第44話 夜の静寂はもふもふに揺れます
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朝日が試験農園の緑を鮮やかに照らす。俺はそれを横目で見ながらルミナ村に向かった。村長ゴランの屋敷に行き、試験農園について報告をしなければならない。
「村長。試験農園の芽が順調に土へ馴染んでいます。マルタさんの所見でも、根付きは良好とのことです」
俺の報告に、ゴランは難しそうな顔で腕を組んだ。
「……ふむ。根付いたからといって、すぐに本格稼働とはいかんぞ。収穫までは何が起きるか分からんからな。村の畑の代わりと認めるにはまだ早い」
行政責任者らしい慎重な言葉。だが、ゴランは続けて、俺を信頼するように頷いた。
「だが、予備の食糧庫として育てることは認めよう。水の使用量と排水管理の記録を欠かさぬことが条件だ。……根付きが良いなら、追加の作付け区画を作ることも許可する」
「ありがとうございます。責任を持って管理します」
***
保護区に戻ると、俺はドッグランの生け垣の横で、コロ、リーフ、ハニーを並ばせた。
今日は彼らにとって、そしてこの保護区にとって、大きな節目となる日だ。
「よし、みんな良い子だ。検診の結果、急性期の治療、および主要なリハビリテーションを本日で終了とする」
俺がカルテに『住民登録』と記すと、ウィンドウルフのコロが、まるで言葉を理解したように、ちぎれんばかりに尻尾を振って俺の足元を走り回った。
フォレストキャットのリーフは、艶やかな緑の毛並みを日向に見せつけながら、満足げに喉を鳴らす。
ハニーベアのハニーも、澄んだ呼吸で穏やかに鼻を鳴らした。
リコが、彼らの頭を一つずつ撫でながら、目を細めた。
「これからはもう、患者さんじゃなくて、家族ね」
かつての「狂暴な魔物」たちは、今や保護区の日常を作る大切な住民となっていた。
***
その日の午後は、石工棟梁のロッカと新しい建物の打ち合わせを行った。
ガルドの工房兼住居が立ち上がり、保護区の「職人街」が形を成しつつある。
「ところでワタル。あのレオンって坊主、いつまで病室に寝泊まりさせる気だい?」
ロッカが、新棟を見上げながら尋ねた。
「働く側になっても、入院の時と同じ部屋じゃ、気も休まらないだろ。そろそろ従業員用の寮が必要なんじゃないか?」
「そうですね……。見習いや職人が増えていくなら、プライバシーも守れる場所がいります」
ロッカと相談し、将来的な従業員棟の建設を計画に加えることにした。
***
夜。新棟のダイニングには、リコが用意した温かい食卓があった。
俺とリコ、エーリス、そして見習いのレオンが顔を揃える。
「野菜がまだ備蓄品ばかりだから、バリエーションが出ない。申し訳ないのだ」
リコが申し訳なさそうにスープを運ぶ。だが、エーリスは優しく微笑んだ。
「わたくし、リコさんの味付けにはいつも感謝しておりますわ。この穏やかな時間は、魔法よりも心を癒やしてくれます」
レオンも、慣れない手つきでスプーンを持ち、噛みしめるように言った。
「……俺みたいな見習いに、毎日こんな温かいご飯を食べさせてくれて、本当にありがとうございます。頑張って、この場所をしっかり守ります」
***
夕食後。月明かりに照らされた保護区の外周を、レオンが一人で歩いていた。
初めての単独夜間パトロール。彼はキャスパーに教わった通り、松明を掲げ、真面目な顔で柵を見張っている。
「……異常なし。よし、次だ」
彼がドッグランの柵の前を通りかかった、その時だった。
「……ク~ン」
闇の中から、寂しそうな高い声が聞こえた。コロだ。
柵の向こうで、コロが前足をかけ、レオンをじっと見つめている。
柵の上では、リーフが月明かりを浴びて丸くなっていた。風が吹くたび、整った毛並みがふわりと揺れる。
奥ではハニーが大きな体を横たえ、蜂蜜の夢でも見ているのか、鼻先をひくひくと動かしていた。
「あ、コロ。……ダメだぞ、夜はもう寝る時間だ」
レオンは自分に言い聞かせるように歩き出そうとしたが、コロはさらに「くぅ……ん」と切なく鼻を鳴らし、お腹を見せてコロンと転がった。
「……少しだけだぞ。本当に少しだけだ」
レオンは周囲を確認したが、夜の静寂に人の気配はない。
本当は、巡回中にドッグランの柵内へ入ってはいけない。分かっていた。分かっていたのに、彼は誘惑に負け、パトロールの足を止めて柵の中へ入ってしまった。
レオンがコロの耳の裏を掻いてやると、コロは満足げに尻尾を振り、レオンの膝に頭を預ける。
レオンの顔から焦燥が消え、温かな毛並みに顔を埋める。その時、この場所には「警備」という概念が、一時的に消失していた。
【施設管理カルテ】
人的管理:レオン(冒険者/休業中)……夜間単独パトロールを開始。住民魔物のコロとの接触により心理的安定を認める一方、巡回中の私的接触については警備手順上の課題として経過観察を継続。
従業員住居:常駐スタッフの増加に伴い、従業員用住居(寮)の新設を計画。病室の宿泊利用を解消し、勤務時間外に休息できる環境を整備する。
患者経過:コロ、リーフ、ハニー……急性期治療および主要リハビリを終了。患者個別カルテを通常観察記録へ移行し、「終生飼養個体(保護区住民)」として登録変更。日常の健康観察および環境順化へ移行。
ライ:隔離処置室にて放電管理および蓄魔試験を継続。
試験農園:根付きは良好。村長ゴランより追加作付け区画の条件付き承認を取得。水使用量および排水管理の継続記録を実施。
特記事項:治療を終えた個体が住民として定着し、保護区は診療施設から「魔物共生型保護区」としての性格を強めている。
***
その光景を、拠点の敷地外、巨大な樹木の影から見つめる瞳があった。ノクシアだ。
彼女は闇に紛れ、魔導書に静かにペンを走らせる。
「……警備兵、対象魔物による精神的懐柔を確認。巡回路に致命的な『空白』が生じていますね。今夜は情報収集に留めますが……外部勢力がこの穴を突けば、容易に侵入を許すでしょう」
ノクシアは、レオンの未熟な足音を耳に刻み込み、音もなく夜の森へと消えていった。
【監察記録:第245号(暫定保管資料)】
警備の欠陥:新人警備兵、対象魔物による精神的懐柔に屈服。巡回中に「接触・愛撫」という私的行為を優先し、定時パトロールに有意な遅延(空白)を発生させている。
管理者の無自覚:管理者は魔物との親密化を「治療成果」と捉えており、これが外部侵入者に対する「隙」となり得ることを十分に認識していない。
結論:本拠点は組織としての体裁を整えつつあるが、構成員の情緒的な行動が防衛の連鎖を断ち切っている。外部勢力が同様の空白を利用した場合、重大な被害が発生する可能性あり。潜入および情報収集の好機と判断する。
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