ep.13 恋愛アドバイザーと実行委員
休日の予定を全部アニメ鑑賞とエロゲーで埋め尽くす男、そう俺だ。
九月に入ってもまだ暑さの抜けない土曜日、俺はリビングのソファに寝転がり、録り溜めた深夜アニメを一気見していた。二学期が始まってからというもの、平日は新聞部だの委員会だの騒がしいので、休日くらいは何もせず堕落して過ごしたい。それが人としてまっとうな権利だと俺は思っている。
エアコンの効いた部屋、テーブルの上には食べかけのポテトチップスと空になった炭酸のペットボトル。理想の休日というやつを、俺は今まさに体現していた。
インターホンが鳴ったのは、ちょうど三話目のクライマックスに差し掛かった瞬間だった。
「はーい」
台所から由紀の声がして、玄関の方へ軽い足音が向かっていく。
誰だ、こんな休日に。宅配便にしては早い時間だし、母さんは仕事でまだ帰ってこないはずだ。
「あ、有栖さんだ。お兄ちゃんに用ですか?」
「うん、遊びに来ちゃった。お邪魔しまーす」
聞き覚えのある声に、俺は思わずソファから身を起こした。有栖が俺の家に来るのは初めてじゃないが、事前連絡もなしにふらっと現れるのは相変わらずだ。
「洸夜ー、いるんでしょー」
リビングの扉が勢いよく開き、私服姿の有栖がひょっこりと顔を出す。夏らしい涼しげなシャツワンピースに、いつものツインテール。休日仕様の有栖は、学校で見る姿とはまた違う新鮮さがあった。
「お前、連絡くらいしろよ」
「したじゃん、さっき」
「今さっきってどういうことだよ」
スマホを確認すると、確かに数分前に『今から行くね』とだけメッセージが届いていた。事後報告にも程がある。
「まぁまぁ、細かいことはいいから。ちょっとお邪魔するね」
有栖は勝手知ったる様子でソファの隣に腰を下ろす。台所の方からは、由紀が「お茶淹れますねー」とのんびりした声を上げていた。妙に手慣れているあたり、有栖が来るのは初めてじゃないと察する。俺の知らないところで、妹と幼馴染はいつの間にか交流を深めているらしい。
しばらくして、由紀が麦茶を二つ運んできた。
「はい、どうぞ」
「ありがとー由紀ちゃん」
「有栖さん、今日は何のご用です?」
「洸夜に、恋愛相談乗ってもらおうと思って」
由紀の目が興味津々に光る。
「あ、それ私も交ざっていいですか」
「だめ」
「ケチ」
妹まで乗り気になりかけたところを、俺は一喝して部屋から追い出すことにした。この家、放っておくと女子二人がかりで俺のプライバシーが丸裸にされる未来しか見えない。
「由紀、悪いけどここから先は男女の会話だ。お前は下がってろ」
「男女の会話って、有栖さんと二人きりになる方が危険じゃないですか?」
「へー、由紀ちゃん鋭いね」
「有栖も乗るな」
結局、由紀は名残惜しそうにしながらも自室へと引き上げていった。扉の隙間からこちらを覗く視線を最後まで感じたが、気づかないふりをする。
「相変わらず仲良い兄妹だね」
「あれは仲良いっていうか、監視されてるだけだ」
「監視されるほど怪しいこと、日頃からしてるってこと?」
「してねぇよ」
軽口を叩き合いながら、俺たちは麦茶に口をつけた。氷が溶けきる前の麦茶は、キンと冷えていてちょうどいい。
「そういや中村とあのあとどうなったの?」
聞いて良いかわからないが有栖と中村がなにか接点があったのかと心底俺は疑問に思っていた。もし付き合ってたらお祝いに赤飯でもプレゼントしよう。
「あぁ、振ったよ?」
「まぁ想像はできたが…」
「中村くんねー…面白くて最高なんだけど…恋愛対象外って感じ」
「まぁ面白いのはわかる。奇妙だし」
