第37話 診察は、プライドに先んじます
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その日の午前、ルミナ村の冒険者ギルドに緊張が走った。
農家のマルタが、自らの畑で「サンダーラビット」に襲われ負傷したという報せが入ったからだ。
「よりによって、めぼしい腕利きが全員出払っている時に……」
ギルドマスターのモルガナが忌々しげに呟く。
ギルド内に残っているのは、新人のレオン一人だけだった。モルガナはレオンを一瞥したが、すぐに首を振って、そこにいた甥の門番キャスパーを呼んだ。
「キャスパー! すぐにワタルを呼んできな。これは討伐じゃない、診断が必要だ」
「ギルマス、俺がいけます! マルタさんが怪我をしたんだ、俺だって村の役に立てるはずだ!」
レオンが必死に声を張り上げた。
最近、妹のサラがモルガナに「兄より筋がいい」と認められ始めたことも、彼の焦りに拍車をかけていた。
しかし、モルガナの眼光は鋭い。
「あれはただのウサギじゃない。瘴気を吸って神経が焼けたみたいに跳ね回り、近づくものを反射で撃つ厄介な相手だ。今のあんたには荷が重い。ワタルに任せる」
モルガナの言葉は、レオンのプライドを粉々に打ち砕いた。
キャスパーが保護区へ走るのを見送ったレオンは、拳を握りしめ、モルガナの制止を無視してギルドを飛び出した。
***
俺は朝の回診を行っていた。
コロもリーフもハニーも順調だ。彼らはこの施設で生活することになる。ストレスなく暮らすための施設づくりを進めなければならない。
そこへキャスパーが駆け込んできた。
「ワタル! 大変だ!」
「キャスパーさん。どうかしましたか?」
「マルタさんが畑でサンダーラビットに襲われて、けがをしたってギルドに連絡があった。叔母さんがワタルに診てほしいって言ってる」
「わかりました。急行します」
俺は診察室に戻り、往診バッグを掴んだ。そんな俺の姿を見て、窓際にいたプルツーが往診バッグに飛び込んだ。
「プルツー。お前の力を借りるぞ。プルは引き続き施設で浄化を進めてくれ」
「ぷるるっ」
プルはそう言って、少し弾んだ。
「リコ、行くぞ。マルタさんが危ない」
***
俺とリコはキャスパーの案内でマルタの畑へ急行した。
到着した現場では、夫のトーマが負傷したマルタを抱え、必死に介抱していた。右手の甲が赤く腫れ、指先が小刻みに震えている。
そしてその前方では、一人の冒険者がサンダーラビットと対峙していた。
「あれはレオン。どうして……」
キャスパーが冒険者を見て呟いた。
俺は『絶対診察眼』を起動し、遠目から魔物の状態を観察した。
「――診えた」
サンダーラビットの耳は恐怖で伏せられ、目は見開かれている。体毛は細かく震え、周囲の物音やレオンの足音に過敏に反応しては、バチバチと青白い放電を繰り返していた。自らの放電音に驚いてさらに跳ねるという「反射のループ」に陥っている。
「レオン君、下がれ! それは攻撃じゃない、感覚過敏による拒絶反応だ!」
俺の叫びも、焦燥に駆られたレオンには届かない。彼が剣を振り上げた瞬間、サンダーラビットの神経が限界を超えた。凄まじい放電がレオンを直撃し、彼は一言も発せぬまま、畑の土の上に崩れ落ちた。
「……まずい。放電が止まらない限り近づけない。キャスパーさん! 診療所の新棟で人間の診察をしているエーリスさんを呼んできてくれ!」
「わかった。任せてくれ」
キャスパーが保護区に向かって走っていった。
俺はレオンを『絶対診察眼』で確認した。
気絶しているが、命に別状はない。少し安心した。
マルタとトーマのところに行き、事情を聞いた。
「今日、畑に来たらあのサンダーラビットがいたんだよ。普段なら畑の端で草を食べてるくらいで、害を与える魔物じゃないから、放っておいて農作業をしていたんだけど……」
