ep.22 花瓶と罪滅ぼし
放課後の校内美化奉仕活動という名の、ただの重労働に従事させられている男、そう、俺だ。
花瓶事件から数日後。俺と石井、中村の三人には、正式に「校内美化奉仕活動二週間」と「弁償金の分担」が言い渡されていた。奉仕活動の内容は、廊下や階段の掃除、体育館の床磨き、中庭の草むしりなど、地味だが地味に堪える作業ばかりだ。
「うぐ……この雑巾、絶対菌がすごい」
石井が涙目で雑巾を絞っている。潔癖症のこいつにとって、この罰は拷問に等しいらしい。
「文句言うな。お前も一緒に走ってた戦犯の一人だろ」
「わかってるけどよぉ……」
一方、中村は妙に手際よく雑巾がけをこなしていた。
「お前、掃除も得意なのか」
「家庭科部分だけは、なぜか昔から評価される」
「便利な特技だな」
この二人と一緒にいると、罰でさえも妙に賑やかになる。だが、笑ってばかりもいられない事情があった。
弁償金だ。
あの花瓶、創立六十周年の記念品というだけあって、見積もりで出てきた金額はなかなかに恐ろしい数字だった。三人で分担するとはいえ、高校生の財布には決して優しくない額だ。バイト禁止の校則がある翡翠川学園では、稼ぐ手段も限られている。
「これ、どうやって返すんだよ……」
「小遣い前借りするしかないんじゃないか」
「うちの親、絶対渋るぞ」
三人で頭を抱えていた放課後、思いがけない人物が奉仕活動の現場に顔を出した。
「――お疲れ様、明月くん」
澪だった。制服姿のまま、なぜか掃除用のバケツを片手に提げている。
「神楽坂……? なんでここに」
「別に。ちょっと様子を見に来ただけよ」
「様子って、お前は奉仕活動の対象者じゃないだろ」
「そうだけど、暇だったから」
どう見ても暇なタイプではない澪が、澄ました顔でそう言い切る。石井と中村が、揃って意味ありげな視線を俺に送ってくるのが地味に鬱陶しい。
「まぁ、手伝ってくれるなら助かるが」
「当然、手伝うために来たのよ」
澪はそう言うと、迷いなく雑巾を手に取り、廊下の拭き掃除を始めた。慣れない手つきながらも、真剣な表情で床を拭いていく姿は、なんだかんだ様になっている。
「お前、こういう作業したことあるのか」
「……あまり、ないわ。うちは、その、家事は基本使用人に任せる家だから」
「だろうな」
「悪い?」
「別に。ただ、慣れないことに首突っ込む物好きだなって思っただけだ」
「うるさいわね。手伝いに来ただけで文句言われる筋合いはないわ」
軽口を叩き合いながらも、澪はせっせと雑巾を動かし続けた。額にうっすらと汗が滲んでいるのが、妙に新鮮だった。
*
しばらく作業を続けたところで、澪がふと手を止めて口を開いた。
「――そういえば、弁償金のこと、あなたたちどうするつもりなの」
「頭抱えてる最中だ。バイトもできないし、正直目処が立ってない」
「そう」
澪は少し考え込むような顔をしたあと、静かに続けた。
「実は、あの花瓶についてなんだけど」
「ん?」
「あれ、うちの祖母が、翡翠川学園の卒業生だったの。創立六十周年の時に、記念品として寄贈したのが、あの花瓶」
想定外の情報に、俺は雑巾がけの手を止めた。
「……は? お前の家、あの花瓶にまで関わってたのかよ」
「知らなかったでしょう。うちの家系、この学校とは長い付き合いがあるから」
流石は神楽坂グループ、関わり方のスケールがおかしい。
「それで、実はあの花瓶を作った窯元さん、今でもうちの家と取引があるの。美術品や骨董品を扱う部門があって……そこを通せば、修理か、同等品の手配、通常よりだいぶ安く済むと思うわ」
「……マジか」
「マジよ」
澪は淡々とした口調で言い切ると、少しだけ視線を逸らした。
「別に、あなたたちのためだけじゃないから。うちの祖母の寄贈品を、二束三文の粗悪品で誤魔化されるのも、それはそれで気分が悪いし」
わざわざそんな理由を付け足すあたり、素直じゃないのは相変わらずだ。
「……ありがたいが、いいのか? また神楽坂の力借りることになるけど」
そう聞くと、澪は俺の顔をまじまじと見つめた。
「あなた、この前もそんなこと言ってたわね。勉強を教えてもらいたくない、って」
「まぁ、な」
「今回は、ちょっと違うと思うわよ」
「どう違うんだ」
