第7話 古い家畜小屋ですが、保護区にします
いつも応援ありがとうございます!お楽しみください!
村長ゴランの屋敷を出ると、夜の村はしんと静まり返っていた。
「あんたたち、今夜の宿は決まってるのかい?」
前を歩くモルガナが、ふと振り返って尋ねてきた。
「いえ……一文無しですから……」
俺が苦笑いして答えると、モルガナは呆れたように鼻を鳴らした。
「勇気と腕はあるのに、金はないときた。しょうがないねぇ、ギルドの横にある物置でよければ、今晩はそこで寝な。掃除は自分たちでやりなよ」
案内された物置は埃っぽかったが、俺が往診バッグを置くと、隅っこでプルが「じゅうじゅう」と床を浄化し始めた。
「……ねえ、ワタル」
暗がりの中、リコが小さな声で言った。
「なんで、あんなに一生懸命あの子を助けたのだ? ワタルは獣医なんでしょ?」
リコの瞳には、純粋な疑問が混ざっていた。獣医の俺が人間の少女を救った理由がわからないのだろう。ましてや、彼女にとって人間は加害者なのだから。
「あの子は人間だ。でも、その前に患者だった。苦しんでいるなら診る。そこに動物とか魔物とか人間とかは関係ない」
俺はリコの目を見て、静かに答えた。
リコは「……変な人間」と短く呟き、藁の上に丸まった。プルの浄化圏内で、彼女は久しぶりに深い眠りに落ちていった。
***
翌朝。ミーナの再診に向かうと、彼女はベッドの上でスープを飲めるほどに回復していた。
「先生、ありがとう……!」
ミーナの笑顔を確認し、俺は安堵した。
「順調です。ただ、治ったと判断するのはまだ早い。二、三日は様子を見ます」
プロとしての釘を刺すと、村長ゴランは深々と頭を下げた。
「先生、これは昨日の分とこれからの往診の報酬だ」
手渡された布袋には、銀貨五枚が入っていた。さらにゴランは、羊皮紙の一枚を差し出した。
「それと……ギルドで身分証がなくて困っていると聞いた。これは俺の名義の『身元保証書』だ。ワタル先生、孫娘の命の恩人を、不審者扱いなどさせん」
銀貨の重みもありがたい。だが、羊皮紙一枚の重みは、それ以上だった。この世界で俺が「誰でもない怪しい男」ではなくなるための、最初の信用。それが、ゴランの署名だった。
その足でギルドへ向かい、モルガナに保証書を出すと、彼女はニヤリとした。
「あの偏屈なゴランにここまで書かせるとはね。はいよ、ワタル。冒険者登録完了だ」
手渡された身分証の重みを感じていると、モルガナがもう一枚、金属製の小さな札を差し出した。プルの『従魔札』だ。
「従魔札は、魔物を安全に管理できる者だけに出す登録札だよ。もっとも、スライムに札を出した例なんて聞いたことないけどね。いいかい、この札は責任の証だ。こいつが何かやらかしたら、全部あんたの責任だよ」
モルガナはそう言うと、銀貨ほどの大きさの札を、俺の足元にいたプルの体にぺたりと貼り付けた。
プルは「ぷるんっ」と弾むような音を立ててそれを受け入れる。
俺はふと、不思議に思って問いかけた。
「……沈まないんですね。この子の体はゼリー状だから、放っておけば体内に飲み込まれてしまうかと思いましたが」
プルの表面にある金属札は、水に浮く木の葉のように、その半透明な体表にぴったりと吸い付いたまま留まっている。
「従魔札は特別な魔道具だからね。普通の札だったら、今ごろ体内で迷子さ。スライムを連れるなら、外から一目で『飼い主がいる』と分からなきゃ意味がないだろう?」
モルガナはニヤリと笑い、俺の肩をバシッと叩いた。
「飼育は、かわいいだけじゃ済みませんから。わかっています」
