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第4話 「秘密の会社、秘密の関係――日常の外側で始まる“もう一つの現実”」


朝の光は、いつもと同じ角度で差し込んでいた。


柿沼榮助(18)は、制服のシャツのボタンを留めながら、ほんの一瞬だけ動きを止める。


――結婚した。


その事実は、まだ生活に馴染んでいない。


玄関を開けると、隣の部屋のドアも同時に開いた。


「おはようございます」


柊木菫(29)は、昨日より少しだけ落ち着いた声で言う。


その後ろから、柊木桜(5)が顔を出す。


「おにいちゃん、おはよう!」


いつも通りの朝。


だが、“いつも通り”という言葉が少しだけ歪んでいる。


エレベーターの中。


桜は菫の手を離して、榮助の袖を掴む。


「ねえ、今日も学校?」


「そうだな」


「じゃあ帰ってくる?」


榮助は少しだけ迷ってから答える。


「多分な」


菫がすかさず言う。


「“多分”は禁止です」


榮助は軽く息を吐く。


「……じゃあ、帰ります」


桜は満足そうに頷いた。


そのやり取りを見て、菫はほんの少しだけ目を細める。


(この距離感は、まだ“家族”じゃない)


そう思いながらも、どこかで安心している自分がいた。


マンションの前で桜と菫を見送る。


桜は何度も手を振っていた。


「おにいちゃーん!いってらっしゃい!」


「行ってきます」


短く返す。


それだけだった。


だが、昨日までの一人暮らしでは決して聞くことのなかった言葉だった。


学校。


教室はいつも通りに騒がしい。


だが、その中に“変わらない日常”があることが、逆に榮助の違和感を浮き上がらせていた。


「柿沼ー!昼メシ行こうぜ!」


声をかけてきたのは、男子グループ。


そこには、榮助の高校の友人たちがいる。


高橋蓮たかはし れん――ムードメーカー、軽いノリ


伊藤翔いとう しょう――現実的でツッコミ役


松本悠斗まつもと ゆうと――お調子者、恋バナ好き


「最近さ、お前ちょい雰囲気変わったよな」


松本がニヤニヤしながら言う。


「別に」


榮助は即答する。


高橋が笑う。


「いや絶対なんかあるだろ」


伊藤が横から突っ込む。


「お前らがうるさいだけだろ」


そのやり取りに、榮助は適当に相槌を打つ。


だが頭のどこかでは、別の生活が並行して動いている。


昼休み。


桜からメッセージが届く。


《きょうね おえかきした!みてほしい!》


短い文。


だが、それだけで空気が変わる。


榮助は一瞬だけスマホを見て、すぐに閉じる。


「……何でもない」


そう言って弁当を開けた。


松本がすぐに食いつく。


「今の誰だ?」


「妹?」


「彼女?」


高橋と伊藤まで興味津々な顔をする。


榮助は淡々と答える。


「知り合いです」


「怪しい!」


「怪しいな」


「絶対女だろ!」


三人が盛り上がる。


榮助はため息をついた。


「違う」


それ以上は言わなかった。


言えるはずがなかった。


放課後。


職員室。


担任と進路指導の先生に呼ばれる。


扉を開けると、少しだけ空気が硬い。


担任・三浦恒一。


穏やかだが観察力が鋭い人物。


進路指導担当・片桐恒一郎。


現実主義者で、進学・就職に対して非常に厳しい。


三浦が軽く言う。


「柿沼、進路の件だけどな」


片桐が続ける。


「内定、決まったのか?」


榮助は静かに答える。


「(株)龍雷神です」


その瞬間。


空気が止まる。


片桐が目を細める。


「……龍雷神?」


「はい」


三浦が驚いたように言う。


「大手だな」


片桐は資料を確認しながら続ける。


「かなり倍率が高い。よく通ったな」


「たまたまです」


榮助は淡々と答える。


片桐は少しだけ疑わしそうな表情をしたが、それ以上は追及しなかった。


「まあいい。卒業まで気を抜くなよ」


「はい」


職員室を出る。


廊下には夕日が差し込んでいた。


(同じ会社に、菫さんがいる)


(そして、それは秘密だ)


学校。


家庭。


会社。


それぞれが別々の場所に存在している。


だが、すべては確実に繋がっていた。


帰宅。


マンションのエレベーターを降りると、ちょうど菫が買い物袋を持って部屋から出てきた。


「おかえりなさい」


自然な声だった。


だが、その言葉の重みは昨日までとは違う。


「ただいま」


榮助も短く返す。


その時。


部屋の中から桜が飛び出してくる。


「おにいちゃん!」


勢いよく抱きつく桜。


榮助は反射的に受け止める。


「ただいま」


「おかえり!」


桜は嬉しそうに笑った。


菫はそんな二人を見ながら、静かに微笑んだ。


夜。


食卓。


三人で囲む食事はまだ慣れない。


それでも、どこか温かかった。


桜は今日保育園で描いた絵を見せていた。


「これね、おにいちゃん!」


そこには三人が描かれていた。


菫。


桜。


そして榮助。


榮助はしばらく絵を見つめる。


「上手だな」


桜は満足そうに笑った。


食事が終わり、桜が寝たあと。


静かなリビング。


菫がぽつりと言う。


「会社の話……今日、ありましたか?」


榮助は頷く。


「担任と進路指導に」


菫は少しだけ緊張した表情になる。


「何て言いました?」


「(株)龍雷神」


その瞬間、菫の目がわずかに揺れる。


「……そう、ですか」


その反応は、ただの確認ではなかった。


“同じ会社であること”が、現実として迫ってくる。


菫が静かに言う。


「明日から、本当に……始まりますね」


榮助は少しだけ窓の外を見る。


「そうですね」


夜の街は変わらないのに、自分たちだけが少しずつ“別のレイヤー”に入っていく。


そして、その境界はもう戻れないところまで来ていた。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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