ep.5知ってしまった裏の顔
新入生歓迎会球技大会も無事に終わり、束の間の平穏が訪れようとしている。
先輩の無茶振りにも柔軟に対応し、新聞部のルーキーとして大活躍した男、そう、俺だ。
さてと、あれからニ週間が経って六月。雨の日も増えてきてあっという間に梅雨入りしている。
運動場を使えない運動部が室内で筋トレしている時の悲鳴が快く聞こえてきて些か気持ちが良いと感じる今日この頃。
球技大会の熱狂が去り、日常が戻ってきた教室。
そこで最初に行われたのは、悪魔のイベント──『席替え』だった。
正直俺としては誰でも良い。俺が操作できるわけでもないし。
「あーあ、明月だけ神楽坂さんの隣とかいう天国ゾーンだったのズルかったもんなー」
石井結衣を筆頭に大半の男子生徒から鬼の様な目で睨まれる。
「今度こそ俺が神楽坂さんの隣に……!」
隣の席になって一体何をするつもりなのかこいつは。
「……ざんねんね、明月くん」
机を運んでいると、神楽坂がすれ違いざま、誰にも聞こえないような小声で呟いた。
立ち止まることなく自分の新しい席へ向かっていく彼女の横顔は、いつもの完璧な『高嶺の花』の顔だったけれど、どことなく寂しげに見えたのは俺の気のせいだろうか。
──それから数日後。
席が離れたことで、神楽坂と話す機会はあからさまに減っていた。まぁ神楽坂の二列後ろになっただけだけど。
期間限定の癒しタイムは終了した。これから俺の臨んだ高校生活が幕を開けるぜ。
——放課後。新聞部の部室へ向かおうとした俺は、スマホを教室の机に忘れたことに気づいて引き返した。スマホが無ければドーパミンを出すことが出来ない。これは死活問題だ。
「わっすれものー」
夕日が赤く染める廊下を歩き、静まり返った教室の扉を少しだけ開ける。
誰もいないはずの教室。だが──
「……お腹すいたぁ……ポテチ食べたい……コンソメパンチ……コーラで流し込みたい……」
ん?なんだあれ。
教室の一番前で、神楽坂が机にべったりと突っ伏していた。
完璧な姿勢も優雅な所作もなく、まるで干からびたトカゲのように机の上でぐったりと伸びている。
え?壊れた?
「……ゲームしたい……駄菓子屋のゲームやりたい……あー、もう全部放り投げて布団でゴロゴロしたい……」
駄菓子屋のゲーム、意外とレトロ好きな神楽坂さん。
呟きながら、ジタバタと足をバタつかせる神楽坂。
「あ、そうだ。一発ギャグやりまーす!」
急にハイテンションになり始めて片手を勢い良くあげる神楽坂。
何をとち狂ったか、でもちょっと見てみたい。
あの名家の令嬢で、成績優秀、誰もが憧れる完璧ヒロインの姿はそこには無かった。
なんだろ、見てはいけないものを見てる気がする。やっぱそっとしておこう。
俺が静かに扉を閉め直そうとした、その時。
ガタッ!
「ひゃん!?」
足が掃除用具入れに当たり、盛大な音を立ててしまった。
勢いよく弾かれたように飛び跳ねた神楽坂と、ドアの隙間からファインダー……ではなく、素の目でバッチリ目が合ってしまう。
神楽坂の顔が、一瞬で真っ白になり、次に爆発したように真っ赤へ染まっていった。
「ば、ばばば、今のを見たの!?」
見とかないと損というか。
素っ頓狂な声を上げる神楽坂。信じられないものを見る目で俺を指差す。
「見てないよ」
普段からは想像もできないほどのおバカな行動をする神楽坂を見て正直にやにやが抑えきれなかった。
「あ、えっと……」
気まずさに固まる俺の前で、神楽坂はロボットのようなギコギコとした動きでゆっくり立ち上がった。
その顔は茹でダコのように真っ赤で、目はぐるぐると泳いでいる。
「ところでみ、明月くん……? い、いつからそこに……」
「『ポテチ食べたい…』のあたりから」
「最初からじゃない!!! ぜんぶ聞かれてるじゃない!!!」
体育館裏で見せたピキピキ顔とは比にならない、過去最大級の悲鳴が誰もいない教室に響き渡った。
頭を抱えて「うー!」と悶絶する神楽坂。高嶺の花の威厳は完全にゼロである。
これはこれで新鮮で面白い。
「み、見なかったことにして! お願い、忘れて! 今の私は私じゃなくて、えっと、疲労が見せた幻覚だから!」
「幻覚がコンソメパンチって呟くかよ」
「うぐっ……!」
ぐうぅぅぅ〜〜〜……。
追い打ちをかけるように、神楽坂のお腹から可愛らしい虫の鳴き声のような音が響いた。
