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嘘告で心を折られた俺、“普通”に生きようとしたら学校一の高嶺の花を餌付けする係になっていた件  作者: 小馬


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ep.24 紅葉狩りとジンクスの行方

 取材を口実に好きな相手と二人で出かけている自覚はある男、そう、俺だ。


 中間テストが終わって二週間ほど経った、十一月半ばの放課後。窓の外の桜並木はすっかり葉を落とし、代わりに校庭の隅にある楓の木が、燃えるような赤に染まり始めていた。夏の名残がまだどこかにこびりついていた文化祭の頃とは違い、教室の空気にも、廊下を吹き抜ける風にも、はっきりと季節の変わり目が滲んでいる。

 新聞部の部室では、御手洗先輩がホワイトボードに大きく『紅葉特集号!』と書きなぐっていた。マーカーの先から漂う独特の匂いと、窓から差し込む夕方の橙色の光が混ざり合って、いつもの部室が妙に締まりのない空気に包まれている。

「みんな聞いてー! 今週末、翡翠山公園の紅葉が見頃を迎えるんですって! うちの新聞部としても、これは取材しない手はないわ!」

「先輩、行事でもないのに号外出すんですか」

「文化祭が終わってから、うち完全にネタ切れなのよ。地域密着型の記事も、たまには必要でしょう」

 妙に説得力のある理屈に、俺は頷くしかなかった。廃部の危機が去ったとはいえ、部の存在感を保つための努力は相変わらず欠かせないらしい。

「で、誰が行くんですか」

「もちろん、明月くんよ」

「妥当ですね」

 新聞部の便利屋ポジションが板についてきた自覚はある。カメラマン兼記者、それが俺の肩書きだ。

「一人で行かせるのも寂しいし、誰か同行者をつけましょうか」

 先輩がそう言った瞬間、部室の隅でスマホをいじっていた有栖が、ひらりと手を挙げた。

「私、今週末は模試の判定気になってて塾なんですよね〜。悪いけど今回はパス」

「あら、珍しい。じゃあ小林くんか松本くんは」

「僕らその日、バイトの面接なんで」

「二人とも部活中にバイトの話するの、地味に問題じゃない?」

 先輩の突っ込みも虚しく、二人はさっさと帰り支度を始めている。この部、意外と自由だ。

「じゃあ他に誰か……」

 先輩の視線が、部室の入り口に向いた。ちょうどそこには、実行委員の残務の相談で顔を出していた澪の姿があった。夕暮れの逆光の中に立つその姿は、なんだか一枚の写真のように様になっていて、俺は思わず一眼レフを構えたくなる衝動をこらえた。

「あ、神楽坂さん! いいところに!」

「……はい?」

「今週末、明月くんと一緒に紅葉スポットの取材、行ってくれない?」

 突然の指名に、澪は目を丸くする。

「え、私が、ですか」

「新聞部としての正式なお願いよ。ほら、あなたたち文化祭でも息ぴったりだったし、ちょうどいいわ」

「い、いや先輩、それとこれとは」

 口ではそう言って慌てたふりをしてみせたが、内心では「先輩ナイスです」と拳を握っていた。この件は墓場まで持っていく。

「実行委員コンビの再結成、楽しみにしてるわね!」

 結局、有無を言わさぬ勢いで話は決まってしまった。澪はしばらく黙り込んでいたが、やがて小さく息を吐いて頷いた。

「……まぁ、取材なら、仕方ないわね」

「悪いな、巻き込んで」

「別に。取材なんだから、当然のことをするだけよ」

 澄ました顔で言い切る澪だったが、その耳が心なしか赤いことに、俺は気づかないふりをした。お互いに「取材」という便利な言葉を握りしめているのが、なんだかおかしかった。窓の外では、風に煽られた一枚の葉が、ひらりと校庭を横切っていくのが見えた。


        *


 週末、待ち合わせ場所の駅前に立つと、私服姿の澪がすでに先に到着していた。柔らかいベージュのニットに、ロング丈のスカート。夏の水着姿とはまた違う、季節感のある落ち着いた装いだ。首元には控えめなマフラーが巻かれていて、吐く息が白く小さく漂っている。

 朝の空気はひんやりと澄んでいて、駅前のロータリーには、紅葉狩り目当てらしい家族連れや老夫婦が、それぞれの支度を整えながら行き交っていた。誰もが少しだけ浮かれた顔をしているのは、きっとこの季節特有の何かのせいだろう。俺も、その「何か」のせいにしておくことにした。

