第21話 「昼休みの温度――開かれる弁当と、視線の距離」
昼。龍雷本社――営業サポート課。
午前の業務を終え、社内はゆるやかに昼休みへと切り替わっていった。椅子が引かれる音、軽い雑談、コンビニ袋の擦れる音がフロアに広がり、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。
榮助も一息ついた。
時計を見ると十二時三分。
(……昼か)
いつもならここでコンビニへ向かうか、机の中に入れてあるパンを適当に取り出すところだった。しかし今日は違う。
榮助は机の引き出しを開け、静かに弁当箱を取り出した。
黒を基調としたシンプルな弁当箱。
(……ちゃんとある)
その瞬間、ほんの少しだけ気持ちが整う。
「お、榮助それ弁当?」
横から声を掛けてきたのは藤崎悠真だった。
「珍しくない?」
黒田蓮も興味深そうに覗き込む。
「……まあ」
曖昧に返した榮助に、中村海斗がにやりと笑う。
「誰が作ったんだよ」
一瞬だけ間が空いた。
「……知り合いです」
「怪しいな~」
「彼女か?」
「いや絶対そうだろ」
軽いノリで追及が始まる。
しかし榮助はそれ以上答えず、静かに弁当箱の蓋を開いた。
ふわりと香りが広がる。
だし巻き卵、鶏むね肉の塩焼き、ほうれん草のおひたし、ウインナー。
「……うまそう」
西川優斗がぽつりと呟いた。
「ガチのやつじゃん」
「これ普通にレベル高くね?」
女子社員たちも気付き始める。
白石結菜が近付いてきた。
「ちょっと見せて」
覗き込んだ結菜はすぐに言った。
「……これ手作りでしょ?」
神谷美月も静かに頷く。
「ちゃんと栄養考えられてる感じがする……」
藤堂紗希は笑った。
「完全に家庭の弁当じゃん」
その言葉に榮助は何も返さなかった。ただ静かに箸を取る。
(……いただきます)
最初にだし巻き卵を口へ運ぶ。
一口。
(……あ)
少し甘い。
だが甘すぎない。
ちょうどいい味だった。
続いて鶏肉を食べる。
柔らかく、あっさりしていて食べやすい。
(ちゃんと考えてる)
自然と箸が進んでいく。
「どう?」
黒田が聞く。
榮助は短く答えた。
「……普通にうまいです」
「普通にって言い方な」
「絶対かなりうまいやつだろ、それ」
笑いが起きる。
その空気の中で、榮助は黙々と食べ続けていた。
一方その頃、別フロアを歩いていた柊木菫は、書類を持ったまま足を止めた。
視線の先には営業サポート課。
そして、その一角には榮助の姿があった。
同僚たちに囲まれながら、静かに弁当を食べている。
(……食べてる)
ほんの少しだけ胸が軽くなる。
その様子を離れた場所から見ていると、横から声がした。
「……見てるねえ」
燈子だった。
隣には玲子もいる。
「分かりやすいよ、お姉ちゃん」
燈子が笑う。
「完全に奥さんの顔してる」
玲子も続けた。
「……別に」
視線を外す菫。
「弁当、作ったんでしょ?」
「……まあ」
「どうだった?」
菫は少しだけ間を置いた。
「……食べてた」
それだけだった。
だが双子は顔を見合わせて笑う。
「それで十分じゃん」
「いいじゃん、ちゃんと妻やってる」
「うるさい」
そう言いながらも、菫は否定しなかった。
もう一度だけ視線を向ける。
榮助が静かに弁当を食べている。
(……ちゃんと食べてる)
その事実だけで十分だった。
昼休みの終わり。
榮助は弁当箱を閉じる。
(……全部食べた)
白ご飯はない。
だが満足感はあった。
(眠くならなそうだな)
そして、それ以上に。
(また、食べたい)
小さくそう思う。
それは食事だけではない。
あの朝の空気も含めてだった。
榮助は静かに立ち上がり、午後の仕事へ戻っていく。
その背中は、ほんの少しだけ軽くなっていた。
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