第71話「朝の分担と、揺れない日常」
朝。
まだ街が完全に目を覚ます前の時間帯、龍雷神のマンションは静かに空気を入れ替えていた。
カーテンの隙間から薄い光が差し込み、部屋の輪郭だけを柔らかく浮かび上がらせる。
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キッチンでは菫が味噌汁を温めていた。
豆腐とわかめの香りが広がる中、焼き鮭と小さな卵焼きが皿に並ぶ。
いつもより少しだけ量は控えめ。
身体の変化を意識した、自然な調整だった。
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「……今日の送りはどうしようかしら」
小さく呟いたその声に、背後から返事がする。
「今日は私が行きます」
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榮助はすでにスーツ姿だった。
ネクタイはまだ締めていないが、準備はほぼ整っている。
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菫は少しだけ振り向く。
「昨日はあなたが迎えでしたね」
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「はい。なので今日は交代で」
榮助は淡々とそう言う。
そこに迷いはない。
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この家の中では、それが自然になりつつあった。
“どちらかが必ず桜を送る・迎える”
それが日常のリズムとして定着していた。
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寝室の扉が開く。
桜が眠そうに目をこすりながら出てくる。
「……おはよう」
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菫が微笑む。
「おはよう、桜」
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榮助もしゃがみ込む。
「今日は私が送ります」
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桜は少し考えてから、笑顔になる。
「じゃあお兄ちゃんと行く!」
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菫はその様子を見て、わずかに息を吐く。
(本当に、もう生活が回っている……)
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保育園。
朝の空気は少し冷たく、園庭には子どもたちの声が響いていた。
桜は榮助の手を握ったまま門へ向かう。
「いってきます!」
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榮助は短く頷く。
「いってらっしゃい」
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その言葉はいつもと同じ。
だが、少しだけ間が柔らかかった。
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桜が中へ入っていくのを見届けてから、榮助は静かに歩き出す。
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同じ頃。
菫は会社へ向かう準備をしていた。
秘書課の業務は早い。
役員会議の資料確認、スケジュール調整、来客対応の確認。
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玄関で靴を履くとき、背後から声がする。
「無理はしないでください」
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榮助はすでに戻ってきていた。
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菫は少しだけ笑う。
「それ、あなたにも言えますよ」
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榮助は短く頷く。
「ではお互いに」
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会社。
秘書課フロア。
空気は昨日と変わらず整っている。
だが、どこか“家庭の延長”のような安定感が生まれていた。
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美枝子が書類を見ながら言う。
「最近、あなたたちの動きが自然すぎて怖いわね」
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菫は淡々と答える。
「慣れてきただけです」
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美枝子は軽く笑う。
「それが一番厄介なのよ」
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昼前。
榮助から菫へメッセージが届く。
『今日は迎えをお願いします』
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菫は少しだけ画面を見つめる。
(また交代か……)
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すぐに返信する。
『お願いします』
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そのやり取りは短く、淡々としている。
だが確実に“家庭のルール”として積み上がっていく。
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夕方。
保育園の門。
桜は菫の手を見つけると駆け寄る。
「ママー!」
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菫は自然に抱き上げる。
「ただいま」
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桜は嬉しそうに笑う。
「今日はママの日だね!」
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菫は一瞬だけ目を細める。
「そうね」
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帰り道。
桜がふと呟く。
「お兄ちゃんも好きだけど、ママも好き」
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菫は少しだけ黙る。
そして静かに答えた。
「ありがとう」
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その一言だけで十分だった。
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夜。
榮助が帰宅すると、夕飯の匂いがすでに部屋に広がっていた。
今日は菫の担当だった。
小さな食卓に並ぶ料理は、いつもより少しだけ家庭的だった。
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桜はすでにスヤスヤと眠っている。
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榮助はその寝顔を見て、静かに呟く。
「……ちゃんと回ってますね」
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菫は小さく笑う。
「ええ。回りすぎるくらいです」
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外は静かに夜へと沈んでいく。
その中で、この家だけは確かに“形”を持ち始めていた。
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