「待たせたか?」

「ううん、今来たところよ」

「その台詞、なんか本当に言う人がいるんだな」

「うるさいわね」

 澪は少し照れくさそうに視線を逸らし、隣に並んで歩き出した。取材道具の入ったリュックを背負い直しながら、俺たちは翡翠山公園行きのバスに乗り込む。

 バスの中は、紅葉狩り目当ての家族連れやカップルでそれなりに賑わっていた。窓ガラスの向こうを、住宅街の景色がゆっくりと流れていく。街路樹も少しずつ色づき始めていて、時折、黄色く染まった銀杏並木がまとまって視界を横切ると、車内から小さな歓声が上がった。

 窓際の席に並んで座ると、澪がぽつりと呟く。

「こういう場所、あまり来たことがないの」

「意外だな。この時期、紅葉狩りとか定番行事だろ」

「うちは、その、庭園の紅葉を邸内で愛でる方が多かったから」

「規模が違いすぎるだろ」

 思わず笑ってしまうと、澪はむっとした顔で睨んでくる。だがその表情もどこか楽しそうで、俺は口元を緩めながら窓の外を眺めた。バスが山道に差し掛かるにつれて、窓の外の景色は少しずつ緑と赤のグラデーションへと変わっていく。エンジン音に混じって、澪の膝の上でリュックのファスナーが小さく揺れる音だけが、やけに耳に残った。


 翡翠山公園に着くと、辺り一面が赤と黄色のグラデーションに染まっていた。木々の間を抜ける風が、色とりどりの葉をひらひらと舞い落とす。頭上を覆う楓のトンネルは、太陽の光を透かして、まるで天井全体が燃えているように見えた。足元には既に厚く積もった落ち葉が広がっていて、一歩踏み出すたびにかさりと乾いた音を立てる。遠くの方では、子供たちが落ち葉を蹴り上げてはしゃぐ声と、それを追いかける親の呼び声が響いていた。

「うわ、すごいな」

「……綺麗ね」

 澪が小さく息を呑む声が聞こえた。いつもの澄ました表情が、一瞬だけ年相応の少女のものに変わる。

 俺は取材用の一眼レフを構え、シャッターを切った。紅葉のトンネル、地面に積もった落ち葉、遠くに見える池に映る木々の姿――どれもこれも、記事映えする一枚ばかりだ。ファインダー越しに切り取った澪の横顔もまた、今日一番の一枚になりそうな予感がした。もちろん取材用のフォルダに入れるつもりはない。それを本人に言うつもりも、今のところない。

「明月くん、写真ばっかり撮ってないで、ちゃんと私も手伝うわよ」

「じゃあ、そこの茶屋のおばあちゃんに話聞いてきてくれ。紅葉の見頃とか、名物とか」

「了解」

 澪は迷いなく茶屋へ向かい、店番のおばあちゃんに丁寧に話しかけていく。木造の小さな茶屋は、屋根の隙間から差し込む光と、炭火の煙とが入り混じって、どこか懐かしい匂いを漂わせていた。普段の澄ました優等生の顔とは少し違う、柔らかい笑顔で頷きながらメモを取る澪の姿は、なんだかんだ様になっていた。

「――だそうよ。この時期は例年より色づきが早いんですって。それと、おすすめは焼き団子」

「取材そっちのけで団子情報仕入れてきたのか」

「大事な情報でしょう」

 結局、二人で焼き団子を買って、ベンチに並んで座ることになった。醤油だれの焦げる香ばしい匂いが、秋の冷えた空気の中でひときわ強く漂う。串を持つ澪の指先が、少し冷たそうに赤くなっているのを見て、俺は自分の手袋を無言で差し出したが、「いらないわよ」とあっさり突き返された。素直じゃない。

「……美味しいわね」

「だろ。こういうの、お前絶対好きだと思ってた」

「な、なんでよ」

「ポテチとハチミツレモンの人だからな」

 澪は一瞬言葉に詰まったあと、悔しそうに団子を頬張った。その反応が面白くて、俺はまた笑ってしまう。ベンチの下では、風に運ばれてきた葉が二人の足元に静かに溜まっていった。


        *


 しばらく散策を続けていると、澪がふと足を止めて、はらはらと舞い落ちる紅葉を見上げた。木々の間から漏れる光の粒が、彼女の水色の髪をきらきらと照らしている。

「そういえば、こういうジンクスがあるらしいわよ」

「ジンクス?」

「落ちてくる紅葉の葉を、地面に着く前に手のひらでキャッチできたら、恋が叶うって」

 澪はそう言うと、悪戯っぽく笑って両手を広げた。

「へー、お前がそういうの信じるタイプだとは思わなかった」

「べ、別に信じてるわけじゃ……ただの話のネタよ」

 言い訳がましくそう言いながらも、澪は落ちてくる葉を目で追い始める。俺もつられて、同じように空を見上げた。頭上を覆う枝々の隙間から差し込む光が、無数の葉のシルエットを縁取っていて、見ているだけで目が眩みそうになる。

