第22話 「夜の食卓――重なる時間と、少しだけ近づいた距離」
夕方。
龍雷本社。
業務終了の時間が近づき、社内の空気が少しずつ緩んでいく。
榮助はPCの画面を見つめながら、最後の確認をしていた。
「ここ、数字ズレてるぞ」
後ろから声が掛かる。
木更津瑛二だった。
「……あ、本当ですね」
「慣れるまでは細かく見ろ。ミスは新人のうちに潰せ」
淡々とした口調だった。
だが、その言葉には確実に後輩を育てようとする意志があった。
「ありがとうございます」
「……今日はここまででいい。お疲れ」
「お疲れ様です」
榮助は深く一礼する。
時計は十七時二分を指していた。
(終わった……)
静かに席を立つ。
「弁当どうだった?」
藤崎悠真が声を掛けてくる。
「……うまかったです」
「やっぱりな」
「明日もあるんだろ?」
少しだけ間を置いてから榮助は答える。
「……たぶん」
「いいなあお前」
「完全に勝ち組じゃん」
軽口が飛び交う。
榮助はそれ以上何も言わず、鞄を持って会社を後にした。
一方その頃。
柊木菫はすでに保育園へ向かっていた。
「ママ!」
桜が元気よく走ってくる。
「おかえり」
「きょうね!いっぱいあそんだ!」
菫は微笑みながら桜と手を繋ぐ。
そのまま二人で帰り道を歩き始めた。
「おにいちゃんくる?」
桜が期待したように聞く。
「……来ると思うよ」
その答えに桜は嬉しそうに笑った。
マンションへ到着した頃には、榮助も帰宅していた。
エントランスで三人は自然に合流する。
「おにいちゃん!」
「……ただいま」
そのまま三人で菫の部屋へ向かう。
もう誰も違和感を抱かない。
最初から一緒に暮らしていたかのような自然さだった。
キッチンでは菫がエプロン姿で夕食の準備をしている。
榮助はその姿を見ながら思う。
(……なんか、普通だな)
「今日、何ですか」
「カレー」
即答だった。
「……いいですね」
桜が元気よく言う。
「さくらカレーすき!」
鍋からは少し甘めの家庭のカレーの香りが漂ってくる。
「手、洗ってきて」
「はい」
榮助は洗面所へ向かう。
鏡を見る。
そこに映るのは、いつもと変わらない自分。
それなのに、どこか違っていた。
(……帰ってきてるな)
どこに、とは言わない。
でも確実に、自分には戻る場所ができていた。
食卓にはカレーとサラダ、ヨーグルトが並ぶ。
三人で席に着いた。
「いただきます」
カレーを一口食べる。
(……うまい)
昼の弁当とはまた違う。
温かい家庭の味だった。
「どう?」
菫が少しだけ気にするように聞く。
「……好きな味です」
少し柔らかい言い方だった。
「よかった」
菫は安心したように微笑む。
桜は口いっぱいにカレーを頬張っている。
「おいしい!」
その姿を見て、菫も自然と笑顔になった。
食事はゆっくりと進む。
しばらくして榮助がぽつりと言った。
「今日、弁当全部食べました」
「そう」
菫は短く返事をする。
だが少しだけ声が柔らかい。
「……どうだった?」
「眠くなりませんでした」
それが榮助なりの感想だった。
「じゃあ成功ね」
菫は小さく頷く。
そのやり取りを桜がじっと見ていた。
「ママ、おにいちゃんすき?」
突然の質問だった。
一瞬、空気が止まる。
「……急に何」
「だってやさしいもん」
榮助はスプーンを止めた。
菫は少しだけ視線を逸らす。
「……まあ、嫌いじゃない」
「えーそれだけー?」
桜が不満そうな顔をする。
榮助は小さく息を吐いた。
「お前は食え」
「はーい!」
空気が元に戻る。
食後。
桜が元気よく言った。
「ゲームしたい!」
「宿題は?」
「おわってる!」
「……じゃあ少しだけ」
三人でリビングのテレビの前へ移動する。
コントローラーを握る桜は真剣そのものだった。
菫も隣に座る。
榮助は無言でゲームの準備を始めた。
ゲームが始まる。
「おにいちゃんずるい!」
「普通だろ」
「今の強すぎ!」
菫も思わず笑う。
「……ちゃんとやってるだけです」
笑い声が部屋に広がる。
勝ち負けよりも大切なのは、こうして三人で同じ時間を過ごしていることだった。
夜。
桜は先に眠ってしまった。
静かなリビング。
残ったのは榮助と菫の二人だけだった。
「……今日も作ります」
「え?」
「弁当」
少しだけ間が空く。
「……無理しなくていいですよ」
「無理してない」
即答だった。
「私がやりたいだけ」
その言葉を聞き、榮助は何も言わない。
ただ一歩近づく。
「……ありがとうございます」
そのまま自然に唇が重なる。
静かなキスだった。
昨日より少しだけ長い。
ゆっくりと離れる。
「……おやすみなさい」
「……おやすみ」
それぞれの部屋へ戻っていく。
でも、確実に。
二人は同じ場所へ帰ってきていた。
そんな夜だった。
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