有栖は麦茶を飲み切って小さく息を吐く。
「まぁ中村のことははどうでも良いの。今日はね、私が洸夜の恋愛アドバイザーになってあげようと思って来たの」
急に飛び出した単語に、俺は思わずむせそうになった。
「は?なんだよそれ」
「文字通りの意味だけど。あんたと神楽坂さんの仲、私がもっと進展させてあげようかなーって」
「余計なお世話だ」
「そう言うと思った。でも、放っておいたらあんたたち、一生今のままだよ?」
妙に自信満々な口調で言い切る有栖に、俺は返す言葉を失った。悔しいが、当たらずとも遠からずな気がしてしまう自分がいる。
「そもそも、あんた夏休みの間ずっとメッセージのやり取りしてたくせに、実際会う約束の一つもしなかったでしょ」
「べ、別に、そういう空気にならなかっただけで」
「言い訳が下手すぎる」
「うるさいな」
図星を突かれ、俺は口を尖らせた。実際、澪と直接会う口実なんて、考えたこともなかった。
「じゃあ聞くけど、洸夜。二学期入ってから、神楽坂さんと二人きりで話した回数は?」
「……朝、席で話すくらいなら」
「それカウントしない。周りに人いる時点でノーカン」
「厳しすぎるだろその基準」
容赦のない判定に、俺は思わず唸った。言われてみれば、確かに教室以外で二人きりになった記憶がほとんどない。
「別に、今のままでも困ってないし」
「困ってなくても、進展はしたいでしょ? 二学期は行事がたくさんあるんだから、チャンスも多いんだよ」
「行事って言われても」
「そう、それでね」
有栖はにやりと笑うと、スマホを取り出して何やら画面を操作し始めた。俺の方に向けられた画面には、学校の掲示板を撮影したらしい写真が表示されている。
「これ見て」
画面には『二学期・文化祭実行委員募集』の文字が大きく躍っていた。
「委員一人につき、クラスから男女一名ずつの二人体制。……で?」
「あんた、立候補しなよ」
「は?なんで俺が」
突然の提案に、俺は思わず声を裏返した。実行委員なんて、面倒事の代名詞みたいなものじゃないか。
「だって、実行委員って準備期間中、放課後もほぼ毎日集まるんだよ。しかも、ペアで動くことが多いの」
「それがどうした」
「神楽坂さんも、多分立候補するはずだよ」
有栖の言葉に、俺は思わず口を噤んだ。
「……なんでお前がそんなこと知ってるんだよ」
「クラスの女子内で、もう噂になってるもん。優等生の神楽坂さんがやるなら私もーって、便乗組が結構いるらしいよ」
どうやら澪が委員に立候補するというのは、もうそれなりに広まっている話らしい。俺の把握してないところで、色々と物事が進んでいる。
「まぁ、確定じゃないけど。でも、可能性は高いと思うよ」
「だからって、俺が立候補する理由にはならないだろ」
「理由ならあるでしょ。神楽坂さんと二人で、放課後毎日一緒にいられるんだよ? こんなチャンス滅多にないって」
悪びれることなく言い切る有栖に、俺は何も言い返せなかった。悔しいが、正論だ。それに、この機会を逃すのは、正直もったいない気もしてくる。
「でも、俺、新聞部あるし」
「それは大丈夫。私がカバーするから」
「え」
「新聞部の方は、私がその分頑張るよ。御手洗先輩にも話通しとく」
あっさりと言ってのける有栖に、俺は少し驚いた。てっきり冷やかし半分の思いつきだと思っていたのに、思いのほか本気らしい。
「お前、それでいいのかよ。仕事増えるだけだろ」
「いいのいいの。私、洸夜が幸せになるのが一番だから」
さらりと言われた一言に、一瞬、心臓が跳ねる。だが有栖はすぐにいつもの調子でにっと笑った。
「――なんてね。まぁ、恩売っとくのも悪くないかなって、それだけ」
