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嘘告で心を折られた俺、“普通”に生きようとしたら学校一の高嶺の花を餌付けする係になっていた件  作者: 小馬


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ep.6 翡翠川の悲劇

 この前の神楽坂の奇行が頭から離れずに思い出すたびくすくすと笑いを堪えるのに必死になる。

 高嶺の花の裏の顔を見てしまった俺、そう、俺だ。

六月も半ば、数ヶ月に一度、必ずやってくる悲劇がある。そう、定期テストだ。

「それにしても洸夜、呑気に忘れ物探してる場合じゃないよ?」

 有栖がパイプ椅子をクルリと回転させ、ニヤニヤしながら俺を指さしてきた。

「何がだ」

「忘れたの? 来週からだよ、期末テスト」

「……げっ」

 確か中間は神楽坂が一位を独走してたな。中間は範囲も狭いし問題の難易度もそこまで高くなかったためあまり苦戦しなかった印象。新聞部にも捕まってなかったため時間はあって余裕を持ってこなすことができたが今回は別。

 すっかり失念していた単語を聞かされ、俺は思わず顔をしかめた。

 球技大会だの取材だのでドタバタしていたせいで、勉強なんて一切手をつけていない。溜まっているアニメも観れていないのが現状。

「笑いごとじゃないわよ琴吹ちゃん、明月くん!」

 モニターに向かっていた御手洗先輩が、悲壮感漂う顔でバッと振り返った。

「我が新聞部はただでさえ廃部の危機なのよ!? もし部員の誰かが赤点を取って『部活動停止処分』なんて受けてごらんなさい! その瞬間に生徒会から部室を没収されるわ!」

「え〜、私は赤点なんて取らないよ? 洸夜は怪しいけど」

「俺を巻き込むな。……まあ、ノー勉なのは否定しないけど」

 記事のネタ探しどころか、自分の単位の心配をしなければならなくなってしまった。

 ──翌日の放課後。

 危機感を覚えた俺は、図書室の片隅で一人、ノートと格闘していた。だが、自習で理解できるほど高校の数学は甘くない。頭を抱えてため息を吐いた、その時だった。

 コツン、と目の前の机に小さな音が響いた。

「……相変わらず、冴えない顔ね」

 驚いて顔を上げると、そこには参考書を抱えた神楽坂が立っていた。

彼女は周りをチラッと気にしながら、俺の向かいの席へ静かに腰を下ろす。

「神楽坂……? なんでここに」

「図書室なんだから、私が勉強しに来てもおかしくないでしょう。……それより、随分と苦戦しているみたいね」

 神楽坂は俺のノートを覗き込むと、ふっと小さく微笑んだ。

「昨日のお礼……焼きそばパンとコーラの分、回収させてあげるわ。……教えてあげましょうか、私でよければ」

「まじか、ぜひ教えください」

  俺は縋るような勢いでノートを神楽坂の方へ滑らせた。

「そんなに必死にならなくても……まったく。ほら、この公式、意味もわからず丸暗記しようとしてるでしょう」

「え、わかるのか」

「あなたのノート、公式の横に『??????』って書いてあるじゃない」

「うるさい正直な気持ちを書いただけだ」

 神楽坂はふっと笑うと、シャーペンを手に取り丁寧に図を描き始めた。だが、説明が進むにつれてだんだん早口になり、最終的には俺そっちのけで自分の世界に入り込んでいく。

「――というわけで、ここでこの定理を応用すれば」

「あの、神楽坂さん」

「ん?」

「今の説明、俺より神楽坂の方が楽しそうだったぞ」

「なっ……、そ、そんなことないわよ! 私はただ、わかりやすく教えてあげようと……」

 耳まで赤くなる神楽坂。どうやら「教えるのが好き」という新しい一面を、また目撃してしまったらしい。

「まぁ、おかげでちょっとは分かった気がする。ありがとな」

「べ、別に。焼きそばパンの借りを返しただけだから」

 神楽坂はそう言って視線を逸らしたが、口元は隠しきれない笑みを浮かべていた。

 なんとなくだが理解することはできた。家でしっかりと復習(一夜漬け)をしたら七割は多分いけるだろう。

 ふと神楽坂の目元を見るとうっすらとクマができていた。きっとテスト前だから俺の比にならないほど勉強しているに違いない。

「あんまり根詰めるなよ」

 俺がぽつりと呟くと、神楽坂さんはピクリと肩を跳ねさせた。

 彼女の目の前に開かれたノートには、ぎっしりと緻密な文字が書き込まれている。さすが学年首席……と言いたいところだが、よく見れば同じ計算式を何度も消しゴムで消した痕跡があった。