「今回は、勉強を教えてもらうのとは違って、あなたが自分で汗をかいて、罪を償おうとしてる。私がやってるのは、その手伝いをちょっと早くする程度のことよ。あなたの努力を、私が肩代わりしてるわけじゃないわ」
その言葉に、俺は少し驚いた。
勉強を教えてもらうことと、今回のこと。確かに、根本的には似たような話に思えたが、澪の言う通り、性質が違う気もする。今回の罰は、あくまで俺たち自身が汗を流して償うべきものだ。窯元とのやり取りという、俺たちにはどうにもならない部分だけを、澪が力を貸してくれているに過ぎない。
「……そうだな。悪い、頼らせてもらう」
「素直でよろしい」
澪は満足げに小さく笑った。
*
数日後、澪の家の伝手で見積もりが取り直された結果、弁償金額は当初の三分の一以下にまで下がった。それでも決して安い金額ではなかったが、三人で分担すれば、なんとか小遣いの範囲でやりくりできそうな額だった。
「マジで助かった……」
石井が安堵のあまりその場にへたり込む。
「神楽坂さんに足向けて寝られないな、これは」
「同感だ」
中村も珍しく素直に頷いていた。
奉仕活動の方も、澪が顔を出す日が少しずつ増えていった。もちろん毎日ではないし、彼女自身の勉強や実行委員後の残務もある。それでも、時々ふらっと現れては雑巾を手に取り、黙々と手伝ってくれる姿を、俺はいつの間にか当たり前のように感じるようになっていた。
「なぁ、神楽坂」
「なに」
「なんでそんなに、律儀に手伝いに来るんだ」
作業の合間、ふと聞いてみると、澪は一瞬手を止めて、窓の外に視線を向けた。
「……別に、深い理由はないわよ。強いて言うなら」
「言うなら?」
「あなたが、一人で意地張って抱え込んでるところ、見てるのがちょっと落ち着かないだけ」
その一言に、俺は思わず言葉に詰まった。
「意地張ってるつもりはないんだが」
「あるわよ、大アリよ。二学期の中間テストの時も、変に意固地になって『自分でやる』って言い出したり」
「あれは、頑張った結果ちゃんと点数に繋がったろ」
「それは認めるけど。……でも、時々でいいから、頼ってくれてもいいのよ。私だって、あなたに頼ってばかりだったこと、何度もあるんだから」
その言葉には、体育館裏で見せた不安げな横顔や、三者面談の後の震える指先が重なって見えた。お互いに、支え合ってきた自覚があるからこその言葉なんだろう。
「……そうだな。今回は、素直に世話になったし」
「よろしい。……次からは、もう少し早く頼ってくれると助かるわ」
澪はそう言って、悪戯っぽく笑った。
*
奉仕活動最終日。廊下と体育館の掃除を終え、俺たち三人は久しぶりに晴れやかな気分で職員室に報告に向かった。
「よし、これで正式に完了だ。よく頑張ったな」
生徒指導の教師にそう言われ、石井が涙目で「やっと解放された……!」と天を仰ぐ。
「あとは弁償金の残額だけだが、これも神楽坂さんの家のご厚意で、当初よりだいぶ抑えられたと聞いている。感謝するように」
「もちろんです」
三人揃って頭を下げると、教師は満足げに頷いた。
部室に戻ると、御手洗先輩が両手を広げて出迎えてくれた。
「明月くん、お疲れ様! もう廃部の心配はなさそうよ! 生徒会長さんからも、正式に『処分は個人の範囲に留める』って連絡があったわ!」
「よかったです、ほんとに」
「これも全部、明月くんが真面目に奉仕活動やったおかげね!」
先輩の言葉に、小林先輩と松本先輩も揃って拍手を送ってくる。有栖も「お疲れ様、洸夜」と柔らかく笑いかけてきた。
「まぁ、澪のおかげでもあるけどな」
思わずそう漏らすと、有栖がにやりと笑みを深める。
「へー、下の名前で呼ぶようになったんだ」
「……あ」
しまった、と気づいた時にはもう遅かった。
「ふーん、へぇー。仲良くなったもんだね」
「…別に良いだろ」
「否定しないんだね」
からかいの視線から逃げるように、俺は取材ノートを引っ張り出して話題を逸らそうとしたが、有栖の追及はしばらく止まらなかった。
花瓶の一件は、こうしてどうにか丸く収まった。奉仕活動という名の罰は終わり、弁償金も無事に片付いた。だが、その過程で澪との距離が、また少しだけ縮まったことだけは確かだった。
俺の全然普通じゃない高校生活は、こうしてまた一つ、賑やかな思い出を積み重ねていくのだった。




