第19話 「帰る場所――すれ違いの一日と、重なる夜」
午後、龍雷本社・上層フロア。
長時間にわたる取締役会議は、ようやく終盤に差しかかっていた。
柿沼美枝子と柿沼智恵子は、最後の資料確認とスケジュール調整を行っている。
「この後の会食は予定通りで問題ありません」
「了解です、こちらも調整済みです」
淡々としたやり取り。
だがその裏では、会社の未来が決まっている。
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その頃――
営業サポート課。
榮助は時計を見る。
16:28
(あと少し)
資料整理を終え、PCを落とす。
「お先に失礼します」
周囲に軽く頭を下げる。
「お疲れー」
「また明日」
軽い声が返ってくる。
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社会人としての一日を終え、
榮助はいつも通りの時間に会社を出た。
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一方その頃。
柊木菫は、社外での接待の最中だった。
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場所は都内の落ち着いた和風レストラン。
相手は——
《東都メディアリンク株式会社》
営業戦略部 部長
川崎 恒一
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「今回のタイアップ企画ですが——」
「ええ、こちらとしても前向きに検討しています」
テーブルには料理と酒。
だが菫の前にあるのは——
ジンジャーエールとコカ・コーラ。
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一滴もアルコールは口にしない。
それでも会話は途切れない。
笑顔、相槌、タイミング。
すべてを計算して場を回していく。
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(……まだ帰れない)
時計を見る。
開始からすでに3時間。
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ようやく接待は終了した。
「本日はありがとうございました」
「こちらこそ、また改めて」
丁寧に頭を下げる。
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外に出た瞬間、空気が変わる。
(終わった……)
ほんの一瞬だけ、肩の力が抜ける。
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そのままスマホを取り出し、電話をかける。
「小野寺さん、お疲れ様です。柊木です」
相手は上司——
小野寺 佐智子
『お疲れ様、どうだった?』
「問題ありません。先方も前向きです」
『さすがね。そのまま直帰でいいわ』
「ありがとうございます」
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通話を切る。
(……桜)
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すぐに車を走らせ、保育園へ向かう。
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「ママ!」
迎えに来た瞬間、桜が駆け寄る。
「ごめんね、遅くなって」
「ううん!」
小さな手を握る。
その瞬間、仕事の顔が消える。
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帰り道。
夕暮れの空。
(帰ろう)
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同じ頃。
榮助は電車に揺られていた。
窓の外をぼんやり眺める。
特に何も考えていない。
ただ一日が終わる。
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最寄り駅に到着。
改札を抜け、マンションへ向かう。
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その時だった。
駐車場に見慣れた車。
そして——
「……菫さん」
「榮助くん」
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偶然の再会。
桜もすぐに気づく。
「おにいちゃん!」
駆け寄ってくる。
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榮助は自然に抱き上げる。
「重くなったな」
「なってない!」
小さなやり取り。
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そのまま三人でエントランスへ。
エレベーターに乗る。
言葉は少ないが、空気は穏やかだった。
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部屋の前。
菫が鍵を取り出す。
開ける前に——
ふと振り返る。
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「……お疲れ様」
「……お帰りなさい」
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そのまま距離が縮まる。
唇が重なる。
深く、静かに。
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桜が少し不思議そうに見ている中で、
短くも濃いキスが交わされた。
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部屋に入る。
靴を脱ぎ、日常へ戻る。
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少し落ち着いた頃。
菫がふと思い出したように言う。
「そういえば……」
「昼、パン食べてたでしょ」
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榮助が止まる。
「……見てたんですか?」
少し驚いた顔。
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菫は少しだけ視線を逸らす。
「たまたまよ」
(嘘じゃないけど、全部じゃない)
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「ね、聞きたいんだけど」
「白ご飯だと、眠くなるの?」
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榮助は少し考える。
「ああ……そうですね」
「高校の頃から、昼に白米食べると午後眠くなって」
「だからパンとかラーメンにしてました」
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静かな理解。
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「そっか……」
少しだけ間を置いて——
「じゃあさ」
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菫はまっすぐ榮助を見る。
「明日から、私が作る」
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「……え?」
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「白米なしでいいなら、おかずだけのお弁当」
「眠くならないように、考えるから」
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その言葉。
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榮助の表情が変わる。
驚きと、少しの喜び。
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「……いいんですか」
「いいの」
即答だった。
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その瞬間。
榮助は一歩近づく。
菫の体を引き寄せる。
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「……ありがとうございます」
小さく呟く。
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そのまま抱きしめる。
強くはない。
でも離さない。
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そして——
再び唇を重ねる。
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今度は少し深く。
長く。
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「……んっ……」
菫が小さく声を漏らす。
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静かな部屋。
二人の距離が、また少し縮まる。
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やがて離れる。
榮助は桜を受け取り直し、菫に渡す。
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「先、部屋入ります」
「うん」
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それぞれの部屋へ。
いつもの距離。
でも——
確実に違う何か。
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その夜。
キッチンに立つ菫。
冷蔵庫を開けながら考える。
(何作ろう……)
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・油物は重い
・味は濃すぎない
・冷めても美味しい
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「……ちゃんと作ろう」
小さく呟く。
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それは“義務”じゃない。
“妻”としての、初めての選択だった。
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