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魔物は討伐しません、診察します〜転生獣医のもふもふサファリパーク開拓記〜  作者: あおにし
第2部 夜魔族ノクシア

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第51話 竜の咆哮は、威嚇ではありません

いつも応援ありがとうございます!お楽しみください!

朝一番、魔物診察区画では、サンダーラビットのライの治療が始まった。


「よし、準備はいいですか?」


俺の声に、横に立つエーリスが凛とした表情で頷き、杖をかざした。


「はい。いつでも……『魔力鎮静』」


柔らかな光がライを包み込み、神経を焼き焦がさんばかりに高ぶっていた魔力がなだめられていく。


俺はシリンジに満たした清浄水を、ライの鼻腔の奥へと慎重に流し込んだ。粘膜にへばりついていた黒い瘴気の影が押し流され、石床の排水溝へと消えていく。この鼻腔洗浄こそが、ライの感覚過敏を抑えるための不可欠な医療行為だ。


洗浄の刺激に反応し、ライの毛先からバチバチと火花が散る。


ガルドが手際よく蓄魔瓶の端子を接触させ、治療の副産物であるエネルギーを瓶の中へと安全に誘導していく。


だがその時、ライの長い耳がぴんと北を向いた。


次の瞬間、作業台に置かれた蓄魔瓶が、ライの放電とは異なる波長に共鳴するように激しく青白く明滅した。


「ライ?」


ライは俺の声に反応せず、北の空を凝視して激しく震え続けている。以前、森の奥から届いた『見えない患者の悲鳴』に反応した時と同じ兆候だった。


***


その後はリコ、レオンと共に、全員が息守りマスクを着け、森林境界の除染作業に向かった。


井戸から新たに汲み上げる水は増やせない。それでも、生活や治療で生じた『浄化排水』は別だった。


捨てれば排水でしかないが、瘴気に侵された土へ撒けば、貴重な再生資源になる。

俺たちはその一滴まで記録しながら、これまで通りのペースで一歩ずつ、瘴気の森を切り拓いていった。


除染作業が一段落した頃、モルガナの甥である門番のキャスパーが、肩で息をしながら駆け込んできた。


「ワタル! 叔母さんが至急来てくれって言ってる! 城下町レグナへ続く主要な山道に、ドラゴンが出て暴れてるんだ!」


***


ギルドへ向かうと、モルガナがかつてないほど厳しい表情で俺たちを待っていた。


「レグナへ向かう荷馬車が戻ってきた。山道が塞がれている。薬草も、鉄材も、塩も、このままじゃ入ってこない」


モルガナはため息をついた。


「ドラゴンが暴れてる……。あんな化け物、例え全盛期のあたしが万全の状態で挑んだとしても、逆立ちしたって勝てやしない」


かつて『閃光』と呼ばれた元高ランク冒険者は、苦く笑って続けた。


「あれは、人間が剣でどうにかできる次元の生き物じゃない。討伐なんて、最初から考えちゃいない。だからワタル、お前に頼みたい。あれが本当に暴れているのか、理由があるのか……それだけを診てきてほしいんだ」


そこへ、薬草師を装ったノクシアが現れた。


「その山道が通れないと、希少な薬草の仕入れに支障が出ます。私も同行させてください」


「わかりました。お願いします」


俺は頷き、リコ、そして往診バッグに入り込んだプルツーと共に山道へと向かった。


***


俺たちは息守りマスクを装着し、瘴気の森へと踏み入った。


「……このマスク、肺を焼くはずの瘴気が実用上ほとんど遮断されていますね」


ノクシアが感心したように呟く。だがその瞳には、なぜか戦慄が宿っているように見えた。


風向きをリコが読み、プルツーがバッグの中で周囲の瘴気を吸う。


しばらく進むと、俺たちは不自然に沈黙した湖のほとりに出た。


「以前は、この湖の周りには夜光花が咲き乱れていました。……今は、見る影もありませんが」


ノクシアの言葉通り、湖畔の植生は全滅し、水面は黒ずんでいる。


俺は『絶対診察眼』を起動した。


【水質:重度瘴気汚染/酸性】

【周辺植生:全滅】


診察眼が示した結果は、非情だった。


(今のこの水では、何一つ救えない……)


俺は医療者としてその深刻な汚染事実を記録に留め、さらに山のふもとへと足を早めた。


***


そこで俺たちは、ついにその巨体を捉えた。


岩壁を叩き、凄まじい咆哮を上げる巨大なドラゴン。その姿を見た瞬間、ノクシアが緊張を含んだ声で告げる。


「……あれは、おそらく氷泉竜(ひょうせんりゅう)です。山の地下水脈と冷たい泉を守る竜種。本来は人里に降りるような個体ではありません」


その直後、ドラゴンが再び咆哮を上げた。


「あれは、威嚇じゃない。痛みだ」


以前保護区で聞いた、あの見えない患者の声だ。かつて聞いた『疼痛反応』との一致を確信し、俺は「水脈の守護者」である巨大な患者を見据えた。


***


私は、ワタルの半歩後ろで魔導書を開き、音もなく筆を走らせていた。


彼は今、全盛期の高ランク冒険者すら「勝てない」と断じた竜種に対し、戦いではなく『診断』の眼を向けている。


『監察記録:第249号(暫定保管資料)』

【戦略的分析】

対象施設の構成員が常用する「息守りマスク」の有効性を再確認。高濃度汚染地帯における人間の長時間活動および精密作業を可能にしており、魔王軍の支配論理に対する重大な対抗技術である。

対象管理者はドラゴンの暴走を「攻撃」ではなく「疼痛反応」と推定。

竜種確認:北方山道にて、氷泉竜と思われる大型個体を確認。氷泉竜は水脈守護種であり、魔王軍の瘴気侵食計画において最優先で無力化すべき存在の一つである。

【戦略的懸念】

周辺湖の重度汚染は、水脈を通じた広域侵食と一致する所見を示す。本来、この侵食により水脈守護種は弱体化、または排除されるはずであった。だが、対象管理者がこの竜種を「治療」し、環境の浄化に成功した場合、近隣領域の瘴気支配が根底から覆される危険性がある。

【現状判断】

薬草師としての同行を継続。管理者が「診断」の先にどのような介入を行うかを最優先で記録する。彼が救おうとしているものが、魔王軍の瘴気支配の前提を崩しかねないことに、深い戦慄を禁じ得ない。


私は魔導書を閉じ、前を行く深緑の背中を見つめた。


彼が救おうとしているのは、ただの魔物ではない。この大陸の瘴気支配の理そのものを、彼は無自覚に書き換えようとしている。

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