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第55話「揺れる日常と、“家族”という輪郭」


朝の空気は、変わらないようで少しずつ違っていた。


それは気温でも天気でもなく、“人の意識”の変化だった。


⸻


菫(すみれ)が目を覚ましたとき、隣の部屋からはすでに生活音がしていた。


鍋の音、包丁の音、炊飯器の作動音。


(……もう起きてる)


そう思いながら、ゆっくりと身体を起こす。


妊娠が分かってから、眠りの質は少し変わっていた。深く眠れる日と、浅く目が覚める日がある。


⸻


キッチンに行くと、榮助(えいすけ)が自然に振り向く。


「おはようございます」


「……おはよう」


そのやり取りはもう、形式ではなく習慣になっていた。


テーブルには朝食が並ぶ。


・味噌汁(豆腐とほうれん草)

・焼き鮭

・だし巻き卵

・少なめの白米


桜(さくら)はすでに椅子に座って足をぶらぶらさせている。


「ママ、今日も赤ちゃん元気?」


菫は少し笑う。


「うん、たぶんね」


「“たぶん”じゃダメだよ〜」


桜は真面目に言う。


榮助が横から静かに言う。


「まだ見えないからな」


桜は納得したように頷いた。


「じゃあ、声かけとく!」


「……何を?」


「おはよーって!」


菫は思わず小さく笑った。


その笑いは、以前より柔らかかった。


⸻


会社。


龍雷神・秘書課。


朝から資料が積まれている。


その中心に、美枝子(みえこ)がいた。


「今日の役員スケジュール、全部再確認するわよ」


秘書たちが一斉に動く。


・会議資料修正

・役員移動調整

・旅行関連の最終確認


その中で菫は静かにパソコンを打っていた。


⸻


美枝子がふと横を見る。


「体調はどう?」


「……今のところ大丈夫です」


「“今のところ”ね」


軽く笑うが、視線は鋭くない。


むしろ気遣いに近い。


⸻


その時、健二郎(けんじろう)が秘書課に顔を出す。


「最終調整、問題ないな?」


美枝子が頷く。


「ええ。あとは週末の移動だけ」


健二郎は菫を見る。


「無理はするなよ」


菫は小さく頭を下げる。


「ありがとうございます」


そのやり取りは短いが、すでに“家族の延長線”になっていた。


⸻


営業サポート課。


榮助は静かに業務を進めていた。


そこへ木更津瑛二(きさらづ えいじ)が通る。


「柿沼」


「はい」


「来週からの秘書課業務、負荷増えるぞ」


「承知しています」


瑛二は一瞬だけ間を置く。


「……お前、前より迷いが減ったな」


榮助は少しだけ視線を上げる。


「守るものがあるので」


瑛二はそれ以上は聞かない。


「それでいい」


短く言って去る。


⸻


昼休み。


社内はいつもより少しざわついていた。


理由は単純だ。


“週末の家族旅行”


その調整が会社規模で動いているからだ。


通常の企業ではありえないが、龍雷神では珍しくない。


⸻


菫は休憩室で少しだけ椅子に座る。


美枝子が隣に来る。


「疲れてない?」


「大丈夫です」


美枝子はコーヒーを一口飲む。


「あなた、昔よりずっと“強くなった顔”してるわね」


「……そうですか?」


「ええ。守るものができた顔」


菫は少しだけ視線を落とす。


(守るもの……)


桜、榮助、そしてお腹の中の命。


⸻


夕方。


榮助は定時前に桜を迎えに行く。


保育園の門。


「お兄ちゃん!」


桜はいつものように駆け寄る。


抱き上げる動作も自然。


「今日はね、ママにお腹見せてもらった!」


「そうか」


「ちょっと大きくなってた!」


榮助は小さく頷く。


「順調だな」


その言葉は、誰に向けたものか分からない。


⸻


夜。


帰宅。


菫が玄関を開けると、桜が飛び込む。


「ママ!」


「ただいま」


榮助も静かに言う。


「おかえりなさい」


菫は少し息を吐くように笑う。


「ただいま」


その一言が、この家のすべてだった。


⸻


そして時間は、また次の日へ続いていく。 



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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