第69話 お薬は霧にして届けます
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朝霧がうっすらと漂う、まだ涼しい保護区の広場。
前日のギルドでの会議で決定した通り、朝一番にキャスパーが、村の入り口除染に用いる浄化排水と、担当スライムのプルを受け取りにやってきた。
「おはよう。ワタル。除染作業のためにやってきたぞ」
エーリスがキャスパーを見かけて挨拶をした。
「おはようございます。キャスパーさん。除染頑張ってくださいね」
「はい。エーリス様! 『村の防波堤』のこのキャスパーが地の果てまでも浄化を進めようと思います」
「相変わらず、力強いですわね」
エーリスは微笑んだ。キャスパーは張り切って、腕を大きく回した。
「ほんと、キャスパーときたら。エーリスさんに言われればどこまででも飛んで行ってしまいそうなのだ」
リコが呆れた声で言った。苦笑いしながらトーマが近づき、キャスパーに話しかけた。
「キャスパーさん。除染作業についてですけど、まずは地表に浄化排水を撒きます。この時に、一箇所に溜まらないよう土壌に広く染み込ませることを意識してください」
「広く染み込ませるようにだな」
「はい。また、草の多いところだと地表まで届かないこともあります。なので、そのような場合には草刈りをした上で撒いたほうがいいです」
「なるほど」
「浄化排水を撒くと、地表の黒い瘴気が薄くなります。その薄くなったところをプルに食べてもらってきれいにします」
俺はキャスパーにプルについて付け加えた。
「プルは除染の道具ではありません。保護区の仲間です。無理な連続作業は絶対にさせないでください。一日の除染時間は午前中の決められた時間まで。疲れたら、そこで終わりです。彼らが本来の力を無理なく発揮できるよう、仕事を制限して、こまめに休ませてあげてほしいんです」
「わかった。任せとけ」
「お願いします。じゃあ、プル。キャスパーさんと一緒に、無理せず頑張ってな」
「ぷるるっ」
トーマに続いて浄化排水の樽詰め作業に向かうキャスパーの後ろをプルは跳ねていった。
***
その後、俺は、リコとエーリスを連れてルシェルド療養地に来た。
ルシェルドはいつもと同じく、何も語らないまま左翼を開いた。
俺は『絶対診察眼』で患部を診る。しかし、奥深くの瘴気反応は薄くなっていない。やはり湖の除染を進めないことには回復しないのだろう。
俺は樽から高濃度浄化液をひしゃくですくい、傷口へジャブジャブとかけた。しかし、かけた水の大半は、ルシェルドの強靭な皮膚や鱗をただ伝い、傷に留まることなく地面へ流れ落ちていった。
流れ落ちて消えるあまりの無駄の多さに、俺はハッとした。
(いけない。昨夜、食堂でみんなに『水には限りがあるから、各自で徹底的に節水に気をつけよう』と呼びかけたばかりじゃないか。それなのに、自分自身がこんなにジャブジャブと水を無駄に流してしまっている)
俺はひしゃくを動かす手を止め、手元を見つめた。
(流れ落ちるから無駄になるんだ。だったら、流れ落ちないほど細かく、霧状にして優しく吹きかければ……。一滴の水も無駄にせず、広く、薄く、確実に傷口全体へ薬を行き渡らせることができる! ガルドに相談しよう)
ルシェルドは大きな金色の瞳で不思議そうに俺のことを見下ろしていた。
***
ルシェルドの治療を終えて保護区へ戻ると、俺はガルドの工房へ直行した。
「あ、ベルナさん。おはようございます。これから仕事ですか」
ちょうど玄関を出てきたベルナに挨拶をした。
「はい。ワタル先生。これから昼の仕込みに入るのと、今日は保存食も作るんですよ」
「そうなんですね。よろしくお願いします」
ベルナは会釈して職員食堂の方に向かった。
ガルドの工房に入ると、蓄魔瓶や歯車、馬具の金具などが散乱していた。
「ガルドさん。おはようございます。今いいですか?」
「おう、ワタル。いいぞ」
「節水について昨日話したところですが、治療で無駄になっている水が多いことに気づきました。ルシェルドの治療で高濃度浄化液をかけて傷口を洗浄しているのですが、ほとんどが流れ落ちてしまっている。なので、霧状に振りかけるような器具を作れないかと思っているんです」
「霧状に?」
「はい。筒の中の水を押し出して、先の細い穴から霧みたいに吹き出す道具です」
「なるほど。筒と押し棒、それに細い吹き口か。圧を逃がさねえように作れば、いけるかもしれねえな」
俺は身を乗り出した。
「行けそうですか?」
ガルドは目を輝かせた。
「ああ。水そのものを増やすのは時間がかかるが、これなら『使う水の量を減らせる』。水の一滴が俺たちの命綱だ、この道具があれば、今のタンクでもやれることが一気に何倍にも広がるぞ。すぐに設計に入ってやる、職人の腕の見せ所だ!」
***
俺は診療棟に戻った。オルフェンとノクシアがシャドウパンサーを観察している。
「オルフェンさん、ノクシアさん。シャドウパンサーはどうですか」