マルタは右手をさすりながら言った。
「最近ね、土の味が変わってきてたんだよ。酸っぱくて、舌の奥に嫌な苦みが残る。作物だけ見てりゃ、まだ誤魔化せる。でも土を舐めれば分かる。根の下に、瘴気が戻ってきてる」
マルタは腫れた右手をかばうように抱え、畑を見渡した。
「畑を捨てたいわけじゃないよ。でも、今まで通りの場所で、今まで通りに作り続けるのは……そろそろ難しいのかもねえ」
マルタが下を向いて消え入るような声でつぶやいた。
「とりあえずは、治療を優先しましょう。エーリスさんが来ますから、それまで待ってください。プルツー、この辺りの浄化を任せた」
「ぷるっ」
プルツーはレオンの周囲を円を描くように這い、土の表面に残った瘴気だけを少しずつ吸い取っていった。
***
しばらくして、人間の患者の処置を終えたエーリスが現場に駆けつけた。
「お待たせしました、ワタルさん! レオンさんは、大丈夫ですか?」
「はい、気絶していますが、命の危険はないようです」
「マルタさんは右手にけがを負ったのですね。それで、あれがサンダーラビット……」
「はい。感覚過敏による拒絶反応で放電を繰り返しています。何とか落ち着かせないと」
リコがエーリスに語りかけた。
「ずっと見ていたけど、放電する前には体毛が細かく震え、耳が大きく動くのだ。その放電直前であれば、一瞬固まるから魔法をかけやすいと思う」
「そうですね。では、タイミングをリコさん、お願いします」
「わかったのだ。……今、エーリスさん」
リコの言葉を聞いて、エーリスが『魔力鎮静』をかけた。柔らかな光がサンダーラビットを包み込む。荒れ狂っていた魔力が凪ぎ、魔物は半ば眠るように体を丸めた。
「よし、今のうちに確保する。リコ、木箱を」
サンダーラビットは小型だ。俺は導電しにくい厚手の布でその小さな体を包み、金具のない木枠の運搬箱へ収容した。これなら俺とリコだけでも運べる。
問題は、電撃を浴びて失神しているレオンだった。
「キャスパーさん、ギルドから誰か呼んで担架を持ってきてください。レオン君を安全に搬送する必要があります」
「おう。わかった」
***
俺たちは手分けをして、二人の患者を保護区へと運んだ。
魔物用隔離処置室にはサンダーラビットを、竣工したばかりの新棟にある人間用病室にはレオンを。診療所が初めて、人間と魔物を同時に受け入れた瞬間だった。
病室のベッドの上で、レオンがうっすらと目を開けた。
「……う、俺は……あのウサギ、を……」
起き上がろうとする彼を制し、俺は静かに彼の脈を取った。
「動かないでください。今は冒険者としてのプライドより、心臓と呼吸の方が大事です」
俺はそう告げてから、エーリスに頷いた。
「レオン君をお願いします。俺はサンダーラビットの処置に入ります」
人間用病室と、魔物用隔離処置室。この日、診療所は初めて、二つの病室を同時に動かした。
魔物も人間も、今はどちらも患者だった。
【施設管理カルテ:多種同時収容フェーズ】
患者経過(魔物):サンダーラビット。重度の瘴気中毒に伴う末梢神経の異常興奮および反射性放電。魔力鎮静下で隔離処置室へ収容。低刺激環境で経過観察。
患者経過(人間):レオン(冒険者)。電撃による一過性ショックおよび失神。人間用病室へ収容。バイタルチェック(心拍・呼吸)および火傷の有無を継続観察。
施設運用:診療所新棟の「人間用病室」を初稼働。魔物区画(旧家畜小屋)と人間区画(新棟)の分離運用を実地確認。
供給ライン:マルタの負傷および従来畑への瘴気再侵入により、野菜供給の一時停滞リスクを計上。
特記事項:本保護区は、討伐対象とされた魔物と、討伐に向かった人間を、同時に患者として扱うフェーズへ移行した。
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