「絶対今の照れ隠しだろ」
「さぁ、どうかな」
誤魔化すように麦茶を一気に飲み干す有栖を見て、俺はそれ以上追及するのをやめておくことにした。触れたら藪蛇な気がする。
「そういえば、御手洗先輩には話したのか、それ」
「あ、まだ。月曜日にでも言っとくよ」
「先輩、絶対渋い顔するぞ」
「大丈夫、大丈夫。『部員一人減っても、私が二人分働けば同じことよ』とか適当に丸め込んどく」
あまりにも軽い口調に、俺は逆に不安になった。案の定、週明け、部室に顔を出すと御手洗先輩が「実行委員なんて聞いてないんですけどぉ!」と机を叩いて騒いでいたが、有栖が「文化祭特集号のネタが増えるから、むしろお得ですよ先輩」と丸め込むと、あっさり機嫌を直していた。単純な人だ、うちの部長は。
しばらく黙り込んでいた俺に、有栖は畳み掛けるように続けた。
「とにかく、月曜日のホームルームで立候補、募集あるはずだから。ちゃんと手挙げなよ」
「簡単に言うけどな」
「簡単だよ。手を挙げるだけなんだから」
「その後の面倒事が全部俺に降ってくるんだが」
文句を言いながらも、頭の中では既に月曜日のことを考え始めている自分がいた。澪と二人で、放課後を共にする。想像するだけで、妙に落ち着かない気分になる。
「ま、悩む時間もあんまりないから、覚悟決めときな」
「他人事だと思って気楽に言うなよ」
「他人事だもん、私にとっては」
あっけらかんと言い放つ有栖に、俺はもう反論する気力もなくなってきた。まったく、この幼馴染はいつもこの調子で人を振り回す。
――そして、月曜日のホームルーム。
「はい、じゃあ次。文化祭実行委員、立候補する人はいるか?」
担任がプリントを片手に、気だるげに教室を見回す。
「毎年恒例だが、うちのクラスからは男女一名ずつ選出な。誰かいないか」
しん、と教室に沈黙が落ちる。誰も彼も、面倒事から全力で目を逸らしていた。石井などは机の下に潜り込む勢いで身を縮めている。この空気、俺にとっては都合がいい。誰も立候補しなければ、俺が挙手する理由もなくなる。
そう思っていた矢先だった。
「はい、明月洸夜くんが立候補します」
斜め後ろの席から、よく通る声が響いた。振り返るまでもない、有栖だ。
「な……お前、勝手に……!」
「なになに、やる気満々じゃん明月」
周囲がざわつき始める中、俺は慌てて立ち上がろうとしたが、もう遅かった。担任は嬉々としてプリントに俺の名前を書き込んでいる。
「お、いいね。明月、頼んだぞ」
「いや先生、俺そんなつもりじゃ」
「決まりだ決まりだ、次」
あっさりと流されて、俺の抗議はどこにも届かなかった。呆然とする俺の耳に、有栖の得意げな声が届く。
「よかったじゃん、これで確定」
「お前な……」
文句を言おうにも、もう手遅れだった。教壇の前では、担任が次に女子側の候補を募っている。
斜め前の席で、石井がこちらを振り返り、信じられないものを見る目で俺を見つめてきた。
「明月……お前、そんなキャラだったのか」
「違う、俺は何も」
「有栖ちゃんに操られてるだけだよな、あれ」
「桜井は分かってるじゃないか」
中村だけは我関せずといった様子で、窓の外をぼんやり眺めている。合宿以来、あいつのアンテナはどうも別のことに向いているらしい。
「じゃあ女子、誰か立候補は」
誰も手を挙げない空気の中、静かに手が挙がった。
「私が、やります」
澪だった。
教室中の視線が一斉に集まる。学年首席が自ら立候補するとは思っていなかったのか、驚きの声がちらほら漏れた。
「神楽坂さんが? めずらしい」
「まぁ、あの人なら安心だけど」
