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魔物は討伐しません、診察します〜転生獣医のもふもふサファリパーク開拓記〜  作者: あおにし
第3部 魔王軍接触

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第65話 小さな群れに迫る足音があります

いつも応援ありがとうございます!お楽しみください!

診療棟の隔離ケージ区画。


早朝の柔らかな光が差し込む中、俺は隔離ケージを覗き込んだ。リコ、ノクシア、そしてオルフェンも心配そうに見守っている。


隔離ケージの奥では、昨夜から使い始めた夜間標識灯の仄かな青い光に見守られ、ウィンドウルフの親子が身を寄せ合っていた。


昨日まで震えていた体からは、冷えによるこわばりが抜けていた。


乾いた藁は、昨夜よりも厚く敷き足されていた。その上に置いた毛布の中で、二匹の子狼は母狼の腹に鼻先を押しつけ、「きゅう、きゅう」と小さく鳴いている。


母狼はまだこちらを鋭い目で見つめているが、前夜のように牙を剥いて激しく唸ることはない。


松明を近づけず、標識灯の刺激の少ない光にしたおかげで、夜間にパニックを起こすこともなく、静かに朝を迎えることができた。


「呼吸も体の震えも、昨夜よりずっと落ち着いています。松明を使わなかったのは正解でした。揺れる光がないだけで、警戒がここまで下がるのですね」


ノクシアは青い標識灯と眠る親子を交互に見た。


「……こういう使い方も、あるんですね」


ノクシアは小さく息を吐いた。


「母狼の警戒疲労は、ひとまず山を越えたと見てよいでしょう。幼獣も保温は足りています。……次は、人や他の魔物の気配に少しずつ慣らす段階です」


オルフェンが俺に向かって言った。


「……無事に一晩、越えられました。オルフェンさん、ノクシアさん、ありがとう。あの子たちの命を繋ぐ仕組みが、確かに機能してくれました」


「でも……」


「ワタル? 何かあるのか?」


リコが尋ねた。


「カルテにも、呼び分けが必要だな。母狼をシルバ。子狼は……モコとココにしよう」


「相変わらずのネーミングセンスなのだ。しかもどっちがモコでどっちがココよ」


リコは呆れたように耳を動かした。ノクシアが口元を押さえ、オルフェンも小さく肩を揺らした。


「右耳の先が白い方がモコ。両耳が銀色の方がココだな」


俺は胸を張って言った。リコはため息をついた。


「ワタル先生、今後母子の治療はどのように行う予定ですか?」


オルフェンは俺に質問した。


俺は『絶対診察眼』を起動した。診療棟の清浄な空気に包まれていたおかげで母子ともに瘴気の影響はほとんどなくなっていた。


「もともと瘴気の影響が弱かったですから、一晩ゆっくりしたおかげで問題ないレベルになっています。なので治療というより、リハビリを進めていきたいと思います」


「そうですか。そうしたら、復帰のためにコロの力を借りましょうか」


「なるほど。シルバの警戒心を解くために、同族のコロとのコミュニケーションを図れるといいですね。そうしましょう」


「とはいえ、いきなり対面させるのも問題があるので、まずは『匂い合わせ』から行います」


オルフェンの言葉を聞き、ノクシアがドッグランに向かった。そして、コロが使っていた敷き藁や、コロの匂いがしっかりと染み付いた古い毛布を持って戻ってきた。


「まずは、これらを近くに置くことにします。ワタル先生、よろしいですか?」


ノクシアが俺に聞いた。


「お願いします」


ノクシアはゆっくりと隔離ケージに近づき、敷き藁と毛布をケージの格子越しにそっと置いた。


シルバはぴくりと耳を立てて身構えた。


「大丈夫。警戒をしているだけなのだ。拒否しているわけではない」


リコが観察して言った。


シルバはしばらく藁と毛布を見つめていた。そして、おずおずと毛布に近づき、鼻先を付けて「ふん、ふん」と慎重に匂いを嗅ぎ始めた。


それは、同じウィンドウルフの匂いだった。けれど、血の匂いも、飢えの酸っぱい匂いも、追われ続けた獣のこわばった匂いもない。乾いた藁と、人の手で干された毛布と、満腹の眠りの匂いがした。


