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第58話「夕方の帰還と、夜の静けさ」


夕方になると、会社の空気は一度“緩む”。


しかし龍雷神では、その緩みさえも予定の一部だった。


⸻


秘書課フロア。


美枝子(みえこ)は最後の書類を確認しながら言う。


「ここまでで今日は一区切りね」


菫(すみれ)は頷く。


「はい。明日の準備も問題ありません」


その声は落ち着いているが、わずかに疲れが混じっていた。


妊娠初期特有のだるさが、日中の集中力を少しだけ奪う。


それでも表情は崩さない。


⸻


同じ頃、榮助(えいすけ)も秘書課側のデスクで資料を閉じていた。


島津向葵(しまず あおい)が声をかける。


「今日はここまででいいよ。健二郎さんの分も調整終わったし」


「ありがとうございます」


短く答え、資料を整える。


その動きにはもう迷いがない。


秘書課に来てからの時間が、“仕事の型”を作り始めていた。


⸻


夕方。


桜(さくら)の迎えは、予定通り榮助が行った。


保育園の門を出ると、桜はすぐに抱きつく。


「お兄ちゃん!」


「ただいま」


そのやり取りは、もはや日常の一部だった。


⸻


帰り道。


桜が歩きながら言う。


「ママね、今日はちょっと眠そうだったよ」


榮助は少しだけ視線を落とす。


「そうか」


「でもね、お腹は元気って言ってた!」


「……順調だな」


それ以上は何も言わない。


だが、その言葉の重みは以前より少し変わっていた。


⸻


夜。


柊木家の玄関が開く。


「ただいま」


菫の声は少し静かだった。


「おかえりなさい」


榮助が返す。


桜はすぐに駆け寄る。


「ママー!」


菫は微笑みながら抱きしめる。


「ただいま、桜」


その瞬間だけ、会社の空気は完全に消える。


⸻


夕食後。


桜が寝室へ向かうと、家の中は急に静かになる。


生活音が一つ減るだけで、空間の密度は変わる。


⸻


榮助は食器を片付けながら言う。


「明日も通常勤務です」


「うん」


菫は短く答える。


その声は少しだけ柔らかい。


⸻


夜が深くなる。


桜が完全に眠ったあと。


リビングには、榮助と菫だけが残る。


照明は少し落とされ、静かな空気が流れていた。


⸻


菫が立ち上がる。


「……お休み、言っていい?」


その声は、いつもより少しだけ小さい。


榮助は一瞬だけ動きを止める。


「はい」


⸻


菫はゆっくりと近づく。


そして——


いつもより少し長く、少し深いキスをした。


言葉よりも静かな“おやすみ”だった。


⸻


唇が離れる。


菫は軽く息を整える。


「……お休みなさい」


榮助は短く返す。


「お休みなさい」


⸻


それだけ。


それ以上は何もない。


⸻


二人はそれぞれの部屋へ戻る。


ドアが閉まる音が、静かに二つ。


⸻


夜は、またいつものように流れていく。


けれどその静けさの中には、確かに“家族”としての確かな温度が残っていた    



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