「別に、根詰めてなんて……これくらい、私にとっては当然の嗜みよ」

「はいはい。じゃあその『嗜み』の途中に、ちょっと一口挟めよ」

 俺は自分の鞄から、事前に買っておいた個包装のチョコレートを二つ取り出し、彼女のノートの端っこにポンと置いた。

「……なにこれ」

「糖分補給。頭使っただろ。学年首席がテスト前に糖分切れで倒れられたら、教わった俺の立場がない」

「……倒れたりしないわよ」

 神楽坂はぶつぶつと文句を言いながらも、チョコを押し返すことはしなかった。

綺麗に切り揃えられた爪で慎重に銀紙を剥がすと、それをちいさく口に運ぶ。

「……ん」

 その瞬間、ふにゃりと彼女の眉間が緩んだ。

普段の緊張感が嘘みたいに解けて、喉を鳴らす神楽坂。やっぱりこの人は、美味しいものを食べている時が一番素直だ。

「……半分、あげるわ」

「え?」

 神楽坂はもう一つのチョコを指先でつまむと、俺のノートの上にちょこんと滑らせてきた。

「一人だけで食べるのも、その……味気ないでしょう。……付き合いなさいよ、明月くん」

 視線を明後日の方向へ向けたまま、ぽつりと呟く声。

「それじゃ頂くよ」

 俺はチョコを口に放り込む。慣れ親しんだ味だが神楽坂にとってはこんな庶民的なものは滅多に口にしないだろう。

 チョコを食べながら教科書を読んでいると図書室扉付近で嫌というほど聞いた声が聞こえてくる。

「参考書どこにあったっけー」

 向かい合いながら座る俺と神楽坂の姿を捉えた有栖。ピタリと動きを止めて面白そうに目を細めた。スマホを取り出しカメラを向ける。

「あれ?洸夜と…神楽坂さん!?もしかして二人きりで勉強中だった?ごめんねー邪魔しちゃって」

 いつになくうざいこのメスガキ。

 有栖はわざとらしく首をかしげながらこちらへと歩いてくる。子供が新しいおもちゃを与えられたような顔。

「なんでお前がここに…」

「参考書探しに来ただけなんだけど、まさか洸夜と神楽坂さんが図書室デートしてたとは…」

 有栖は当然のように俺の隣の席に座り椅子を寄せる。肩と肩の間にほとんど距離が無い。

「デートじゃない。勉強教えてもらってただけだ」

「中学の時は私が教えてやってたのになー。この浮気者め」

「お前と付き合った覚えはねぇよ!?」

 こいつはなぜ平気でこんな恥ずかしいことを言えるんだ。

 言い合う俺たちを、神楽坂は無言でじっと見つめていた。

 あれ、なんか静かになったな。

「神楽坂さん?」

「べ、別に。ただ、随分と仲が良いのね、って思っただけ」

 声のトーンはいつも通りなのに、なぜかシャーペンを握る手に力がこもっているのが見えた。芯がポキリと小さく折れる。

「あ、ごめんね神楽坂さん、勉強の邪魔しちゃって。私と洸夜は昔からこんな感じなんだー」

「そう、幼馴染だものね。……よく知ってるわ」

 神楽坂はにこりと綺麗な微笑みを浮かべたが、その目はまったく笑っていなかった。有栖ですら一瞬たじろぐほどの圧がある。

「じゃあ、明月くん。今日の分の復習、ちゃんとやっておくのよ」

「お、おう」