「みて、ワタル。シルバの肩が少し緩んだのだ」


リコがシルバを指さした。シルバは穏やかな匂いを嗅ぎ終えて、少しリラックスしていた。


「『匂い合わせ』はうまくいきました。これであれば、コロとの対面も問題なさそうですね。ワタル先生、コロを呼んでくるのはどうでしょうか?」


オルフェンが提案した。


「オルフェンさんの見立て通りで問題ありません。コロと対面させましょう」


俺が了承すると、ノクシアはドッグランに戻り、コロを連れてきた。


「くーん」


コロは俺を見て、いつもと同じように甘い声を出した。しかし、同族の匂いに気づき、隔離ケージをじっと見つめた。


コロはゆっくりとした足取りで、ケージの柵へ近づいた。そして、柵の二メートルほど手前で、静かにその場へぺたりと伏せた。


(相手に敵意がないと伝える、犬科の落ち着かせる姿勢だ。鼻先を低くし、体を小さく見せることで、争うつもりはないと示している。コロは、自分が先に救われた場所の空気を、あの親子に伝えようとしているのかもしれない)


コロの穏やかな姿勢と、漂う匂いが、シルバの頑なな心を溶かしていく。シルバは深く溜め息を吐き出すようにして、モコとココを庇うように強張らせていた前肢を、ゆっくりと緩めてその場に横たわった。


「すごい。シルバがあんなに落ち着いている」


リコが感嘆の声を上げた。


「これなら、いずれドッグランで短時間の慣らしも考えられそうですね」


オルフェンが安堵した声で言った。


しかし、次の瞬間。シルバが弾かれたように耳をピンと立て、全身の毛を逆立たせた。


せっかく温まった毛布を蹴散らすようにして、荒々しくモコとココを自分の大きなお腹の下へと必死に押し込む。


コロも立ち上がり、全身の毛を逆立たせている。


隔離ケージのトゲマルも全身のとげを震わせた。


「なんだ。突然……。何があった……」


俺が呟くと、リコが窓の外を見て言った。


「みんなすごいおびえてる。……でも、今度は私たちを怖がってるんじゃない。森の、もっと奥の方から、すごく嫌な、血の匂いがする。あと……叩かれて、怯えた魔物の匂い。森の奥から来てる!」


「……ただの野生動物の動きではありません。魔力の波が不自然に歪んでいます。何かが起きています」


ノクシアの声が低くなった。警戒心があふれている。


「ただごとじゃないな。……ノクシアさん、外へ出て状況を確認しましょう。サラを呼んできてください」


「はい」


ノクシアは急ぎ足で診療棟を出ていった。


「リコとオルフェンさんは、もふもふたちを診療棟の奥へ避難させてください。急いで」


リコとオルフェンもドッグランに急いだ。


***


「こっちです。魔力が歪んでいます」


ノクシアの案内に従って、俺とサラもノクシアの後に続いた。


外の広場を抜けて北東側の防護柵の手前まで走り出たとき、俺たちの耳に、静まり返った森の奥から、空気を切り裂くような異質な音が響き渡った。


――パァン!


それは、乾いた、しかし重く冷酷な、獣を暴力で支配するための鞭の音だった。その異様な音が響くたび、森の奥からはおびえた小型魔物たちの悲鳴のような鳴き声がザワザワと近づいてくる。


