第9話 スライムが増えたので、従魔札を取りに行きます
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「……おい、プル? どうしたんだ、その震え方は」
古い家畜小屋で迎えた朝、掃除をしていたプルの様子がおかしかった。
普段の心地よい「ぷるぷる」という震えではない。耳の奥を震わせるような「ジジジ……」という異質な音が半透明の体から漏れている。
俺は反射的に『絶対診察眼』を起動した。
プルの体内の魔力が異常な速度で渦を巻いている。小屋に染み付いた濃すぎる瘴気を吸い込み続けた結果、体内の魔力循環が限界まで高まっている。
効率的に環境を維持するため――というより、濃すぎる瘴気を一体で抱えきれなくなった結果の、緊急適応反応。
「ワタル、見て! プルが……!」
横で寝ていたリコが跳ね起き、銀色の耳をそばだてて声を上げた。
次の瞬間、プルの体が細胞分裂のように中心からくびれ、鮮やかな光を放って「ぽんっ」と二つの球体に分かれた。
「……分裂したのか?」
俺は目の前に並んだ二体のスライムを見比べた。
元からいたプルは、従来通りの透き通った水色。
新しく生まれた個体は、わずかに色が濃く、深い青色をしていた。
「増えたのはいいが、やっぱり小さくなったな」
俺は二体を交互に指で突いてみた。以前はバレーボールほどの大きさだったが、今はどちらも小ぶりのメロンほどのサイズだ。
出力も以前の半分ほどに分散しているだろう。
二体に増えたとはいえ、単純に戦力が倍になったわけではない。浄化する場所を分けられるようになった、という方が正しかった。
「名前はどうするのだ? まさかプル1号とか……」
リコの呆れを含んだ視線を受けながら、俺は即答した。
「プルと、プルツーだ」
「……ほんとに安直。でも、あの子には合ってるのだ」
リコはそう言って、少し控えめに「ぷるっ」と短く鳴くプルツーを指先でなでた。
水色のプルは負けじと「ぷるるっ!」と元気に鳴き、俺の足元に擦り寄ってくる。
ふと見ると、水色のプルの体表には、以前ギルドマスターのモルガナからもらった金属製の札が、相変わらずぺたりと張り付いていた。
スライムのゼリー状の体であっても、決して中へ沈み込まない不思議な魔道具だ。
だが、隣にいる少し色の濃いプルツーの体には、当然ながらそれがない。
「あるのとないのとじゃ、一目瞭然だな。……増えたのではない。分かれたのだ。そして、分かれた以上、俺には二体分の責任がある」
無登録の魔物を連れていることは規則違反であり、何より管理者としての失格を意味する。
俺は往診バッグの口を開けた。プルが慣れた様子で滑り込み、札のないプルツーが少し遅れてその真似をした。
「……お前たち、そこは診療道具を入れる場所なんだが」
「ぷるるっ」
「ぷるっ」
それぞれの声で反論されている気がした。俺は苦笑いしながら、バッグを肩にかけた。
ルミナ村のギルドに入ると、いつものようにモルガナの豪快な声が響いた。
「なんだいワタル! 今日はまた、随分と可愛らしいお供を連れてるじゃないか!」
「プルが分裂しまして。新しい『従魔札』の発行をお願いします」
「プルが分裂したって? あんた、使い方が荒いんじゃないだろうね」
モルガナは笑いながら、新しい金属製の小さな札をプルツーに貼り付けた。
俺は「これでも気を使っているつもりなんですよ」と苦笑いして、「やっぱり、こっちの札も沈まないんですね」と改めて感心したように言った。
モルガナは鼻を鳴らした。
「当たり前だろ、同じ魔道具なんだから。はいよ、これでこいつも立派な『登録済み』だ」
俺は札の手数料を支払いながら、昨日森で拾った罠を手渡した。
「実は昨日、罠にかかったウィンドウルフの幼獣を保護しました。リコが鳴き声に気づいてくれたおかげです。……ただ、その罠なんですが、ギルドの登録印がありませんでした。おそらく密猟者が放置した粗悪な代物です」
