第59話「前夜――鎌倉へ向かう準備」
夜は静かに深くなっていく。
だがその静けさの裏側で、柊木家と柿沼家の時間は、確実に“明日”へ向かっていた。
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柊木家のリビング。
菫は旅行バッグの中身を確認していた。
・母子手帳
・軽い羽織り
・桜の着替え一式
・常備薬
・小さなタオル類
必要最低限に見えて、その一つひとつが“今の生活”そのものだった。
「……忘れ物はないはず」
小さく呟く。
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桜はすでにテンションが高い。
「鎌倉って海あるの?」
「あるよ」
「お寺もある?」
「ある」
「じゃあ全部あるね!」
単純な結論に辿り着いて満足そうに頷く。
菫は少しだけ笑った。
その笑いには、最近増えた“余裕”が混じっていた。
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同じ頃。
榮助の部屋。
スーツケースはすでに整えられている。
・着替え(2日分)
・仕事用タブレット
・簡易資料
・桜用の軽いお菓子
・菫用の飲み物(無糖系)
必要なものを淡々と詰めていく。
動きに迷いはない。
それはもう“仕事”ではなく、“家族行動”として成立していた。
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スマホが鳴る。
木更津瑛二から。
『明日・明後日、完全オフ扱いにしてある』
短い連絡。
榮助は一言だけ返信する。
『ありがとうございます』
それだけで終わる。
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秘書課フロア。
夜の残業はすでにほとんど終わっている。
美枝子は椅子に座りながら書類を閉じる。
「明日は朝から出発ね」
菫は頷く。
「はい」
美枝子は少しだけ微笑む。
「鎌倉、悪くない場所よ」
「行ったことは……あまりありません」
「そういうのは“初めて”がいいのよ」
その言葉には、少しだけ母親のような響きがあった。
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同じ頃。
健二郎は別室で書類を確認していた。
そこへ美枝子が入ってくる。
「準備は?」
「問題ない」
短い会話。
だがその裏には、“会社の旅行”ではなく“家族の外出”という空気があった。
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夜。
柊木家に戻ると、桜はすでに眠気と戦っていた。
「ママ……明日……海……」
「うん、行くよ」
その言葉を聞いて安心したのか、すぐに眠ってしまう。
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菫は桜の布団を整えながら、少しだけ立ち止まる。
(本当に、行くんだな……)
鎌倉。
会社の人間も含めた“家族旅行”。
昔の自分なら想像しなかった形の休日。
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リビング。
榮助が静かに言う。
「明日は早いので、もう休みます」
菫は少しだけ頷く。
「うん」
その声は、いつもより柔らかい。
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そして——
一瞬だけ沈黙が落ちる。
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菫が小さく息を吸う。
「……おやすみ」
そう言って、軽く唇を寄せる。
昨日よりも短い、けれど確かなキス。
それは“緊張”ではなく、“安心”に近いものだった。
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榮助は静かに返す。
「おやすみなさい」
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二人はそれぞれの部屋へ戻る。
ドアが閉まる音は、もう慣れたリズムになっていた。
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明日。
鎌倉。
家族という形のまま、少しだけ外へ出る日。
その前夜は、静かに終わっていく。
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