周囲のざわめきをよそに、澪はいつもの澄ました表情のまま席に座り直す。だが一瞬だけ、こちらに視線が向いたのを俺は見逃さなかった。
「よし、じゃあ一年二組の実行委員は明月と神楽坂で決定な」
担任の一声で、あっという間に話が締めくくられる。俺は隣の席をちらりと見た。澪も同じタイミングでこちらを見ていたらしく、視線がかち合う。
「……よろしくお願いします、明月くん」
「あ、ああ。こちらこそ」
妙にぎこちない挨拶を交わしながら、俺は斜め後ろの席の有栖をじろりと睨んだ。有栖はといえば、してやったりという顔で、こちらに向かって小さくピースサインを送ってくる。
この幼馴染、絶対最初から仕組んでいたな。
昼休み、学食に向かう途中で石井に肩を組まれた。
「明月、聞いたぞ。神楽坂さんと実行委員コンビだって?」
「お前まで、その話か」
「もう学年中に広まってるって。お前、いつの間にそんな大物になったんだよ」
「大物も何も、勝手に決められただけだ」
力なく答える俺に、石井はニヤニヤと意味ありげな視線を向けてくる。
「まぁ、頑張れよ。陰ながら応援してるから」
「その言い方、なんか含み持たせすぎだろ」
結局、昼食の間中、その手の話題で散々からかわれることになった。まったく、この学校の情報伝達速度はどうなっているんだ。
放課後、実行委員として最初の集まりがあるというので、俺は澪と連れ立って多目的教室へと向かった。廊下を並んで歩くのは、これが初めてかもしれない。
「なんか、あっという間に決まったわね」
「まぁな。俺は完全に有栖に嵌められた口だけど」
「私は自分の意志よ」
きっぱりと言い切る澪に、俺は少し驚いた。
「意外だな。お前が自分から面倒事に首突っ込むタイプだとは思わなかった」
「別に、面倒事だなんて思ってないもの」
澪はそう言うと、少しだけ視線を逸らした。
「文化祭くらい、ちゃんと楽しみたいじゃない。毎年、行事の準備は完璧にこなすことだけ考えて、楽しむ余裕なんてなかったから」
その言葉には、いつもの気取った響きはなかった。合宿の時に見た、素の彼女の一面がまた覗いた気がする。
「そうか」
「そうよ」
「なら、俺も真面目にやらないとな」
「当然でしょう。足を引っ張られたら困るもの」
澄ました口調で言い返してくる澪に、俺は思わず笑ってしまった。相変わらず素直じゃない。
多目的教室に着くと、既に他クラスの実行委員たちが集まり始めていた。黒板には『文化祭実行委員会・第一回全体会議』と大きく書かれている。担当教師らしき人物が、資料を配りながら前に立った。
「じゃあ、今年度の文化祭について、まず全体スケジュールから説明する」
教室を見渡すと、見覚えのある顔もちらほらいた。斜め前の席には、確か、新入生歓迎球技大会の時に石井結衣が作った神楽坂信仰教の一人、柊浄慈が座っている。誰も彼も、心なしか気合の入った顔つきをしていた。実行委員なんて面倒事、と思っていたのは俺だけなのかもしれない。
配られたプリントには、準備期間や当日までの流れ、各クラスの出し物申請の締め切りなどがびっしりと書き込まれていた。想像していたよりずっと本格的な内容に、俺は思わず唸る。
「これ、思ったより大変そうだな」
「今更気づいたの」
「いや、有栖が軽く言うから、もっと簡単な仕事だと思ってた」
隣の澪がくすりと笑う。
「クラスの出し物、もう決めてあるの?」
「いや、まだ何も」
「先輩方が喫茶店がベストって言ってたわよ」
「無難にそれでいいんじゃないか」
「安易ね」
「じゃあ何か案あるのかよ」
「……ないけど」