「ワタル先生。ずいぶん鞭を打たれて弱っていたようです。まだ、ぐっすり眠っています」
俺はシャドウパンサーたちを診た。穏やかな寝息を立てている。背中の鞭の跡が痛々しい。
(この子たちだって、望んで保護区を攻めようとしたわけではない。もっと安らかに過ごすことだってできただろうに)
「早く良くなるといいですね」
そんなやり取りを見ていたリコが不思議そうに俺に言った。
「あれ、ワタル。いつもの流れだと、ここでひねりのない名前を付けるんじゃないの?」
「そうだった。黒い毛並みで、耳の先が少し欠けている方をクロナ。もう一頭は、夜の中で目だけが淡く光っているから、ヨルにしよう」
「相変わらずのセンスね」
リコが呆れたように言った。それを聞いてノクシアが吹き出した。
「ノクシアさん。これからトゲマルの治療を行いますが、いいですか?」
「はい」
ノクシアは隔離ケージからトゲマルを連れてきて処置台に乗せた。
俺は清浄水で皮膚を丁寧に洗浄し、逆立っていた硬い毛を和らげた。そして、リュシア特製の鎮静軟膏を塗布した。
『絶対診察眼』で患部を診ると炎症は落ち着いてきている。
「オルフェンさん。トゲマルの炎症はほぼ収まりました。今後、リハビリでドッグランに出したいと思いますが、どうでしょうか?」
オルフェンはトゲマルをまじまじと観察した。
「そうですね。だいぶ体力も戻ってきているようです。今日の午後からドッグランで慣らしを始めましょう」
トゲマルは俺たちの会話を聞いていたのか、背中のとげを震わせた。
***
職員食堂で昼食を取った後、エーリスと病室に向かった。
エーリスはレオンの右腕をしばらく確認してから言った。サラも心配そうに見つめている。
「本来ならもう少し休ませたいところですが、右腕の傷も魔力の乱れも十分に落ち着きました。今日で退院して結構です。ただ、当面はリハビリを兼ねた軽作業や見回りからにしてくださいね」
「エーリスさん。ありがとうございます」
退院を伝えられたのに、レオンは黙ってうつむいた。
「兄さん、どうかしたの?」
レオンは拳を強く握りしめた。
「ああ、サラ。……俺は、警備員として失格だ。仮にこの怪我が、マルタさんを守ったことで生じたものだとしても……。俺がこうして怪我で寝込んでいたせいで、昨日、本物の魔王軍が攻めてきた時、俺はベッドの上で何もできなかった……」
「何言ってるの、兄さん」
サラは、レオンの背中を軽く叩いた。
「兄さんがあの時、トゲマルを斬らずに守ったから、あの子は今も生きてるんでしょ。マルタさんも無事だった。兄さんも、こうして帰ってこられた」
「悔しいなら、これから守ればいい。私は、兄さんの警備を誇りに思ってる」
サラの厳しくも温かい言葉と兄への絶対的な信頼。俺とエーリスは優しく微笑んで頷いた。
「あの時、レオン君は保護区の方針を守ってくれました。斬らずに守ることは、簡単なことではありません。焦らず、ここから戻していきましょう」
レオンはハッとして、ゆっくりと左手で目元を拭い、今度はしっかりと前を向いた。
「……はい! ここから、また一から這い上がります!」
レオンの顔には力強い笑みが浮かんでいた。
***
ドッグランでは、オルフェンとノクシアが魔物の動向を観察していた。
モコとココがコロの周りでじゃれつく。コロは時折二匹の頭を舐めた。そんな姿をシルバは穏やかに見つめている。
リーフは日陰で体を丸くしていつものように寝入っていた。まだ他の子たちと直接触れ合わせる段階ではないので、トゲマルは低い仕切りで区切った日陰に入れている。今日からドッグランの空気に慣らすためだ。
ハニーはその大きな体を広げ、日光浴をしている。
レオンも、サラと肩を並べて柵の外から魔物たちを見守っていた。二人の顔には柔らかい笑顔が浮かんでいた。
(派手なことはできなくてもいい。水も、薬も、声も、できるだけ無駄にしないで、必要なところへ届ける。この日常を続けるために、俺にできることを一つずつ増やしていこう。)
俺は強く誓った。
【施設管理カルテ】
患者経過(シャドウパンサー2頭・クロナとヨル):消耗が激しく、低刺激環境下で休息を継続。体力の回復を待ち、首輪跡、鞭傷、支配瘴気の残留反応を経過観察する。
患者経過:皮膚炎は改善傾向。午後から短時間のドッグラン順化を開始する。
患者経過(ウィンドウルフ親子):コロとの匂い合わせが良好に推移。安全な距離を保ちつつ、ドッグランでの直接接触を開始する。
安全・防衛管理:レオンの退院に伴い、リハビリを兼ねた軽作業・短時間見回りから警備復帰を開始。右腕の再負傷を避けるため、当面は単独対応および前線対応を控える。本人の悔恨と責任感を踏まえ、焦らず警備に戻れるよう支援を継続する。
工学開発・資材管理:1日2000リットルの制限下で、ルシェルド治療時の高濃度浄化液の流出ロスを確認。使用量を抑えながら傷口へ広く薄く届けるため、ガルドへ霧状散布具の設計を依頼する。
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