罠を見たモルガナの目が、一瞬で鋭いギルドマスターのそれに変わった。
「無許可の罠……。私の目の届かないところで、どこのどいつがそんな真似をしてるんだい。わかったよ、ギルドでも洗ってみる」
モルガナは忌々しげに吐き捨てた後、ニヤリと笑った。
「そうそう。村長のゴランがね、明日お前のところへ視察に行くって言ってたよ。あいつ、あんたの『緊急入院』って理屈に、一晩中苦虫を噛み潰したような顔をして『先生の屁理屈には勝てん』ってここでぼやいてたよ」
モルガナの言葉に、俺は気を引き締めた。
「……視察ですか。いい機会です。理屈だけではないところを見せますよ」
***
家畜小屋に戻った俺は、早速二体の特性を活かした配置を考えた。
これは便利な増殖ではない。濃すぎる瘴気を一体で抱えきれなくなった結果の、緊急適応に近い。ならば、増えたことを喜ぶ前に、負荷を下げる仕組みを作るべきだ。
「プルは吸気口になる窓際、プルツーは排気ルートの床下だ」
一体あたりの吸引力は弱まったが、「窓際と床下」の二点間を同時にカバーすることで、小屋全体の空気の流れが劇的に改善される。前世なら、こういう地味な施設管理も飼育員の仕事だった。
さらに俺は、余っている古い柵板を使い、コロのケージから少し離れた場所に『第二の隔離区画』を作り始めた。
「ワタル、また新しいケージ? そんなに必要なのだ?」
「備えは仕事のうちだ、リコ。種類の違う魔物を同じ空間に入れるわけにはいかない。病気の蔓延を防ぐための『検疫』という考え方だ」
作業を終えた俺は、不安そうに耳を伏せているリコに向き合った。
「リコ、明日の朝、村長のゴランがここを視察に来ることになった」
リコの銀色の耳がぺたんと伏せられた。
「……あの、怖い村長? 私たちを追い出そうとしているのか?」
「いや、あくまで『管理状態の確認』だ。プルたちのおかげで空気は綺麗だし、新しい隔離ケージも用意した。何も後ろめたいことはない。リコは無理に顔を出さなくていい。奥で隠れているか、耳を隠して『助手』のふりをしてくれればいいから」
リコはしばらく黙って自分の尻尾を抱えていたが、やがて小さく頷いた。
「……わかった。ワタルがそう言うなら、少しだけ、手伝ってあげてもいいのだ」
隔離ケージの中で丸くなっていたウィンドウルフのコロが、心なしか昨日よりも深く、穏やかな寝息を立て始めた。絹のような毛並みが、清浄な空気の中で静かに波打っている。
夕方、俺は往診バッグを閉じ、二体のスライムに声をかけた。
「明日は忙しくなるぞ、プル、プルツー」
「ぷるるっ」
「ぷるっ」
世界で一番小さな魔物保護区は、少しだけ空気を整えて、次の朝を待った。
【個体管理メモ:プル】
種名:スライム
現在の状態:自己分裂により、サイズが従来の半分(メロン大)に縮小。
性格・特徴:水色の体色。元気な反応で、鳴き声は「ぷるるっ」。
特記事項:小屋の「窓際」を担当。外気浄化の要。
【個体管理メモ:プルツー】
種名:スライム
発生経緯:プルの特殊適応(自己分裂)により誕生。
現在の状態:プルと同等のサイズ。ギルドにて「従魔札」登録済み。
性格・特徴:少し濃い青色。控えめな性格で、鳴き声は「ぷるっ」。
特記事項:小屋の「床下」を担当。汚染の滞留を防ぐ排気浄化担当。
【施設管理カルテ:古い家畜小屋(仮)】
状態:プルとプルツーの二体体制により換気システムが安定。第二隔離ケージの設営完了。
収容状況:隔離区域にウィンドウルフの幼獣を収容中。
特記事項:ギルドへ無許可の罠について報告済み。リコへの視察の事前説明を完了。翌朝、村長ゴランによる視察を予定。
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