合宿で見せる素顔』なんて記事、絶対バズるわよ!」
どうやらこの人にとって、澪はもはや貴重なネタ元としか見えていないらしい。
有栖が俺の肩を肘でつついてくる。
「洸夜、神楽坂ちゃんと合宿とか、燃えるじゃん」
「燃えねぇよ、なんも」
そう言いながらも、頭の中では自然と、あの夕暮れの昇降口での澪の顔が浮かんでいた。時折見せるあんな無防備な顔や、お腹を鳴らして照れていた顔が、なぜか頭から離れない。
「うっそだー。顔に『神楽坂さんと一緒とかちょっと楽しみ』って書いてあるよ、明月洸夜くん」
「書いてねぇよ。あとお前のその面白がるような目止めろ」
有栖はクスクスと意地悪そうに笑いながら、スマホの画面へと視線を戻した。
「でもさ、他部活との合同合宿ってことは、やっぱりバレー部も来るんだよね?」
「そうよ! 翡翠川学園の誇る華の女子アスリート集団よ!」
御手洗先輩は両手を広げ、大げさなジェスチャーで力説する。
「つまり、日中は取材と称して色んな部活の練習風景を激写し放題! 夜は夜で、学生の青春の定番イベントが盛りだくさんってわけよ!」
「先輩、その『定番イベント』の含みがめちゃくちゃ怖いんですが」
俺が眉間を押さえて突っ込むと、先輩は「気のせいよ気のせい!」と豪快に笑い飛ばした。
「なにより、我が新聞部は今年で部員が急増したの! 廃部の危機どころか、これで一気にスクープの特異点に躍り出るわ! 準備期間は一週間、各自しっかり水着……じゃなくて、取材道具一式を用意しておくこと!」
「今、絶対水着って言おうとしましたよね?」
「空耳よ! 健全な新聞部合宿にいかがわしいワードは一切存在しないわ!」
否定すればするほど怪しい先輩の背中を、有栖が「さすがですね先輩〜」と生暖かい目で眺めている。
――こうして。
平穏(?)だった一学期が終わろうとする中、俺たちの夏休みは、思わぬ大波乱の予感をはらんだまま幕を開けようとしていた。
一学期の終業日、教室の空気がどこか浮き立つような熱気を帯びていた。蝉の声が窓の外の青空から降り注ぎ、天井の扇風機が乾いた音を立てて回っている。
教壇に立つ担任の教師が、ため息混じりに最後のホームルームの号令をかけた。次々と生徒たちの手に渡っていくのは、一学期の成績が記された薄い紙——通知表である。クラスのあちこちで一喜一憂する声が上がる中、俺は自分の席で淡々と封筒を開けて中身を確認していた。可もなく不可もなし、いつもの通り面白みのない数字が並んでいる。
「……ま、こんなもんだろ」
小さく呟いて視線を上げると、前方の中央の席に目を奪われた。そこには、相変わらず隙のない姿勢で通知表を見つめる神楽坂澪の姿がある。肩まで伸びた水色の髪が陽光を浴びて絹糸のようにきらめき、彼女の整った横顔は周囲の喧騒をまるで遠ざけているかのようだった。しかし、幾度目かの深呼吸をする彼女の白い喉仏がかすかに揺れているのを見逃さない。どれほど完璧に見えても、彼女の中には常に妥協を許さないプレッシャーが渦巻いているのだろう。
放課後の静けさが戻りつつある教室を後にし、俺はそのまま新聞部の部室へと足を向けた。重い扉を開けると、そこはすでに夏の合宿に向けた異様な熱気に包まれていた。
「いい? みんな! 合宿はただの遊びじゃないわよ、新聞部の命運をかけた一大スクープ獲得作戦なんだからね!」
御手洗先輩が両手を机につき、興奮気味に声を張り上げている。その後ろのホワイトボードには、二泊三日のスケジュールや取材対象のリストが色鮮やかなマーカーでびっしりと書き込まれていた。
「先輩、気合入りすぎてホワイトボードのインク切れてますよ」
「細かいことは気にするなっての! ほら、有栖ちゃん、持ち物のチェックリストは終わった?」
「バッチリです、先輩。水着も、日焼け止めも、夜の怪談用の懐中電灯も完璧です」
有栖は涼しい顔でスマホをいじりながら答える。その隣で、俺は自分のリュックに詰め込む予定の取材道具――一眼レフカメラと予備バッテリーの入ったケースを眺めながら、思わず深い溜息を吐いた。
「おい有栖、しれっといかがわしいワード混ぜるな。あと水着ってなんだよ、俺たち取材に行くんだろ」
「えー? 山の近くの宿泊施設って言ったら、川遊びとか温泉とか定番じゃん。ね、洸夜もカメラマンとして色んな意味でシャッターチャンス期待してるくせに」
「してねぇよ。お前のその面白がる脳ミソを一回洗濯してこい」
まぁ女子の水着を見れるのは目の保養になるからありがたいな。
俺が呆れたように言い返すと、有栖はクスクスと楽しそうに肩を揺らした。
他部活との合同合宿。つまり、学校の主要な部活が勢ぞろいする山奥の施設。そこに、あの神楽坂澪も参加するという事実が、妙に現実味を帯びて頭の片隅にこびりついて離れない。
「ま、何にせよ……」
俺は首から下げたストラップの感触を確かめながら、窓の外に広がる眩しい夏空を見上げた。
平穏だった日常の歯車が、あの合宿を境にどう音を立てて狂い始めるのか。予感めいたものが胸の奥でチリチリと小さく熱を持って広がっていくのを、俺はただ静かにやり過ごすしかなかった。




