第56話 白い欠落には、家族が来ます
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早朝。森の奥から鳥の鳴き声が聞こえた。
俺たちはガルド特製の「息守りマスク」を装着し、ルシェルド療養地へ続く森の除染を進めていた。
レオン、マルタ、トーマが藪を払い、俺とリコ、エーリスが浄化排水を撒く。仕上げはプルとプルツーだ。
セリアは水筒と汗拭き布を管理し、休憩時間と作業記録をつけてくれている。
しばらく全員で除染作業を進めた後、俺とリコ、エーリスはルシェルドのもとへ向かうことにした。
「ワタル先生。俺が樽を運びますよ」
レオンが申し出たが、俺は首を横に振った。
「今は、除染を優先したい。山道と違い、ルシェルドの療養地は近いから、俺の方で何とか運ぶよ。レオン君は引き続き、除染作業を続けて」
「わかりました」
俺は、高濃度浄化液の樽を積んだ荷車を押してルシェルド療養地に向かった。
***
「今日の治療を始める。いいか?」
ルシェルドは無言のまま、左翼根部の傷口をこちらへ向けた。
俺はひしゃくで高濃度浄化液をかけ、赤黒く残る瘴気を洗い流していく。ルシェルドは何も言わなかった。ただ、冷たい液が傷口に触れるたび、わずかに目を細める。
『絶対診察眼』で確認すると、瘴気はまだ残っていた。明日以降も洗浄は必要だ。
最後にエーリスが『組織安定化』を施し、逃げ口を残して創部を固定する。
「今日はここまでだ。また明日来る」
ルシェルドは大きく身震いし、静かに翼を畳んだ。
***
俺たちは作業を終えて、昼食をとるために食堂に来た。今日はセリアも現場で作業をしていたので、ダリオが一人で昼食の準備をしていた。
農園で採れた野菜料理を囲むと、疲れていたはずの皆の口数も自然と増えた。
食事を終えて食堂を出ると、ノクシアが立っていた。その後ろには老夫婦がいる。
ノクシアは俺を見て頭を下げた。
「ワタル先生。相談があるんです。保護区に関することなので、運営に携わる方にも一緒に聞いてもらいたいのですが」
「わかりました。リコとエーリスにも一緒に聞いてもらいます。こちらへどうぞ」
俺は新棟のダイニングに3人を案内した。
***
俺、リコとエーリスの向かいにノクシアら3人が座った。
「それで、ノクシアさん。どのような相談ですか?」
下を向いていたノクシアは顔を上げて俺の目を見た。
「この二人は私の両親です。父のオルフェンと母のリュシア」
ノクシアの紹介の言葉の後、二人は頭を下げた。
「じつは、私を含め、家族3人、この保護区で雇ってもらえませんか?」
俺は突然の申し出に驚いた。
「えっ? 突然……。何かあったのですか?」
ノクシアはテーブルの上で手を強く握った。
「謝らなければなりません。私は人間ではありません。夜魔族です。そして、魔王軍の観察官として、この保護区を調査していました」
ノクシアは、少しだけ息を吸った。
「瘴気が後退している原因を探り、弱点を報告する。それが私の任務でした。でも、ここで魔物が治療され、リハビリを受け、安心して眠っている姿を見ているうちに、私は壊す側ではなく、守る側に立ちたいと思うようになりました」
俺はノクシアを見た。鼻の頭が少し汗ばんでいる。緊張しているようだ。
「魔王軍は抜けてきました。そうすれば両親にも危険が及びます。だから一緒に連れてきました。父は元統括観察官で、魔物の生態に詳しい。母は薬草研究家です。私たち3人を、この保護区で働かせてください」
リコがノクシアに問いかけた。
「でも、魔王軍の観察官として、ノクシアさんはこの保護区を調査して、報告したんでしょ。そうすると、魔王軍にこの施設が襲われたりするんじゃないの?」
「いえ、信じてくれとは言えませんが、魔王軍への報告ではこの施設には何も危険がない。ただし、近くに氷泉竜が住みこんだため、魔王軍の障壁になる恐れがあると報告しています。ですから、この保護区が魔王軍の標的になることはないと思います。断言はできませんが……」
リコはノクシアが話す姿をじっと見ていた。
「この保護区に調査に入って驚きました。魔物の治療を行う。それだけでなくリハビリも行い、安心して過ごせる世界を作っています。私はこのようなところで魔物と共に働きたいと心から思ったのです」
リコはノクシアの左右に座るオルフェンとリュシアの顔をじっと見た。そして再度ノクシアを見つめて言った。
「ワタル。この人たちからは嘘の匂いがしないのだ。誠実に話している。信じていいと思う」
リコの言葉を聞き、エーリスも言った。