「……あの音、まさか……」


ノクシアが呟いた。


「ノクシアさん、心当たりがあるのですか」


「ええ。……魔王軍の、魔物遣いの鞭の音。間違いありません。魔物を暴力と恐怖で屈服させ、手駒として走らせているのです」


ノクシアは低い声で話した。


ただの密猟者ではない。魔王軍の影が、保護区のすぐ目の前まで来ていた。


サラが不意に息を呑み、北側外縁の柵の向こう、薄暗い木陰のさらに奥を指差した。


「見えました! 木立の影を、ものすごいスピードで並走している、二つの黒い影です!」


それは、首に鋭いトゲのついた鉄首輪をはめられ、瘴気で目を真っ赤に血走らせた二匹の影豹(シャドウパンサー)だった。


「あの二匹のシャドウパンサーを走らせて、この保護区の外縁を威嚇し、こちらの出方を探っています」


ノクシアがシャドウパンサーを見つめながら言った。


しかし、シャドウパンサーは、白く澄んだ空気の境界線の手前でピタリと足を止めた。


二匹は苦痛と恐怖に満ちた声で唸りながら、赤く血走った目でこちらを睨みつける。だが、そこから前には出てこない。


首輪から伸びる黒い瘴気が、白く澄んだ空気に触れる。そのたびに、じゅっ、と細い煙が上がった。


シャドウパンサーたちは前へ出ようとして爪を立てるが、首輪に引き戻されるように喉をのけぞらせ、苦しげに唸る。清浄な境界が、彼らを拒んでいた。


とはいえ、こちらにいるのは俺とノクシアとサラだけだ。レオンは右腕のリハビリで診療棟から動かせない。この3人で柵の外へ出れば、相手にこちらの薄さを見せるだけになる。


「ノクシアさん。サラ。外周の柵の警戒を。……今はレオン君がいない。ここで俺たちが無茶をして外に動けば、それこそ敵の思うツボだ。今は絶対に深追いせず、まずここにいる子たちの安心を、何としても守り抜こう」


俺の言葉を聞き、サラの瞳に強い誇りと覚悟が宿った。


「はい。ワタル先生。……兄の代わりにはなれません。でも、私に見えるものは、見落としません」


俺たちとシャドウパンサーの防護柵を挟んでのにらみ合いが続いた。


***


保護区の清浄な空気が届かない、澱んだ黒い霧が立ち込める森の奥深く。


木々がねじ切られた暗がりの斜面に、黒い革のロングコートを纏い、鈍く光る黒革の鞭を手にした男――魔物遣いドレイグが静かに立っていた。


ドレイグは、目の前に広がる、ルミナ村魔物保護区の白く澄んだ空気の境界線を、下卑た薄笑いを浮かべながら見下ろしている。


「なるほど。ここから先が、獣王ガウル様の言っていた、あの忌々しい『白い欠落』か」


ドレイグは手元で鞭の柄をコツンと鳴らし、連れてきたシャドウパンサーが進まないことにいら立ちを見せた。


「止まるな。そこは、ただの空気だろうが」


ドレイグは鞭の柄を握り直した。


「獣には、痛みで教えるのが一番早い」


ドレイグの冷酷な笑い声が、黒い森の奥へと吸い込まれていった。


【施設管理カルテ】

患者経過(ウィンドウルフ母子):母狼シルバ1頭、幼獣モコおよびココの2頭。夜間標識灯による低刺激環境と、厚手毛布・乾藁による保温管理により、夜間パニックなし。一晩を無事に越える。コロを交えた匂い合わせおよび柵越し対面を実施し、母狼の警戒緩和を確認。

患者経過(トゲマル):棘毛テン(スパイクマーテン)……接触過敏は緩和傾向。創部洗浄および鎮静軟膏塗布による炎症管理を継続。

設備開発:ノクシアの微弱雷魔法を用いた蓄魔瓶への安定入力負荷試験を継続。夜間標識灯については、隔離ケージ周辺および巡回導線で試験運用中。

安全・開拓管理:北方外縁の立入制限区域付近で、人為的な鞭音、および首輪付きシャドウパンサー2頭の威嚇行動を確認。ノクシアの証言により、魔王軍魔物遣いによる偵察・威嚇行動と判断。レオン療養中につき、外周監視を強化し、無断追跡を禁止する。

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