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第9話 「卒業の夜――家族の輪郭と、過去の痛み」


卒業式が終わったあと、校庭は少しずつ人が減っていった。


写真を撮る声、笑い声、制服姿のまま別れを惜しむ空気。


柿沼榮助(18)もまた、友人たちに囲まれていた。



「柿沼!最後な!」


高橋蓮がスマホを掲げる。


「全員集合な!」


伊藤翔がため息をつきながらも並ぶ。


松本悠斗が笑う。


「絶対これ一生残るやつだろ」


そこに男子グループと女子グループが自然に混ざっていく。


結菜が叫ぶ。


「はい笑ってー!」


シャッター音が何度も鳴った。


その中心に榮助はいたが、どこか少しだけ遠く感じていた。


(これで終わりか)



その少し離れた場所で、美枝子と菫が向かい合っていた。


柿沼美枝子(榮助の母)は落ち着いた表情で菫を見ている。


「また会社でもお世話になるね」


菫は少し驚きながらも丁寧に頭を下げる。


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


美枝子は少しだけ視線を細める。


「でもね」


一拍置く。


「息子も龍雷神に決まったんでしょう?」


菫は小さく頷く。


「はい」


美枝子は続ける。


「なら、会社では完全に“他人”でね」


その言葉は静かだが、強かった。


「結婚したことは、絶対に伏せること」


菫は真っ直ぐに答える。


「……分かっています」


美枝子は軽く息を吐く。


「そこが一番大事よ」


そして少しだけ表情を緩めた。


「じゃ、またね」


そう言って、美枝子は去っていく。


菫はその背中を見送る。


(この関係は、もう外には出せない)


そう確信するように。



夕方。


榮助の家のリビング。


卒業式の余韻がまだ残っている。


桜ははしゃぎ疲れて、眠そうに目をこすっている。


「おにいちゃん……今日もいる?」


「いる」


榮助は短く答える。


その一言で桜は安心したように笑った。



夜。


三人は風呂に入っていた。


湯気が満ちる中、桜は湯船でおもちゃを浮かべて遊んでいる。


「見てー!おふねー!」


無邪気な声が響く。


菫は少し距離を取りながら、穏やかに桜を見守っている。


榮助はその横に座り、静かに湯に浸かっていた。


普段よりも近い距離。


だが不思議と、嫌な緊張はなかった。



しばらくの沈黙のあと、榮助が口を開く。


「菫さん」


「はい?」


菫が少しだけ顔を向ける。


榮助は視線を湯面に落としながら言った。


「前の旦那さんって……どうして別れたんですか」


空気が一瞬だけ止まる。


桜の遊ぶ音だけが響く。


菫は少しだけ視線を落とした。


「……聞きますか」


榮助は頷く。


「はい」



菫はゆっくり息を吐いたあと、静かに話し始めた。


「浮気、されました」


榮助は何も言わない。


菫は続ける。


「家に帰ったら……他の女性と一緒にいて」


少しだけ声が揺れる。


「普通じゃない状態で……桜の前でも隠さなかったんです」


榮助の手がわずかに止まる。


菫は続ける。


「その女性は……妊娠していて」


そこまで言って、少し黙る。


そして静かに言った。


「それで、そちらを選んで出ていきました」



沈黙。


湯気の中で、時間だけがゆっくり流れる。


桜は何も知らずに遊んでいる。


榮助は小さく息を吐いた。


そして、隣にいる菫の方を見た。


その表情は、いつもより少しだけ弱かった。



榮助は静かに言う。


「……絶対に、もうあんなことにはさせません」


菫が顔を上げる。


「え?」


榮助はまっすぐ見たまま続ける。


「菫さんを、守ります」


その言葉は、迷いがなかった。



次の瞬間。


榮助は少しだけ距離を縮め、菫の唇に軽く触れるようにキスをした。


驚く菫。


だが、すぐにその意味を理解するように、目が揺れる。


榮助は静かに続ける。


「幸せにします」


その言葉は、若さではなく覚悟の温度を持っていた。



菫はすぐに言葉を返せなかった。


ただ、しばらく榮助を見つめていた。


その表情は、戸惑いと安心が混ざっていた。



湯船の中では、桜が変わらず笑っている。


「ねえー!おにいちゃんもあそぼー!」


その声が、少しだけ現実に戻す。



菫は小さく息を吐き、静かに微笑んだ。


「……ありがとう」


それは小さな声だった。


だが確かに、届いていた。



夜は続く。


湯気の向こうで、家族の形はまだ揺れている。


だがその中心には、確かに一つの“決意”が生まれていた。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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