 風が強く吹いて、一斉に葉が舞い散る。まるでスローモーションのように、赤や黄色の欠片が空中でくるくると回りながら落ちてくる。澪が慌てて手を伸ばすが、指先をすり抜けて葉は地面に落ちてしまった。

「くっ……」

「お前、地味に負けず嫌いだよな」

「うるさいわね、もう一回よ」

 何度目かの挑戦の末、澪はようやく一枚の葉を手のひらに収めることに成功した。小さな歓声を上げて、両手で包み込むようにその葉を見つめる姿は、学年首席の完璧な令嬢というより、ただの十五歳の女の子そのものだった。

「取ったわ!」

 子供みたいにはしゃぐ澪の姿に、俺は思わず見惚れてしまう。

「よかったな、これで恋、叶うんじゃないか」

 軽く言ったつもりだった。……つもり、だった。

 澪の動きが、ぴたりと止まる。

「な……、べ、別に、私、そういう相手なんて」

 みるみるうちに顔を赤くしていく澪を見て、俺は自分の失言に今更ながら気づいた。周囲の喧騒が急に遠くなったような、妙な静けさが二人の間に落ちる。

「あ、いや、その、深い意味はなくて」

 半分は本当で、半分は嘘だった。深い意味がなかったわけじゃない。ただ、その意味を口に出す勇気がなかっただけだ。

「ふ、深い意味がないなら余計に失礼でしょう!」

「悪い悪い」

 気まずい沈黙が二人の間に流れる。だが、その沈黙すら、なぜか嫌な気分じゃなかった。夕暮れ時の澄んだ空気の中、赤く色づいた木々を背景に立つ澪の横顔を、俺はしばらく見つめていた。風が止むと、辺りにはただ、二人分の呼吸の音と、遠くの子供たちのはしゃぎ声だけが残った。


 夕日が傾き、公園全体がオレンジ色に染まっていく頃、俺たちは池のほとりのベンチに腰掛けて、最後の休憩を取っていた。水面には夕焼けと紅葉の色が溶け合って映り込み、時折吹く風にさざ波が立つたび、その色がゆらゆらと揺れる。

「今日は、その……楽しかったわ」

「俺も。取材のはずなのに、団子食っただけな気もするけど」

「写真、たくさん撮ったでしょう」

「まぁな」

 カメラの液晶を覗くと、紅葉の風景に混じって、澪の自然な笑顔を捉えた一枚があった。取材用にはとても使えない、俺だけの一枚だ。液晶の小さな画面の中で、澪は今日一日の中で一番柔らかい表情をしていた。

「なぁ、澪」

「な、なに」

 名前で呼んだことに気づいて、俺自身も少し動揺した。だが今更取り消すのも変な話で、そのまま続ける。

「今日、付き合ってくれてありがとな」

「……べ、別に。取材だったんだから、当然でしょう」

 そう言いながらも、澪の口元は隠しきれないくらい緩んでいた。夕日を浴びたその横顔が、いつもより少しだけ幼く、それでいて眩しく見えた。

 その時、俺のスマホが着信で震えた。画面には『御手洗先輩』の文字。

「もしもし――」

『明月くーん! 写真データ、今日中に送ってもらえる? 号外、月曜には出したいのよ!』

「あ、はい、帰ったら送ります」

 通話を切ると、澪がくすりと笑った。

「相変わらず、忙しない先輩ね」

「まったくだ」

 二人で顔を見合わせて笑う。夕暮れの光が、二人分の影を長く伸ばしていた。木々の隙間から差し込む最後の陽光が、少しずつ橙から紫へと色を変えていく。

 変えたいけど、まだ踏み出せない。それでも、こうして隣で笑っている澪の存在が少しずつ俺の中で大きくなっていることだけは、否定しようのない事実だった。

 中学のあの日から、近づけば傷つくものだと決めつけて生きてきた。その考えが、完全に消えたわけじゃない。ただ、この人が相手なら、傷ついてもいいかもしれないと、初めて思ってしまった。

「そろそろ帰るか」

「そうね」

 立ち上がった澪の手のひらには、さっきキャッチした紅葉の葉が、まだ大事そうに握られていた。帰りのバス停へ向かう坂道を、俺たちはゆっくりと、言葉少なに並んで歩いていく。落ち葉を踏む音だけが、二人の間の心地よい沈黙を埋めていた。

 俺の全然普通じゃない秋の一日は、こうして静かに、けれど確かな温度を残して幕を閉じたのだった。


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