澪が気まずそうに視線を逸らすので、俺は思わず噴き出しそうになった。案がないなら安易とか言うなよ。
説明の途中、担当教師が「今年から、クラス同士の交流を兼ねて、隣接教室のペアで簡単な打ち合わせをしてもらう」と言い出し、教室内が軽くざわついた。指定された相手は、一年五組。
「あ、由紀さんも五組だったわよね」
「うちの妹は中等部だから関係ないぞ」
「知ってるわよ、言ってみただけ」
澄ました顔で言い返す澪に、俺は毒気を抜かれる。こういう軽口の応酬にも、最近はだいぶ慣れてきた気がする。
五組側の代表として現れたのは、見知らぬ男女のペアだった。軽く自己紹介と挨拶を交わし、当日の動線について簡単に情報交換をする。特に揉めるようなこともなく、拍子抜けするほどあっさりと終わった。
「思ったより普通だったわね」
「なんか身構えて損した気分だ」
会議が進み、実行委員の役割分担についての説明が始まる。備品管理、装飾担当、当日の司会進行――様々な仕事がリストアップされていく中、俺たちのクラスからは、まずクラス内アンケートを取って出し物を決定するところから始めることになった。
「じゃあ、明日までにクラスの出し物案、まとめておかないとね」
「明日て、早すぎだろ」
「他のクラスはもう決まってるところも多いのよ。乗り遅れたら、良い場所も取れなくなるわ」
やけに手際よく段取りを組んでいく澪に、俺は思わず感心した。こういう時のリーダーシップは、さすが学年首席と言うべきか。
「お前がそこまで言うなら、俺も協力するけどさ」
「当然、協力してもらうわよ。実行委員は二人一組なんだから」
澪はそう言うと、手帳を取り出し、その場でざっと予定を書き込み始めた。放課後の予定、締め切り、確認事項――几帳面な文字が、あっという間に埋まっていく。
「明日の放課後、クラスでアンケート集計するから、あなたも残ってね」
「了解」
「あと、備品の申請書類も一緒に書きましょう。これ、二人の連名が必要みたいだから」
テキパキと指示を出す澪の姿は、いつもの教室で見る澄ました優等生の顔とも、合宿で見た素の顔とも、また少し違って見えた。何というか、ちゃんと自分のペースで物事を動かしている、生き生きとした顔だ。
「なんか、楽しそうだな」
思わずそう漏らすと、澪は一瞬手を止めてこちらを見た。
「……そう見える?」
「ああ、なんか、生き生きしてる」
「べ、別に、そんなんじゃ」
分かりやすく頬を赤らめながらも、澪は否定しきれずに口ごもる。その反応が妙に可愛くて、俺はまた笑いそうになった。
会議が終わり、多目的教室を出ると、外はもう夕暮れに差し掛かっていた。橙色の光が廊下に長い影を落としている。
「じゃあ、また明日」
「おう、また」
澪はそう言って、いつもより軽い足取りで昇降口へ向かっていく。その姿を見送りながら、明日からの委員生活を思うと、面倒だという気持ちより、なぜか少し楽しみだという気持ちの方が勝っているのに気づいて、俺は自分でも意外に思った。
――そして、翌日の放課後。
教室に残っていたのは、俺と澪、それに集計を手伝ってくれるという物好きな有栖の三人だけだった。机の上には、クラス全員から回収したアンケート用紙が山のように積まれている。
「うわ、思ったより意見バラバラだね、これ」
有栖が用紙をぱらぱらとめくりながら苦笑した。
「喫茶店って書いてるやつが一番多いけど、次点でお化け屋敷も結構ある」
「無難路線と、目立ちたい路線で真っ二つってわけね」
澪は用紙を分類しながら、正の字を数えていく。几帳面な手つきで、あっという間に集計表が出来上がっていった。
「喫茶店十二票、お化け屋敷九票、あとは劇とか脱出ゲームが少々」
