第42話 「静かな波紋――“普通”が少しだけ崩れる日」
朝。
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榮助が会社に到着した時、すでに空気が少し違っていた。
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正確には、何かが起きたわけではない。
だが——“情報が静かに流れ始めている空気”だった。
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営業サポート課。
木更津瑛二が資料を見ながら、ぽつりと言う。
「柿沼」
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榮助が顔を上げる。
「はい」
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瑛二は視線を外さずに続ける。
「お前の件、現場レベルで少しずつ“察してる人間”が出てきてる」
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その言葉に、榮助は一瞬だけ止まる。
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「……そうですか」
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瑛二は淡々と頷く。
「全部はまだ広がってない。ただ時間の問題だ」
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「この会社は規模がデカい分、噂も速い」
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榮助は少しだけ目を伏せる。
「分かりました」
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瑛二は続ける。
「ただし、上層部は止めてる」
「“公表しない”というルールはまだ生きてる」
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「だから今は、守られてる状態だ」
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榮助は小さく頷く。
「ありがとうございます」
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一方。
経理部会計課。
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菫はデスクで静かに書類を見ていたが、同僚の会話が耳に入る。
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「最近さ、柊木さんってちょっと雰囲気違うよね」
「体調かな?」
「でも北条課長、やけに気にしてるよね」
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菫は何も反応しない。
ただペンを動かし続ける。
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(まだ大丈夫)
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(まだ“知られていない”)
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その静かな緊張の中で時間は進む。
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昼休み。
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榮助はいつも通り弁当を開くが、
今日は一人で食べていた。
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その時。
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後輩の一人がぽつりと聞く。
「柿沼さんってさ、最近ちょっと落ち着いてますよね」
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別の社員が笑う。
「彼女でもできたんじゃないの?」
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榮助は一瞬止まる。
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だがすぐに答える。
「仕事に集中しているだけです」
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その言葉は嘘ではない。
ただ——全部でもない。
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夕方。
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経理部と営業サポート課の間の廊下。
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榮助と菫は、一瞬だけすれ違う。
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視線が交わる。
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言葉はない。
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ただ、ほんの一秒。
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それだけで十分だった。
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夜。
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マンション。
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桜が眠ったあと。
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リビングには静けさが戻る。
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菫が小さく言う。
「少しずつ、広がってきてますね」
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榮助は頷く。
「はい」
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菫は少しだけ笑う。
「でも、不思議ですね」
「怖いはずなのに、落ち着いてる」
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榮助は少し間を置いて答える。
「守るものが決まっているからだと思います」
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菫はその言葉を聞いて、目を伏せる。
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「……そうですね」
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静かな夜。
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何も解決していない。
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それでも、崩れてもいない。
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ただ一つ確かなのは、
この“秘密の家族”は、もう後戻りできない場所まで来ているということだった。
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