ノーデン大森林
とりあえず、今回のリーファの誘拐事件は今後詳細を話さないことにして……オリヴィエが目覚めるのを待った。カナヴィとの取引については話した……というか、カナヴィの方から既に伝えていたらしい。
しばらくして目を覚ましたオリヴィエは、やはりぽっかりと記憶の穴を作っていた。
「オリヴィエさん、大変だねえ」
「もう慣れましたから大丈夫です。ああでも、皆さんにはご迷惑をかけてしまいますね……」
「俺達のことはいいよ、気にしないで」
っていうか、今回に関してはリーファが記憶消去のキッカケを作りにいったのを俺がうっかり見過ごしてしまったのが悪いしな。むしろ謝るのは俺の方だ……なんて、言わないけども。
にしても、このニコニコとこっちを見てくる男……カナヴィはどこまで俺達のことを知っているんだろう。オリヴィエのことを知っていてわざとトラウマをほじくりにいくなんてことはしないと信じたいけど。
じとりとカナヴィを見る。彼は俺の思いに気づいているのかいないのか、余裕たっぷりな笑顔で俺を見つめ返した。
ええい、今は気にすることじゃないな。今はとにかく、カナヴィをヴァルテン帝国に送り届けることだけ考えていればいい。
「それじゃ出発しようか」
「はーいっ」
あんなことがあったばかりだというのに、リーファはいつも通りだ。それが無理からくる笑顔じゃないといいんだけどな。
五人で平原を歩く。遠くに見える森がノーデン大森林か? 本当に見渡す限り森だなあ。地図にある通り、ピュルテ皇国とヴァルテン帝国を分断する形で広がっているらしい。ヴァルテン帝国に行きたいなら、この森を通るか海路から行くしかないみたいだ。
「あれがノーデン大森林……すっごく木がいっぱいだね」
「ああ、木がいっぱいだなあ」
「すっごくすっごーっく! いっぱいだね!」
「くくっ……そうだな、すっごくすっごーくいっぱいだな」
思わず笑ってしまった。リーファは多分ナーダの森と比べてるんだろうな。あっちも中々の広さだけど、あっちはちゃんと通れる道が用意されてるし。
いやまあ、こっちも道はあるといえばあるっぽいんだけど……なんだかな、あっちに比べて荒れ放題なんだよ。こんなになるほど人が滅多に通らないってことなんだろうか?
「森の中、かなり暗いなー」
「そうだな。ケイト、リーファ、それからオリヴィエも。あまり離れるなよ……あー、それからカナヴィもな。守れないから」
俺は? という目で見られたのでカナヴィも付け加えておく。するとオレンジの瞳を細めてニンマリと笑顔を浮かべた。おい、満足そうに笑うんじゃない。
森の中は薄暗く、生い茂った木のせいで陽の光がほとんど届かない。少しジメジメした中を突き進んでいく。これ、方向感覚おかしくなりそうだな。かろうじて残ってる道の上を意識して歩かないとまずいぞ。それに足元をよく見ていないと、飛び出した根っことかに引っ掛けそうだ。
「ヴァルテン帝国ってどんなところだろうね?」
「さあ……? ピュルテ皇国のことは話が入ってくるけど、ヴァルテン帝国については名前くらいしか聞いたことなかったぞ」
「わたくしもあまり詳しくないんです。リエロス教が広まっておらず、イノセンス至上主義だという話を聞いたことがあるくらいでして……エスカさんは何かご存知ですか?」
「俺も地図上の情報しか知らないな。っていうかイノセンス至上主義ってヤバそうだけど、俺達行って大丈夫か?」
リーファとオリヴィエ……あとカナヴィは大丈夫かもしれないけどさ、俺とケイトは亜人だし不安だ。よし、ダンジョンだけパパッとクリアしたらさっさと帰ってこよう、そうしよう。次のダンジョンで金策とか考えてたけど予定変更だな、これは。
「……カナヴィは何か知ってるか?」