「琴吹さんに教わりたいなら、それでもいいけれど」

「いや別に有栖に教わろうとは……」

「そう」

 神楽坂はそう言うと参考書をパタンと閉じて、静かに立ち上がった。

「……もう遅いし、私はこれで失礼するわ」

「え、まだテスト範囲終わってな」

「続きは、また今度。……一人で頑張れるでしょう? 明月くんなら」

 いつもより早口で、いつもより早足で、澪は図書室を後にした。

「……どうしたんだろ」

「さぁ……?」

 珍しく有栖も首を傾げていた。芯の折れたシャーペンだけが、彼女が座っていた席にぽつんと残されていた。

「あー、私わかっちゃった」

「うん、その前に少し離れてくれない?」

 以前と肩はほぼ密着状態、有栖が足を動かす度に太ももが当たる。危うく勃起しそうだ。

 有栖は真顔になり指を鳴らした。

「洸夜、あれ絶対怒ってるよ」

「なんで?」

「そりゃもう、あんたのことが好」

「やっぱり黙れ」

 あくまで俺は神楽坂を知人として見ている。どっちかが好意を持ってしまったら今までの関わりが全て虚無と化す。

 中学の時のあの日を思い出す。信じて、裏切られて、笑いものにされた。あんな思いはもう二度としたくない。

「……もういい、俺帰るわ」

「え、ちょっと洸夜」

  参考書を鞄に押し込み、逃げるように図書室を後にする。背中に有栖の視線が刺さっているのはわかっていたが、振り返る余裕はなかった。

 家に着き、俺が玄関の扉を開けると我が妹がエプロン姿で出待ちしていた。台所から漂ってくる料理の匂いがさらにお腹を空かせる。

 まさかこいつ、料理作ってからずっとここにいたのか。

「お帰りお兄ちゃん」

 

 その日の夜、布団の中で天井を見つめながら、俺は何度も同じ問いを繰り返していた。

 ――なんで、あんなに苛立ってるんだ、俺。

 いや、苛立ってるんじゃない。ただ、神楽坂が変な空気のまま帰ったのが気まずいだけだ。それだけだ。

 そう自分に言い聞かせるほど、なぜか胸の奥がざわついて眠れなかった。

 翌朝。

 教室に入ると、いつも通り澪は自分の席で参考書を開いていた。だが、俺が席に着いても顔を上げない。

「……おはよう」

「……おはよう、明月くん」

 声のトーンはいつも通り。だけど、目は合わない。

 これ絶対まだ怒ってるやつだ。

 俺は鞄からごそごそと何かを取り出し、彼女の机の端にそっと置いた。昨日渡しそびれた、もう一枚のチョコレートだった。

「……なにこれ」

「昨日の続き。……余ってたから」

 澪はしばらく無言でチョコを見つめていたが、やがて小さく、聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟いた。

「……ばか」

 あ、これがアニメでよく見るクーデレってやつか。

 神楽坂の口元は、隠しきれないくらい緩んでいた。

 結局その日の放課後は神楽坂に勉強を教わらなかった。というよりこれ以上神楽坂の勉強時間を俺に費やすのも勿体無い。また図書館で会ってしまったらきっと教えてくるだろう。

