↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
95/98

第94話 「境界の朝――変わり始めた日常の輪郭」


朝。


窓の外はいつも通りの光なのに、部屋の中だけが少し違って見えた。


理由ははっきりしているようで、まだ曖昧なまま残っている。


⸻


柊木菫(すみれ)は、ゆっくりと息を吐きながら鏡の前に立っていた。


⸻


(昨日と同じはずなのに……)


⸻


そう思いながらも、どこか“昨日とは違う自分”を意識している。


⸻


⸻


リビング。


桜はまだ眠そうな顔で椅子に座っている。


牛乳を両手で持ち、少しずつ飲んでいる。


⸻


「ママ、おはよう」


⸻


その声はいつも通り無邪気だった。


⸻


菫は自然に微笑む。


⸻


「おはよう、桜」


⸻


⸻


その横で榮助(えいすけ)は朝食の準備を手伝っている。


派手さはないが、無駄のない動き。


⸻


味噌汁を器に注ぐ音だけが、静かに部屋に響く。


⸻


⸻


菫はその様子を見ながら、ふと自分の腹部に視線を落とす。


⸻


(ここに、いる)


⸻


まだ実感というには遠い。


しかし“存在の確信”だけが先にそこにある。


⸻


⸻


榮助はその視線に気付く。


だが何も言わない。


ただ、少しだけ歩み寄る。


⸻


「無理はしないでください」


⸻


短い言葉。


それだけで十分だった。


⸻


⸻


朝食。


三人は並んで座る。


⸻


・味噌汁(豆腐とわかめ)

・焼き鮭

・卵焼き

・少量のご飯

・ほうじ茶


⸻


いつもと同じ構成。


だが、どこか違う。


⸻


⸻


桜は元気に箸を動かしながら言う。


⸻


「ねぇ、ママ」


⸻


「なぁに?」


⸻


「赤ちゃんって、いつ出てくるの?」


⸻


⸻


その一言で、空気が一瞬だけ止まる。


⸻


菫は少しだけ息を詰める。


⸻


榮助は箸を止めないまま、静かに聞いている。


⸻


⸻


菫はすぐに答えを探す。


⸻


「……まだ、もう少し先よ」


⸻


⸻


桜は首を傾げる。


⸻


「ふーん」


⸻


そしてすぐに次の話題へ行く。


⸻


「じゃあ、その間にいっぱい遊ぶ!」


⸻


⸻


その無邪気さに、菫は少しだけ救われる。


⸻


「そうね」


⸻


⸻


榮助は小さく頷く。


⸻


「その時間も大事です」


⸻


⸻


その言葉が、妙に現実的だった。


⸻


⸻


午前。


龍雷神本社。


秘書課。


⸻


空気はいつも通り動いている。


しかし、菫の周囲だけがわずかに“調整された流れ”になっている。


⸻


書類の量。


移動の距離。


会議の同席。


⸻


それらすべてが、少しずつ軽くなっている。


⸻


⸻


向葵(あおい)はそれを理解している。


だが、あえて口には出さない。


⸻


代わりに、業務の中で自然にフォローする。


⸻


「これは私がやるわ」


⸻


その一言だけで、仕事の重さが分散される。


⸻


⸻


菫はそれに気付いている。


⸻


「ありがとうございます」


⸻


そう返す声は、以前よりも柔らかい。


⸻


⸻


昼前。


美枝子(みえこ)が資料を持って近づく。


⸻


「午後の会議、無理しないでいいわよ」


⸻


⸻


菫は少しだけ驚く。


⸻


「でも……」


⸻


美枝子は軽く首を振る。


⸻


「もう“全部出る必要”はない段階でしょ」


⸻


⸻


その言葉は優しいが、確定でもあった。


⸻


⸻


榮助が横から補足する。


⸻


「必要な部分だけで十分です」


⸻


⸻


菫は小さく頷く。


⸻


「……分かりました」


⸻


⸻


その瞬間、彼女の中で少しだけ意識が変わる。


⸻


(まだ働ける自分)から

(守られながら動く自分)へ。


⸻


⸻


午後。


窓の外は少しずつ傾き始める。


⸻


会議準備の途中。


菫は一度だけ手を止める。


⸻


軽い疲労。


ほんの少しの違和感。


⸻


それでも耐えられる範囲。


⸻


⸻


だが、向葵はそれにすぐ気付く。


⸻


「休憩入れましょう」


⸻


⸻


菫は首を横に振る。


⸻


「大丈夫です」


⸻


⸻


その返答に、向葵は少しだけ眉をひそめる。


⸻


「“大丈夫”は今の基準じゃない」


⸻


⸻


その一言で、空気が変わる。


⸻


⸻


榮助が静かに言う。


⸻


「休憩してください」


⸻


⸻


短い命令に近い言葉。


⸻


だが、拒否できない優しさがあった。


⸻


⸻


菫は小さく息を吐く。


⸻


「……分かりました」


⸻


⸻


椅子にもたれた瞬間。


⸻


ようやく、自分の体が少しだけ重いことに気付く。


⸻


⸻


夕方。


業務終了。


⸻


外に出ると、空気は少し冷たくなっていた。


⸻


菫は車に乗る。


榮助が助手席へ。


⸻


桜の迎えへ向かう道。


⸻


⸻


車内は静か。


⸻


菫は窓の外を見る。


⸻


榮助は前を見ている。


⸻


⸻


そして小さく言う。


⸻


「そろそろ……生活を少し変えますか」


⸻


⸻


菫は少しだけ目を閉じる。


⸻


そして頷く。


⸻


「……そうですね」


⸻


⸻


それは決断ではなく、移行だった。


⸻


⸻


日常は続いている。


しかし、確実に形を変え始めている。


⸻


そしてその変化は、もう誰にも止められなかった。 



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

もしこの物語に少しでも「面白い!」と感じていただけたなら——


ブックマーク & 評価★5 をぜひお願いします!


その一つひとつが、次の章を書き進める力になります。

読者の皆さまの応援が、物語の未来を動かします。


「続きが気になる!」と思った方は、ぜひ、見逃さないようブックマークを!

皆さまの応援がある限り、次の物語はまだまだ紡がれていきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。