彼女は「ひゃい!?」と妙な声を上げて自分の腹部を両手でガードする。
「……腹、減ってんのか?」
「ち、ちが……っ、これはお腹の虫が勝手に……っ!」
必死に弁明しようとするが、涙目になった瞳が限界であることを物語っていた。
完璧超人のお嬢様だって、放課後になればお腹も空くし、ジャンクフードも食べたくなるらしい。……まあ、毎日あれだけ『神楽坂さん』を完璧に演じていれば、ストレスも溜まるだろう。
俺は呆れ混じりのため息を吐くと、自分の鞄を探り、中から『あるもの』を取り出した。
「ほら」
差し出したのは、御手洗先輩にパシリされて持ち歩いていた購買の焼きそばパンと、未開封の缶コーラ。
「……え?」
「ポテチはないけど、炭酸とジャンクな味ならこれで手打ちにしてくれ。ここで倒れられたら後味が悪い」
御手洗先輩用のやつまた買いに行かないとな。
神楽坂は差し出されたパンとコーラ、そして俺の顔を交互に数回見比べた。
ぽかんと口を開けたあと、じわじわと彼女の瞳に感動(と食欲)の色が広がっていく。
「……ほんとに、もらっていいの?」
「いいから早く受け取ってくれ。誰かに見られたら『神楽坂さんにカツアゲされてる』って噂が立つ」
「失礼ね! 人を聞き捨てならないカツアゲ犯みたいに言わないで!」
ぷいっと頬を膨らませつつも、彼女は大事そうにパンとコーラを受け取った。
そして、自分の席(最前列)にちょこんと腰掛け、嬉しそうに袋を破り始める。
席替えで席は遠くなったはずなのに。
誰もいなくなった放課後の教室で、俺たちはまた、誰にも言えないふたりだけの秘密を共有してしまっていた。
「私ね、家だとポテチもゲームも禁止されてて……」
まて、なんか始まったぞ。
「お父様もお母様も、食事の際のマナーに厳しすぎるのよ。『スープの召し上がり方が雑』だの『フォークの角度が』だの……私はただ、ポテトチップスを袋から手で摘まんで、指についたコンソメパウダーを舐めてみたいだけなのに!」
なんだその独特な着眼点の夢…てか早く戻らないとまずい。御手洗先輩に何されるかわかったもんじゃない。
神楽坂はコーラを勢い良く飲む。
「そ、そうなんだ。指についたコンソメパウダー美味いよねー…あはは」
何言ってんだ俺。
「……ん」
しばらく無言でパンを咥えていた神楽坂さんだったが、小さく喉を鳴らして飲み込むと、ふぅと吐息を漏らした。
ほんのり赤くなっていた頬も、美味しいものを口にしたおかげか少しだけ緩んでいる。
「……助かったわ。その、ありがとう」
あ、愚痴タイム終わった。
「いいって。それより、誰かに見られないうちにさっさと食べ切れよ。神楽坂さんが放課後の教室で焼きそばパン貪ってるなんて知られたら、ファンクラブが泣くぞ」
「貪ってなんてないわよ! 淑女らしく嗜んでいたの!」
ぷいっと横を向く神楽坂さん。だが、手に持った缶コーラを嬉しそうにチビチビと飲んでいるあたり、完全に機嫌は直ったらしい。
「……じゃ、俺はこれで」
「え? あ……」
「忘れ物取りに来ただけだしな。長居して変な噂立てられても困る」
俺が鞄を肩にかけ直してドアノブに手をかけると、神楽坂は照れくさそうに目を伏せたかと思うと、すぐに寂しげな視線をこちらへ向けた。
「……明月くん」
「ん?」
「今日のことは……その、二人だけの秘密、にしてくれるかしら」
「……言っても誰も信じねえよ。高嶺の花が放課後に炭酸でパン流し込んでたなんてさ」
俺が口角を上げて見せると、神楽坂さんは一瞬ポカンとした後、「……ほんと、可愛気のない人」と小さく笑った。
教室のドアを静かに閉め、夕暮れ色の廊下に出る。
席替えで席は遠くなってしまったけれど、俺たちの間にある距離は、以前よりも少しだけ縮まったような気がした。
──そんな余韻に浸りながらパソコン室のドアを開けると、案の定、いつもの賑やかな声が飛んできた。
「あ! 洸夜おかえりー! 忘れ物探すのにどんだけかかってんの〜?」
スマホをいじっていた有栖が、にやりと笑って肩をすくめて出迎えてくる。
その奥では御手洗先輩が「明月くん! 球技大会号外の反響が凄いわよ!」とモニターの前で大はしゃぎしていた。
いつもの騒がしい新聞部の日常へ、俺はため息をつきながら足を踏み入れた。




