第43話 夜の見回りは引き継がれます
翌朝、俺とリコは清々しい朝の空気を吸い込みながら、ルミナ村の冒険者ギルドへと向かった。
背負い袋の中には、ガルドとエーリスの協力を得て増産した『息守りマスク』の交換用フィルターが詰まっている。
「おはよう、モルガナさん。今月分の納品です」
ギルドの重い扉を開けると、カウンターの奥で書類の山と格闘していたモルガナが顔を上げた。
「ああ、ワタルにリコ。精が出るねえ」
リコが手際よくフィルターの束をカウンターに並べ、帳簿を差し出す。モルガナはそれを一瞥し、報酬の入った袋をリコへ渡した。
「……やはり、利益は落ち着いてきたのだ」
リコが袋の重さを確かめて小さく呟く。初期の爆発的な需要は去り、今は保守・交換による細かな利益が主だ。
「がっかりしなさんな。儲けは少なくとも、あんたらの仕事は村の連中の『肺』を守る大事な守備要員さ。おかげで外の仕事に出られる奴が増えたんだ、感謝してるよ」
モルガナはそう言ってニヤリと笑ったが、すぐに表情を引き締めた。
「……ところで、例の罠の件だけどね」
かつてウィンドウルフのコロを傷つけた、あの無認可の罠のことだ。
「ギルドの調査員に周辺を洗わせたんだが……似たような『生け捕り用』の罠が、また村の外れで見つかったよ」
その言葉に、リコの耳がぴくりと強張った。
「普通の狩猟罠じゃない。獲物を殺さず、商品価値を残したまま弱らせて運ぶ……奴隷商人や密猟者の手口だ。悪い連中は一度獲物がいた場所にはまた来る。……リコ」
モルガナはカウンター越しにリコを真っ直ぐに見据えた。
「銀狼族は、奴らの中ではまだ値がつく。当分、外に一人で出るんじゃないよ」
リコの指先がわずかに震えた。だが、彼女はすぐに帳簿を胸に抱え直し、毅然とした声で答えた。
「……分かった。単独行動は避ける。対策として受け入れるのだ」
その対応に、モルガナは満足げに頷いた。
「そういえば」と、俺は話題を切り替えた。
「レオン君のことですが……昨日からうちの見習いとして雇い入れることにしました。まずは下働きからですが」
「あの子をかい?」
モルガナはふっと息を吐いた。
「……いい判断だよ。レオンはサラと違い、冒険者には向いていない。悪い子じゃないんだが、焦ると視野が狭くなる。剣以外の道を覚えた方が、あの子にとっても幸せだろうね」
そこへ、夜勤明けのキャスパーが欠伸を噛み殺しながらギルドに入ってきた。
「あ、ワタル。エーリス様は……いや、保護区の方は変わりないか?」
「ええ。キャスパーさん、これまでの夜間パトロール、本当にありがとうございました。おかげで新棟の完成まで無事に漕ぎ着けました」
俺が深く頭を下げると、キャスパーは得意げに胸を張った。
「いいってことよ。それも門番の――」
「ですが、」と俺は続けた。
「今夜からは見習いのレオン君に見回りを引き継いでもらうことになりました。キャスパーさんには本来の門番の仕事に戻っていただきます」
「……は?」
キャスパーの顔から余裕が消えた。
「い、いや待て! 俺はまだやれるぞ。エーリス様の安全のためにも、俺のような熟練の警備がいなければ……!」
「キャスパー」
モルガナの低い声が響いた。
「お前は村の門番だ。最近、そっちの仕事が甘くなってるって苦情が来てるよ。お前の本業はどこだい。エーリス様の顔を見に保護区へ通うことじゃないだろう?」
叔母の正論に、キャスパーはぐうの音も出ない様子で肩を落とした。
「……分かったよ。だがなワタル、素人にいきなり任せて何かあってからじゃ遅い。……今夜だけは、俺が同行してレオンに見回りのいろはを叩き込んでやる」
***
保護区へ戻ると、広場の一角に設けられた試験農園の囲いの中で、マルタとトーマが腰を屈めていた。
「マルタさん、調子はどうですか?」
「先生、見ておくれよ。最初に撒いた種が、もうこんなにしっかり根付いてる」
マルタが指差す先には、ふかふかとした茶色の土から、力強い緑の芽が顔を出していた。
「葉も増えてきた。ここの土は本当に素直だねえ。……先生、もしこれが無事に収穫までいけたら、試験じゃなく、本格的にここで農業をやらせてもらいたいね」
トーマも鍬を手に頷く。
「村の畑が駄目になっても、ここがあれば食い繋げる。希望の光ですよ、ここは」
俺は「期待しています」と答え、芽吹いたばかりの命に目を細めた。
***
そして夜。
保護区の外周には、松明を掲げたキャスパーと、緊張した面持ちのレオンの姿があった。
「いいかレオン。見回りで見るのは敵の姿だけじゃない。柵に不自然な傷はないか、地面に変な足跡はないか、灯りの揺れ方はどうか……。そして何より、大事なのは『患者』の鳴き声だ」
キャスパーが慣れた手つきで外周の柵を叩く。
「いつもと違う変化を、五感で嗅ぎ取るんだ」
「患者……」
レオンは、魔物をそう呼ぶ文化にまだ慣れない様子で小さく呟いた。
「……はい。観察ですね。やってみます」
不器用ながらも必死に教えを請うレオンの横顔を、キャスパーは少しだけ眩しそうに見つめていた。
【施設管理カルテ】
人的管理:レオン(冒険者/休業中)……夜間パトロールの実地引き継ぎを開始。キャスパーより異常観察の基礎指導を受ける。魔物を「患者」と呼称する文化に対し、心理的順化の過程にある。
人的管理:キャスパー……保護区夜間パトロールの臨時協力を終了。以後は村門番業務を主務とする。後任の教育を通じ、自らの職務意識を再確認した。
患者経過(魔物):サンダーラビット(ライ)……状態は安定傾向。反射放電に対し、ガルド製金具を用いた蓄魔機構による管理を試験運用中。
警備・安全管理:近隣にて奴隷商人・密猟者の手口による「生け捕り用罠」の再発見報告あり。
リコ:本人の合意に基づき、当面は単独外出を避ける運用とする。外出時は複数名同行を原則とする。
試験農園:新芽は順調に根付き、生育は良好。将来的な食糧・飼料自給区画としての拡張可能性を検討。
特記事項:保護区は、外部からの密猟・人身売買リスクに対する防衛体制を必要とする段階へ移行した。警備の主体が「村の協力」から「保護区の雇用者」へと移る転換点である。
***
その様子を、保護区の敷地外、深い樹木の影から見つめる瞳があった。ノクシアだ。
彼女は闇に紛れ、新しくなった警備体制を冷徹に分析していた。
「……警備が、増えている。情報の隙間が埋まりつつありますね」
これまではキャスパー一人の善意に頼っていた警備が、今は教育を伴う「組織的運用」へと移行し始めている。
ノクシアは、キャスパーの迷いのない足取りと、その隣を歩くレオンの、まだどこかおぼつかない、しかし真面目すぎるほどの足音を聞き分けた。
「今夜は……まだ、無理ですね」
彼女は魔導書にレオンの足音の特徴を刻み込むと、音もなく闇の奥へと身を引いた。彼女はまだ、その足音を「穴」とは記録しなかった。ただ、次に観察すべき変化として、静かに記憶した。