「リコさんの言う通りですわ。わたくしもこの人たちを信頼します。また、これまでノクシアさんから納めてもらった薬草は本当に質の良い物でした。今後、あの薬草が常に使えるなら、治療の幅が広がりますわ」
俺は二人がノクシア一家を受け入れる姿勢を示してくれたことに安堵した。
「ノクシアさん」
「はい?」
「過去が関係ないとは言いません。みんなが不安に思うのも当然です」
ノクシアは下を向き、自分の手を見つめた。
「でも、今ここで魔物のために働きたいと言っている人を、俺は追い返したくありません。まずは試用期間という形で、一緒に働いてもらえますか」
「いいのですか?」
ノクシアは俺に確認した。俺の言葉に驚いたのか、オルフェンとリュシアは固まっていた。
「はい。まずはそれぞれの専門分野を見せてもらいます」
「ありがとうございます」
ノクシアが頭を下げた。娘の行動を見て、オルフェンとリュシアも一緒に頭を下げた。
「では、従業員の世帯用の住居が空いているので、今日からそちらに住んでください。それほど大きくはないですが、不便はないと思います。また、今晩、食堂であなたたちを仲間として迎え入れたことをみんなに伝え、歓迎会を行いたいと思っています。ですので、夜になったら食堂に集合してください」
「本当に何から何までありがとうございます」
リュシアは感謝の言葉を述べた。オルフェンも再度深々と頭を下げた。ノクシアたちはリコの案内で従業員寮に向かった。
***
夜。食堂に従業員や通いの職人たちが集まった。
「皆さんに報告があります。今日から新しい仲間が増えました。ノクシアさんと父親のオルフェンさん、母親のリュシアさんです」
俺の横で3人は頭を下げた。
「ノクシアさんはルミナ村にしばらく滞在していたから、知っている人も多いと思います。ノクシアさんから、皆に直接話してもらいます」
ノクシアは一歩前に出て、深く頭を下げた。
「私は、これまで魔王軍の観察官として、この保護区を調査していました。ですが、この保護区で働くために魔王軍を抜けてきました」
ノクシアの言葉を聞き、テーブルが大きくざわついた。不安そうな目をしている者もいる。
そんな中、レオンが口を開いた。
「ノクシアさんとはこれまでもやり取りをしていて、その人柄もわかっているつもりでした。でも、魔王軍だったと聞いて、正直困惑しています。本当に信じてよいものかどうか?」
その言葉を聞き、さらにテーブルに不安感が満ちていった。ざわつきがしばらく続いた。
そのざわつきを断ち切るようにセリアが言った。
「ねえ、レオン。不安に思う気持ちは分かるよ」
セリアは湯気の立つ皿を置き、静かに言った。
「でもさ、ここは食堂。食堂は、誰が隣に座っても嫌な顔をしない練習をする場所でもあるんだよ」
その言葉に、以前この食堂で働くことを決めた時の彼女の声が重なった。
「ワタル先生たちが話を聞き、この方々を迎えると決めたのなら、まずは同じ皿の前に座る。それがこの食堂のルールだよ」
レオンはその言葉を聞き、はっとした。
「すみません。守りたいと思って、疑うことばかり考えていました。ワタル先生たちが話を聞いて、仲間にすると決めたんです。俺も、ノクシアさんたちを信じます」
レオンは頭を下げた。その言葉を聞き、ノクシアが安心したように肩を落とした。
「皆さんが不安に思う気持ちもわかります。私から信じてくださいとは言えません。でも、私たちも皆さんと同じようにこの保護区をもっとよくしたい、魔物にももっと手をかけてあげたいと思っています。ですから、いろいろ教えてください。よろしくお願いします」
どこからともなく拍手が鳴った。そして、食堂は拍手の音に包まれた。俺はその光景を見て、本当に嬉しくなった。この食堂が、ただ食べる場所ではなくなっていることを実感したからだ。
「では、賛同をいただきましたので、ノクシアさんたちの歓迎会にしたいと思います。今日もダリオさんの美味しい料理がありますので、皆さん、食事を楽しんでください」
宴はしばらく続いた。この日は食堂の明かりも遅い時間まで灯っていた。
【施設管理カルテ】
患者経過:氷泉竜ルシェルド……高濃度浄化液原液による継続洗浄を実施。処置中の疼痛反応は軽減。洗浄時に眼瞼を細めるなど安静反応を確認。
環境管理:療養地周辺の深部除染を継続。全員「息守りマスク」を着用し、処置動線の清浄化を進める。
人員配置:ノクシア、オルフェン、リュシアの三名を試用採用。従業員寮世帯用区画への入居を許可。
特記事項:元魔王軍関係者の受け入れに伴い、職員間に不安を確認。食堂での共同食事を通じ、相互理解を進める。セリアの管理下で、同席時のマナーと秩序を徹底する。
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