俺は、前世で命を預かる仕事の中で何度も胸に刻んできた重みを思い出し、プルの体表で鈍く光るその札を見つめた。これが、この世界で俺がこの子の命に責任を持つという、最初の証明だった。
しかし、銀貨を手に宿を探そうとした俺たちの前に、現実の壁が立ちはだかった。
「悪いな。うちは客商売だ。魔物連れと獣人を泊めたとなれば、他の客が離れる」
宿屋の主人の言葉に、リコの手がブランケットの端をぎゅっと握りしめた。
「……慣れてるのだ……」
尻尾が元気なく垂れた。その声は、怒っているというより、最初から期待していなかった者の声だった。俺は怒るよりも先に、冷静に代替案を模索した。
ギルドに戻ると、モルガナが口を開いた。
「……一つだけ、あるにはあるよ」
「宿じゃない。古い石造りの家畜小屋だ。村の北側にある。瘴気の森に近すぎて、誰も住みたがらない場所さ。ゴランが許してくれるか聞いてみないと」
ゴランの家までモルガナと向かった。ゴランは少し考え、条件付きで許可を出してくれた。
「村に被害を出さないこと。井戸を汚さないこと。魔物を勝手に増やさないこと。それを守るなら、自由に使っていい」
「当然です。むしろ柵と隔離場所が必要です。排水も確認します」
管理者としての俺の返答に、二人は驚いたような顔をしていた。
村の外れ、森の入り口に近いその石造りの小屋は、壁にひびが入り、屋根も一部落ちかけていた。だが、骨組みはまだ生きている。
「プル、思い切りやっていいぞ」
俺が声をかけると、プルは床下の黒ずんだ染みへ向かって、いつもより少し重そうに跳ねていった。じゅう、じゅう、と湿った音が続く。
数分後、小屋の中だけは、どうにか息を深く吸える程度に空気が軽くなっていた。
小屋の前で、俺は足を止めた。リコはしばらく、小屋の入口に立ったままだった。
「リコ。ここは、ひとまず俺とプルが使う場所になる。君の傷を診るには、ここにいてくれた方が助かる。けど、君をここに縛るつもりはない」
リコの耳が、タオルの下でかすかに動いた。
「……どういう意味なのだ?」
「君は従魔じゃない。患者だ。泊まるかどうかは、君が決めていい」
リコはしばらく黙っていた。外套の端を握る指に、ぎゅっと力がこもる。
「……村の宿は、私を泊めないのだ」
「うん」
「森に戻ったら、また瘴気で倒れるのだ」
「その可能性が高い」
「……じゃあ、ここにいる。私が、そう決めるのだ」
「わかった。じゃあ、今日からここは君の寝床でもある」
誰も見ていないことを確かめるように、周囲をゆっくりと見回す。
それから、震える指先でブランケットを外した。
ブランケットが藁の上に落ちる。次に、タオルがほどけた。
銀色の耳が、久しぶりに何にも押さえつけられずに揺れた。尻尾が、藁の上にふわりと広がる。
「……ここ、空気が軽い」
そう呟いて、彼女はそのまま眠りに落ちた。隠れる必要のない、安息の眠りだった。
俺は枕元に往診バッグを置き、床下の汚染を食べ続けるプルを見た。診察するだけじゃ足りない。戻る場所がない命を守る場所が必要だ。
俺は頭の中のカルテに、この古い家畜小屋の状態を書き込んだ。
【施設管理カルテ:古い家畜小屋(仮)】
状態:プルによる浄化により、空気環境は一時改善。要修繕。
居住者:ワタル、リコ、プル。
用途:一時宿泊、傷病個体の保護、隔離観察。
特記事項:魔物・獣人の受け入れ態勢、構築開始。
その夜、古い家畜小屋の中で、世界で一番小さな魔物保護区が産声を上げた。
もし『続きが気になる!』『この話、面白い!』と思っていただけましたら、下部の☆☆☆☆☆から【評価】や、作品フォロー&ブックマークをしていただけると、執筆の励みになります!ぜひよろしくお願いします!




