↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
76/94

第75話 「夕方の帰路――静かに増えていく“日常の重み”」


夕方。


龍雷神本社ビルの窓は、橙色にゆっくりと染まり始めていた。


昼の喧騒が少しずつ引いていき、代わりに“帰る準備”の空気が社内に流れ込んでくる。


その切り替えの時間は、どこか一日の中で最も人間らしい。


⸻


秘書課フロア。


キーボードの音が減り、紙の整理音が目立ち始める。


菫(すみれ)は最後のチェックリストを確認していた。


隣では美枝子(みえこ)が資料をまとめている。


⸻


「今日の分はここまでで大丈夫ね」


美枝子の声はいつも通り落ち着いている。


⸻


菫は小さく頷く。


「はい。ありがとうございました」


⸻


その声には、以前よりも少しだけ“疲れを隠す慣れ”が混ざっていた。


それでも崩れてはいない。


むしろ、静かに安定している。


⸻


そこへ向葵(あおい)が戻ってくる。


手には最終確認用の書類。


⸻


「これ、明日の分まで整理しておいた」


⸻


菫は受け取りながら頭を下げる。


「ありがとうございます」


⸻


向葵は少しだけ視線を落とす。


もう以前の“観察”ではない。


どちらかというと“確認”に近い。


⸻


「体調は?」


⸻


短い問い。


だがそこには仕事以上の意味が含まれている。


⸻


菫は一瞬だけ間を置く。


「大丈夫です。問題ありません」


⸻


向葵は軽く頷く。


「ならいい」


⸻


それ以上は何も言わない。


その距離感が、今の秘書課の“新しい均衡”だった。


⸻


⸻


同じ頃。


少し離れた役員フロアでは、櫻井健二郎(けんじろう)が書類を確認していた。


そこへ美枝子が通りかかる。


⸻


「まだ残るの?」


⸻


健二郎は顔を上げる。


「少しだけな」


⸻


美枝子はため息混じりに笑う。


「あなた、“少しだけ”が長いのよ」


⸻


健二郎は短く鼻で笑う。


「昔からだ」


⸻


そのやり取りは、役員同士というよりも家族に近い。


⸻


美枝子は書類を横目に見ながら言う。


「菫のこと、気にしてるでしょ」


⸻


健二郎は少しだけ沈黙する。


⸻


「……気にしてるというより、見てるだけだ」


⸻


「それを気にしてるって言うのよ」


⸻


美枝子の即答に、健二郎はわずかに口元を緩める。


⸻


「無理させるな。それだけだ」


⸻


「もう言われなくてもやってるわ」


⸻


⸻


夕方の秘書課。


向葵がふと時計を見る。


「そろそろ、終わりね」


⸻


その言葉に、空気が一気に“帰宅方向”へ動き出す。


⸻


菫はデスクを片付けながら、ふと手を止める。


その瞬間、軽い倦怠感が一瞬だけ身体を横切る。


だが、表には出さない。


⸻


(大丈夫)


⸻


そう心の中でだけ確認する。


⸻


⸻


同じ頃。


榮助(えいすけ)は別フロアで資料を整理していた。


向葵が通りかかる。


「まだ残るの?」


⸻


榮助は淡々と答える。


「迎えがありますので、ここで終わります」


⸻


その言葉に向葵は少しだけ笑う。


「完全に生活優先ね」


⸻


「効率です」


⸻


即答だった。


⸻


向葵は肩をすくめる。


「それが一番厄介」


⸻


⸻


夕方のビルを出る頃、空はすでに赤みを帯びていた。


風は少し冷たい。


冬とまではいかないが、確実に季節は進んでいる。


⸻


⸻


保育園前。


榮助は桜(さくら)を迎えに来ていた。


門から飛び出す小さな足音。


⸻


「お兄ちゃん!」


⸻


自然に抱き上げる。


その動作はもう完全に習慣になっている。


⸻


「今日はどうでしたか」


⸻


「いっぱい遊んだ!」


⸻


その答えに榮助は軽く頷く。


「それは良いですね」


⸻


桜は少しだけ周囲を見てから言う。


「ママは?」


⸻


「もう少しで帰ります」


⸻


その言葉に安心したように桜は笑う。


⸻


⸻


同じ時間。


菫は会社を出る準備をしていた。


美枝子が横で言う。


「送る?」


⸻


「大丈夫です。榮助さんが迎えに来ますので」


⸻


その言葉に美枝子は軽く頷く。


「完全に生活完成してるわね」


⸻


菫は少しだけ恥ずかしそうに笑う。


「そう、見えますか」


⸻


「見える」


即答だった。


⸻


⸻


会社の外。


菫が出てくると、すぐに桜の声が響く。


「ママー!」


⸻


桜は駆け寄る。


その後ろに榮助。


⸻


菫は自然に足を止める。


その瞬間、少しだけ肩の力が抜ける。


⸻


「おかえりなさい」


⸻


榮助は短く言う。


「おかえりなさい」


⸻


その言葉の交換が、今のこの家の“中心”になっていた。


⸻


⸻


帰り道。


三人で歩く。


桜が話す。


「今日ね、先生がね……」


⸻


その声を聞きながら、菫は横を歩く榮助を一瞬だけ見る。


⸻


何も特別なことは起きていない。


それなのに、以前より“重み”がある日常。


⸻


(これが、家族)


⸻


そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなる。


⸻


⸻


夜。


家に戻ると、夕飯の準備が進む。


榮助がキッチンに立つ。


菫は桜を座らせる。


⸻


この流れももう完全に自然だった。


誰がどこに立つか迷わない。


誰が何をするかも決まっている。


⸻


⸻


桜がふと笑う。


「今日も一緒だね」


⸻


その言葉に、菫と榮助は同時に小さく頷く。


⸻


「ええ」


「そうですね」


⸻


それだけで十分だった。


⸻


⸻


夕食の匂いが部屋に広がっていく。


外の夜は静かに深まっていく。


⸻


そしてまた、次の朝へと続いていく。   



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

もしこの物語に少しでも「面白い!」と感じていただけたなら——


ブックマーク & 評価★5 をぜひお願いします!


その一つひとつが、次の章を書き進める力になります。

読者の皆さまの応援が、物語の未来を動かします。


「続きが気になる!」と思った方は、ぜひ、見逃さないようブックマークを!

皆さまの応援がある限り、次の物語はまだまだ紡がれていきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。