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魔物は討伐しません、診察します〜転生獣医のもふもふサファリパーク開拓記〜  作者: あおにし
第2部 夜魔族ノクシア

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第50話 井戸の水は、無限ではありません

いつも応援ありがとうございます!お楽しみください!

朝の回診を終えた俺は、一階の事務室でレオンを呼び止めた。


彼が「見習い」としてこの保護区へ来てから、約束の一か月が過ぎようとしている。


「レオン君。今日で試用期間は終了だ。この一か月、水運びや清掃、そして夜間のパトロール……本当に助かったよ」


俺がそう切り出すと、隣で帳簿をつけていたリコが顔を上げた。仕立て屋ミリアが作った若草色の診療服が、今ではすっかり彼女に馴染んでいる。


「正直、最初はいつ逃げ出すかと思ってた。でも、あなたは一度も弱音を吐かずに、ドッグランの糞拾いまで完璧にこなしてくれたのだ」


リコは厳しい表情を崩さないまま、机の上に一通の書面を置いた。


「これは、正式な雇用契約書。少ないけれど、今日からは給金も出す。……レオン。改めて、私たちの仲間としてここで働いてくれる?」


レオンは目を見開き、震える手でその書面を受け取った。かつて冒険者ギルドで「焦ることしかできない」と切り捨てられた青年の瞳に、熱いものが込み上げる。


「……ありがとうございます。俺、剣を振ること以外で誰かを守れるなんて、思ってもみなかった。……ワタル先生、リコさん。俺、この場所を、みんなを命がけで守ります!」


「命がけ、は最後の手段だよ。まずは、命をかけなくて済むように見回る。それがここの警備だ」


俺がそう言うと、レオンは一瞬きょとんとして、それから真面目な顔で頷いた。


「……はい。守るために、無茶をしない。覚えておきます」


レオンは深く頭を下げ、その声には「守り手」としての新しい誇りが宿っていた。


***


翌日の午前、村長ゴランがアルノと共に公式視察に訪れた。


彼が以前貸し出した「古い家畜小屋」は、今や石工棟梁ロッカの手により、強固な新棟と従業員寮、そして活気ある「仮設の職員食堂」を備え、人が働き、暮らし、食卓を囲む場所へと変貌を遂げている。


「ワタル先生……。正直、あのみすぼらしい小屋が、これほど人が集まる場所になるとは夢にも思わなかったぞ」


ドッグランで穏やかに過ごすコロ、リーフ、ハニーを見つめ、ゴランは村の責任者として感慨深げにこぼした。


「だが、施設を増やすならその都度事前に報告せよ。ここはもう、村の秩序に関わる規模なのだからな」


しかし、視察の最後に井戸の前で立ち止まったゴランの表情は、一転して厳しいものとなった。


「……だが、水は別じゃ。先生のところの井戸だけの話ではない。同じ地下水脈を村も使っておる」


「村の井戸の水位が以前よりも目に見えて低下しています」


アルノが記録板を見ながら言った。ゴランは、大きく頷いた。


「常に寝泊まりする者だけでも以前とは比べものにならん。職人や弟子、さらにはこの広大な農地だ。これ以上の取水増加は、村の生活を壊すことになる。……先生、村の命綱を犠牲にしてまでの拡大は困る」


それは、保護区の成長に初めて突きつけられた、明確な上限だった。


***


その日の夕食。


ダリオとセリアが腕を振るった、マルタの農園で採れた野菜を使ったラタトゥイユがテーブルを彩っていた。


本採用となったレオン、常駐を始めたエーリス、食事に顔を出したガルド……。職員と、通いで支える者を含め、10人が食卓に顔を揃えていた。


俺がゴランの通告を共有すると、空気は一気に冷え込んだ。


「清浄水が不足すれば、傷口の洗浄も魔法の定着も不完全になります。水がないと、適切な治療が続けられませんわ」


エーリスが蒼白な顔で訴えれば、隣でガルドが低い声で続けた。


「今やってるライの治療にとっても、水は欠かせねえんだ。放電端子の冷却や蓄魔瓶の安定に清浄水がなけりゃ、あいつの神経をなだめることもできなくなる」


「人が増えて、保護区を本格的に回すようになってから、洗濯物が膨大になっている。衛生面を考えれば、これ以上水を減らすのは不可能よ」


リコが帳簿を握りしめ、マルタも力なく首を振った。


「水がなけりゃ、村を支える農園の夢も、これ以上は広げられないねえ……」


「外周の巡回範囲も、これ以上は広げない方がいいかもしれません。水場が増やせないなら、夜間に人を置ける場所も限られます」


レオンが、まだ少し緊張した声で言った。


俺は、静かに自分の手のひらを見つめた。


(『絶対診察眼』は原因を見つけてくれる。……けれど、水を湧かせてはくれないんだ)


自分の能力の限界と、インフラという分厚い現実の壁。その重苦しい会話が、仮設食堂の薄い壁を隔てた窓の外まで漏れていた。


【施設管理カルテ】

人的管理:レオン(警備・環境管理担当)の見習い期間終了に伴い、正式採用。給排水・清掃・夜間パトロール等の環境維持業務を主務とする。

視察対応:村長ゴランによる保護区視察を実施。ドッグラン、新棟、従業員寮、農園、仮設職員食堂の稼働状況を確認。今後の施設拡張および人員増加については、行政への事前報告を義務化される。

環境・資源管理:森林境界の浄化効果を継続確認。一方で、村内井戸の水量低下について報告あり。

水資源管理:現行の井戸依存のまま取水量を増加させた場合、村の生活用水を圧迫する可能性が高い。以後、取水量の増加を停止し、節水運用および新規水源の検討を開始する。

運営会議:職員食堂にて初の全体会議を実施。「洗濯(衛生管理)」「治療(洗浄・冷却)」「農業(生産)」の各分野において水使用量が現行設備の上限に近づいていることを共有し、石造り食堂棟の本建築および農地増設を一時凍結する。

特記事項:診察眼による診断だけでは解決できないインフラの壁を確認。保護区の継続運営のため、水源確保を引き続き検討する。


***


食堂の外、深い樹木の影に身を沈めたノクシアは、魔導書を開いたまま静止していた。


彼女はこの深刻な会議の一部始終を傍聴していた。


村内井戸との共有水脈は、地域住民との資源競合を招いており、これが対象拠点の巨大化を抑制する天然の障壁となっている。


ノクシアのペンが、その後に続くべき一文――「水源の遮断または取水制限は、対象拠点を停止させる極めて有効な手段である」という言葉を綴ろうとして、止まった。


脳裏をよぎったのは、先ほどまで聞こえていた、スタッフたちの切実な声。そして、本採用を喜んでいたレオンの真っ直ぐな瞳だった。


ノクシアは微かに唇を噛んだ。彼女は「観察継続」とだけ記載し、その決定的な弱点の一文だけは、魔導書に記さなかった。


【監察記録:第248号(暫定保管資料)】

戦略的分析:資源的脆弱性

対象施設は、農業・兵站・医療機能を急速に拡張させてきたが、基礎資源である水供給能力において物理的な上限に達したことを確認。

村内井戸および周辺水脈への依存は、地域住民との資源競合を招いており、対象拠点のさらなる巨大化を抑制する天然の障壁となっている。

現状判断:本情報は対象拠点の運用限界を示す重要情報である。……ただし、現時点では観察継続を優先する。

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