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第13話 「夜の境界線――“他人としての距離”と、近すぎる現実」


食事会が終わった夜。


柿沼榮助(18)は、静かに立ち上がった。


柿沼家のリビングにはまだ余韻が残っている。


父・健二郎、母・美枝子、姉・智恵子。


そして今日一日で一気に“社会と家族”が繋がってしまった感覚。



「じゃあ、帰るわ」


榮助が言うと、健二郎は軽く頷いた。


「明日からだな」


それだけの一言。


だが十分だった。



榮助は自分のマンションへ戻ろうと、夜の廊下に出る。


その瞬間、スマホが震えた。


着信表示。


《智恵子》



「もしもし」


出ると、姉の声はいつも通り冷静だった。


「ねぇ、あんた」


いきなり本題。


「奥さん、どんな人かまだちゃんと分からないから」


榮助は少しだけ足を止める。


智恵子は続ける。


「明日から見かけたら、普通に声かけるから」



「たださ」


少し間を置いてから言う。


「結婚のことは秘密にするにしても、他人として接するのって無理じゃない?」


榮助は黙る。



智恵子はさらに続ける。


「距離取るとかさ、イチャイチャしないとか」


「まぁ無理だとは思うけど」


軽く笑うような声。


だが内容は現実的だった。



「でもせめてそれくらいは徹底しないとね」


そして最後に言った。


「明日、菫さん見かけたら普通に声かけるから」



そこで通話は切れた。


ツー、ツー、という音だけが残る。


榮助はスマホを見つめたまま、しばらく動かなかった。


(距離を取る)


その言葉だけが残る。



夜の空気は冷たい。


マンションの前に戻ると、街灯の下に人影があった。



柊木菫(29)。


玄関前で、ぼんやりと立っている。


桜の姿はない。


静かな夜の中で、ただそこにいた。



榮助は少しだけ歩み寄る。


「菫さん」


声をかけると、菫はゆっくり振り向いた。


「……おかえりなさい」


少しだけ疲れた声。



榮助は視線を上げる。


「桜は?」


菫は小さく答える。


「もう寝ました」


その一言で、夜の静けさが少しだけ強くなる。



短い沈黙のあと、榮助は言う。


「明日、俺の姉が声かけると思います」


菫の目が少し動く。


「お姉さん?」


「智恵子さんです」



菫は小さく息を吸う。


「……そうなんですね」


榮助は頷く。


「はい」



少しだけ間を置いてから続ける。


「普通に対応してください」


その言葉には、“他人として”という意味が含まれていた。



菫はその意味をすぐに理解したように、静かに頷く。


「分かりました」



夜風が吹く。


二人の距離は近いのに、どこか遠い。



榮助は軽く頭を下げる。


「じゃあ、お休みなさい」


菫も同じように小さく頭を下げる。


「おやすみなさい」



榮助は自分の部屋へ向かう。


エレベーターに乗る直前、もう一度だけ振り返る。


菫はまだ玄関前に立っていた。



ドアが閉まる。


静けさ。



(他人として接する)


その言葉が頭の中で何度も繰り返される。


だが同時に、別の感覚も残っていた。


すでにそれは、簡単に切り離せる距離ではない。



夜は深くなる。


それぞれの部屋で、同じ“秘密”を抱えたまま。    



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