「差、そんなにないな」
「そうね。多数決だと角が立ちそうだわ」
三人で用紙を睨みながら唸っていると、有栖がふと手を止めて顔を上げた。
「じゃあ、両方やればいいんじゃない?」
「両方?」
「うん。昼は喫茶店で、日が暮れかけたら照明落としてお化け屋敷に早変わり、みたいな」
「それ、模様替えの手間がとんでもないことになりそうだけど」
俺は思わず頭を抱えたが、澪は意外にも興味を惹かれたようだった。
「……面白いかもしれないわね。二部制にすれば、両方の票を活かせるし」
「マジで採用する気か」
「文句あるの?」
「いや、ないけど。準備、絶対大変だぞそれ」
澪は不敵な笑みを浮かべ、手帳に何やらメモを取り始める。
「大変な方が、やり甲斐があっていいじゃない」
「その台詞、後で泣きながら撤回するなよ」
「あら、あなたこそ音を上げないでよね、明月くん」
軽口を叩き合う俺たちを、有栖が微笑ましそうに眺めていた。
「二人とも、息ぴったりじゃん」
「な……、そんなんじゃ」
「そんなんじゃない」
息ぴったりに否定する俺たちを見て、有栖は堪えきれないとばかりに肩を揺らして笑っていた。
「あー、面白いもの見れた。満足したから私は帰るね」
ひとしきり笑ったあと、有栖はひらひらと手を振って先に教室を出ていった。残された俺と澪は、二人で黙々と残りの用紙を仕分けていく。
夕日が差し込む教室に、紙をめくる音だけが響く。少し前まで有栖の賑やかな声があった分、急に静かになった空気が、妙にむず痒い。
「お化け屋敷の担当、どっちがやる?」
沈黙を破るように、澪が口を開いた。
「俺、脅かす方は得意じゃないけど、内装作るのは嫌いじゃないぞ」
「意外ね。てっきり、脅かす側に立候補すると思ってたのに」
不気味ってこと?
「人を驚かせるより、驚く方の反応見てる方が性に合ってる」
澪はくすりと笑うと、手帳に『内装:明月』『接客・シフト管理:神楽坂』と書き加えた。仕事の采配まで、すでに頭の中で組み立てられているらしい。
「じゃあ私は、喫茶店の方のメニュー決めから始めるわ。予算内で、それなりに見栄えのするものを」
「大変そうだな」
「望むところよ」
不敵に笑う澪の横顔を見ながら、俺はふと、彼女がこんな風に楽しそうに何かに取り組む姿をあまり見たことがなかったな、と思った。家業のため、成績のため――いつも何かに追われるような顔をしていた澪が、今は違う。
「なに、じろじろ見て」
「いや、なんでもない」
「変な人ね」
澪は小さく首を傾げたが、それ以上は追及せず、また手帳に視線を落とした。窓の外では、部活帰りらしい生徒たちの声が遠くから聞こえてくる。夕暮れの教室に二人きり、これから始まる準備期間の忙しさを思うと気が遠くなりそうだったが、それ以上に、この時間がもう少し続けばいいのに、と思っている自分がいた。
その日のうちに、出し物案は『昼は喫茶店、夕方からはお化け屋敷』という二部制案でまとまり、翌朝のホームルームで担任に提出することが決まった。教室にはまだ他の委員の仕事――内装の予算案、シフト表の作成、備品リストの確認――が山積みになっていたが、不思議と気は重くなかった。
帰り道、俺はスマホを取り出し、有栖にメッセージを送った。
『お前のせいで、面倒なことになったぞ』
既読はすぐについた。
『どういたしまして』
『礼を言った覚えはない』
『でも満更でもなさそうじゃん、その返信』
図星をつかれて、俺は返す言葉に詰まった。悔しいが、否定できない。
こうして、俺の二学期は、思ってもみなかった形で忙しくなっていくのだった。