一応話を振ってみる。ニコッと笑って返されただけだった。何なんだよ。がっくりと肩を落としたところで、ふと奇妙な視線に気付く。
「……なあ、何か見られてないか?」
「そうなの?」
「ああ。この感じ……なんというか、ナーダの森の入り口付近で感じたのと似てるな」
こう、警戒してるけど手は出してこない感じが似ている。俺以外はイマイチ感じ取れなかったみたいで首を傾げていた。
「まあいいか。向こうが動かないならこっちも動きようがないしな。悪いことをするつもりでもなし、気にしない方向で行こう」
「「はーい」」
リーファとケイトの返事が綺麗に重なる。タイミング合わせようとアイコンタクトしてたの見てるからな。まったく、かわいいことをする。
暫く森を進んでいると、ガサガサと木が揺れる。
「魔物か?」
「鳥かな?」
「リスかもしれませんよ」
首を傾げている三人には悪いが、あれは多分そんな可愛らしいものじゃない。
ズシン。地面が揺れると同時に重苦しい音が響き、地面が揺れる
ズシン。また揺れる。ズシン。ズシン。ズシン。
木々の茂りに茂った葉の隙間から、紫の鱗をもつ巨体が覗き見えていた。
「え……ドラゴン?」
リーファの呟きと同時に、咆哮が耳をつんざいた。思わず両手で耳を押さえる。ビリビリと体に伝わる音の振動が、相手の強大さを表していた。
ギョロリと黄色い眼光が俺達を射抜く。おいおいおい、こっちはお前と比べてちっぽけな体だぞ。どうしてそうピンポイントで見つけるかね。
たかが数秒、されど数秒。お互いの視線が交わり続ける。
もし動いたら、死ぬ。そんな威圧感があった。
やがて均衡は崩れる。ドラゴンが木々を掻き分け、覗き込んできたのだ。
あー、あー、あー。見間違えってことにしておいてもらえたら助かったんですけどねえ。そうはいきませんか、そうですか。
「ひっ……」
ケイトが小さく声をあげる。ぴくりとドラゴンのまぶたが動いた。ギョロリと鋭い目がケイトへ向けられる。開かれた口から熱い吐息が漏れ出した。
カタカタと震えるケイトは、ついに膝をついてしまう。
「全員散れッ!!」
咄嗟にケイトの服を引っ掴み、地面を蹴る。リーファもオリヴィエも巻き込む形で地面を転がっていく。今し方、俺達がいた場所を紫色の煙が薙ぎ払った。
「っぶねえ! ありがとう俺の勘!!」
すぐさま体を起こす。煙の中にピンク色が見えた。
カナヴィ、あいつ避けられなかったのか……! いや、無理もない。突然動けと言われて動けるのなんて、相応の経験を積んだヤツくらいだ。リーファとオリヴィエだって俺が巻き込む形で回避させたんだから。
ドラゴンはゆっくりと前脚を持ち上げる。あのまま踏み潰す気か……!?
「カナヴィ! 逃げろ!!」
叫んでも、彼は咳き込みながらよろけるばかりでうまく動けていない。あの煙、毒か何かなのか……?
くそ、ここで見過ごすのは駄目だ。そういう取引だったからというのもある。でも、何より。
仮にも仲間の恩人を、そのまま見殺しにできるかよ。
「エスカくんっ!!」
呼び止める声を無視して息を大きく吸い込み、煙の中へ飛び込む。くそ、煙が目に入るだけで痛い。目を開けていられない。
この辺りにいるはずだ。腕を伸ばし、手探る。指先に何かが触れた。それを掴み、引っ張る。向かうべき方向は分かってる。後はここから離れさえすれば。
何かが、足に引っかかった。もつれた足は簡単にバランスを崩し、二人揃って倒れ込む。
まずい。まずい、まずい、まずい!!
必死に体を起こす。平衡感覚もおかしくなりそうだ。立ちあがろうとして、再び体勢が崩れる。どこまでドラゴンの足が迫っている? 早く、早く逃げないと。
「カナヴィ、起きたか!? どこだ!?」
早くしないと、踏み潰され――
「愚か者め」
凛とした低い声が、やけにはっきりと聞こえた。




