第5話 「交差する日常――友人たちが触れる“榮助の変化”と、まだ隠された生活」
朝の空気は、少しだけ冷たかった。
柿沼榮助(18)は制服のネクタイを整えながら、玄関の前で一瞬だけ動きを止める。
隣のドアはまだ閉まっている。
——菫と桜の生活は、まだ“朝の中”にいる。
その静けさに、ほんの少しだけ安心する自分がいた。
榮助は静かに玄関のドアを開ける。
そして、ふと隣の部屋の方を見る。
数秒だけ。
それだけ確認すると、いつも通り階段を下りていった。
もうこの生活が始まって数ヶ月。
朝、隣に二人がいる。
夜、隣に帰る場所がある。
そのことが、いつの間にか当たり前になっていた。
学校。
教室に入った瞬間、いつもの声が飛んでくる。
「おーい柿沼!」
手を振っているのは、昨日と同じ友人たちだった。
・高橋蓮(ムードメーカー・軽いノリ)
・伊藤翔(現実主義ツッコミ)
・松本悠斗(お調子者・恋バナ好き)
「お前さ、ほんと最近落ち着きすぎじゃね?」
高橋が笑いながら言う。
松本がニヤニヤする。
「絶対なんかあるって」
伊藤がため息をつく。
「お前ら毎日それ言ってるだろ」
榮助は椅子に座りながら、軽く言う。
「別に何もない」
その言葉は、嘘ではない。
だが本当でもない。
高橋が机に肘をつく。
「前はもっと一匹狼って感じだったじゃん」
「最近なんか違うんだよな」
「余裕があるっていうか」
松本も頷いた。
「そうそう。なんかさ、家に帰るの楽しみそう」
「いや、それは言い過ぎだろ」
伊藤が呆れたように言う。
だが、高橋も松本も同時に頷いた。
「絶対そうだって」
榮助は鞄から教科書を出しながら言う。
「気のせいだ」
だが、その言葉を口にした瞬間。
昨夜、桜が笑いながら話していた姿が脳裏に浮かぶ。
そして、菫が「おやすみなさい」と微笑んでいた顔も。
榮助はすぐにその考えを振り払った。
昼休み。
榮助のスマホが震える。
《きょうね、ほいくえんでね、おにいちゃんのえかいたよ!》
送信者は柊木桜(5)。
写真には、少し歪んだ家族の絵。
三人の真ん中に、笑っている“おにいちゃん”。
榮助は一瞬だけ見て、すぐスマホを伏せる。
松本が気づく。
「誰?彼女?」
「違う」
即答。
伊藤が横から言う。
「今の“間”、怪しすぎるんだけど」
「気のせいだろ」
榮助はそう言って、弁当を開けた。
だがその耳は、少しだけ熱かった。
高橋が笑う。
「お前、絶対誰かいるだろ」
「いない」
「じゃあその顔何だよ」
「普通だ」
「普通じゃない」
三人が一斉に突っ込む。
榮助は黙って卵焼きを口に入れた。
放課後。
教室の空気がゆるむ頃。
廊下から声がする。
「柿沼ー!」
榮助が振り向くと、別の友人グループが立っている。
・水島結菜(明るい・情報通)
・橘美咲(しっかり者・現実派)
・小泉彩音(おっとり・観察系)
・遠藤里奈(ツン気味・核心突くタイプ)
結菜がニヤニヤしながら言う。
「ねえ柿沼、最近さ」
「なに」
「彼女できた?」
その瞬間、教室の空気が少し止まる。
松本が後ろから首を突っ込む。
「おいその話やめろって!」
だが結菜は止まらない。
「だってさ、絶対なんかある顔してるもん」
榮助は一拍置いてから言う。
「いない」
短い言葉。
だが里奈がすぐに言う。
「……ほんとに?」
その一言だけ、少し重かった。
榮助は視線を外す。
「ほんとに」
彩音が小さく笑う。
「でも、誰かを大切にしてる顔はしてるよね」
その言葉に、榮助の動きがわずかに止まった。
結菜が目を輝かせる。
「やっぱり!」
「違う」
榮助はそう言うと、鞄を持って教室を出た。
後ろから友人たちの笑い声が聞こえる。
「絶対怪しい!」
「今度尾行する?」
「やめとけって!」
その声を背に、榮助は静かに歩き続けた。
その夜。
マンションの廊下。
菫と榮助は、偶然同じタイミングで帰宅する。
「おかえりなさい」
菫が自然に言う。
「ただいま」
榮助も自然に返す。
だが、その“自然さ”が、逆に作られたものに感じる。
会社でも学校でも、外では他人。
だが、この廊下では違う。
桜が玄関に飛び出してくる。
「おにいちゃん!!」
抱きつく勢い。
「今日ね!おともだちにね!おにいちゃんの話した!」
榮助の動きが一瞬止まる。
「……何て?」
桜は無邪気に笑う。
「やさしいおにいちゃんって!」
菫が少しだけ焦る。
「桜、それは……」
だが榮助は小さく息を吐くだけだった。
「別にいいだろ」
その一言で空気が落ち着く。
夕食。
桜は元気に話し続ける。
「今日ね、滑り台一番だったの!」
「そうですか」
「うん!」
「すごいわね」
菫は優しく笑う。
榮助は静かに食事を続ける。
その光景は“家族”に見えるのに、どこかまだ“仮の形”だった。
桜が寝たあと。
リビング。
菫が静かに言う。
「学校のほう、大丈夫ですか?」
榮助は少し考える。
「まあ、普通です」
菫は少しだけ視線を落とす。
「……普通、ですか」
その言葉には、少しだけ違う意味が含まれていた。
榮助はふと聞く。
「そっちは?」
菫は一瞬だけ迷う。
「会社の準備、始まってます」
その言葉で空気が変わる。
——株式会社・龍雷神。
同じ会社。
だが、まだ現実として繋がっていない。
菫が静かに続ける。
「入社したら……完全に“他人”として振る舞うんですよね」
榮助は頷く。
「はい」
菫は少しだけ笑う。
「できるのかな、私」
その言葉は、冗談ではなかった。
榮助は少しだけ間を置いて言う。
「できないなら、できるようにするだけです」
菫はその言葉を聞いて、ほんの少しだけ安心したように息を吐く。
「……そうですね」
榮助は立ち上がる。
「では、そろそろ戻ります」
「はい」
夜。
それぞれの部屋に戻る前。
桜が寝言のように小さく呟く。
「おにいちゃん……だいすき……」
菫はその言葉に、少しだけ目を細める。
榮助はそれを見ないふりをする。
ドアが閉まる。
隣同士の静かな生活。
だがその中で、確実に“関係”だけが深くなっていく。
そしてまだ誰も、その先に何があるのか分かっていなかった。
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