 家に帰ると、いつも通り玄関で由紀が待ち構えていた。

「おかえりお兄ちゃん」

「おう、ただいま」

 靴を脱いでいると、由紀がじーっと俺の顔を覗き込んでくる。距離が近い。

「……なんか今日、機嫌良さそうだね」

「そうか? 別にいつも通りだが」

「ふーん」

 短い返事だったが、その「ふーん」には妙な圧があった。俺の顔色から何かを読み取ろうとしているのがわかる。こいつのこの手の勘だけは無駄に鋭い。

 夕飯の途中、由紀がさりげなく箸を止めて聞いてきた。

「そういえばお兄ちゃん、期末テストの勉強どう?ちゃんとやってる?」

「あー、まぁ多少は。……昨日ちょっと教えてもらったし」

「教えてもらった?誰に?」

 しまった。

「……新聞部の先輩」

「ふーん、御手洗先輩ね。……ほんとに?」

 なんでその人の名前知ってんだ?記事に書いてたっけ。

 由紀はニコッと笑ったまま、テーブルの下で俺の足を軽く踏んだ。地味に痛い。

「お、おう。ほんとだって」

「じゃあ聞くけど、御手洗先輩って数学得意なの?」

「し、知らん」

「へー……」

 由紀はしばらく黙って唐揚げを口に運んでいたが、ふと箸を置いて、いつもの猫撫で声で言った。

「ねぇお兄ちゃん、私も教えてあげよっか?私、この前の数学のテスト百点だったし」

「え、いや、中二の範囲とは全く別物だけど…」

「じゃあ決まりね!今夜、私がお兄ちゃんの部屋で徹底的に教えてあげる。私天才だから安心して」

 話を聞いてくれ我が妹。

「え、今夜?」

「うん、私が一からみっちり教えてあげるから、覚悟しなさいよね」

 由紀の目は笑っていない。完全に「誰かに教わった」という情報だけを掴んで、対抗心を燃やしているのが丸わかりだった。

 その夜、俺の部屋に教科書とノートを抱えてやってきた由紀は、机の隣に椅子を持ってきてどかっと座った。

「ほら、ここの問題、解いてみて」

「お、おう」

「……あ、間違えた。しょうがないなぁ、もう」

 由紀は横から俺のノートを覗き込むと、呆れたようにシャーペンの先で計算式を指し示しながら解説を始める。由紀は中三までの範囲を全て先に学習し、今は高校の範囲を勉強しているらしい。ああ見えても努力家なんだなとつくづく思う。

「由紀、顔近いんだが」

「じっと見てないと間違い見つけられないでしょ」

「集中できないんだが」

「お兄ちゃんの集中力がないだけでしょ」

 解決になってねぇ。

 どうにかこの状況を切り抜けようと視線を彷徨わせた俺の目に、ふと机の端に置いたままの、澪から半分もらったチョコの包み紙が映った。

 由紀の視線も、釣られるようにそこへ向く。

 空気が、一瞬で変わった。

「……お兄ちゃん、これ、何?」

「あ、」

 由紀は片眉を上げて俺をじろっと見る。

「こ、これは、その、捨て忘れたゴミだ」

「そんなの分かりきってる、」

 由紀はチョコの包み紙をつまんでじっと見つめる。

 終わった…いやまて、これはただの包み紙、それが女の子に関わりがあると確証が持てるはずがない。

「お兄ちゃん、さっき御手洗先輩と一緒に勉強したって言ってたよね?」

「そ、そうだ」

「御手洗先輩って、確か……普段は自分でお菓子作って持ち歩いてる人だよね。この前号外に書いてあったし」

「……え」

「このチョコ、コンビニの個包装のやつだよね。しかも二つで一組の……片方だけ、開けた形跡がある」

 この妹、探偵にでもなるつもりか。

「ぐ……偶然だろ、そんなの」

「へぇ。偶然、ね」

 由紀はジト目のまま、俺の肩をむにっとつねる。痛くはないが地味にしつこい。

「お兄ちゃん」

「な、なんだ」

「私、お兄ちゃんが嘘つくの、すぐわかるんだよ」

「い、痛い痛い、つねるな」

「誰から貰ったのかな、これ」

「な、内緒だ……! 誰にでも秘密の一つや二つはあるだろ!」

「ふーん」

 由紀は頬を膨らませてそっぽを向いた。分かりやすく拗ねた顔。

「じゃあ、私が自分で調べても文句ないよね」

「……え、いや、それはやめてくれ」

「大丈夫、お兄ちゃんのことは、私が一番よく知ってるから」

 そう言って由紀はふふんと得意げな笑みを浮かべ、俺の肩から手を離した。

「さ、続きやろっか!この問題、解いてみて」

「……お、おう」

 何事もなかったかのように問題集を指差す由紀。だが、さっきまでとは違う種類の緊張が、俺の背筋を這い上がっていた。

 こいつ、絶対諦めてないな。

 由紀の視線がチラリと、机の端に置かれたままの包み紙へと戻る。その目はまだ興味津々そうだった。

 その後、由紀との勉強は二時間ほど続いたのであった。

 

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