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魔物は討伐しません、診察します〜転生獣医のもふもふサファリパーク開拓記〜  作者: あおにし
第2部 夜魔族ノクシア

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第35話 治す場所は、安らぐ場所になります

いつも応援ありがとうございます!お楽しみください!

保護区の北側では、ガルド製のマスクを装着した俺とリコが、ドッグランの拡張作業に精を出していた。


生い茂る黒い草を鎌で刈り取り、その後にバケツで浄化排水を撒いていく。


「ワタル、本当にこっちの水でいいのね? 2000リットルタンクの新しい水じゃなくて」


リコが、密閉受け槽から汲んできたバケツを指差して尋ねる。俺は頷き、その浄化排水を土に撒いた。


「ああ。この受け槽には、培養槽で作った高濃度の浄化液を定時投入している。排水といっても、今は瘴気を中和する立派な『洗浄剤』だ。給水用の清浄水を土木作業に回す余裕はないからな。……プル、プルツー。仕上げを頼むぞ」


俺が声をかけると、二匹のスライムが「ぷるるっ」「ぷるっ」と短く応え、濡れた地面の上を滑るように這い回る。


以前のように黒い土を直接「食べさせる」のではない。先に浄化済みの排水で瘴気を薄め、反応が落ちた場所だけを、最後に二匹が確かめる。それが、あの子たちに負担を背負わせないための、今の俺たちのルールだ。


二匹が通り過ぎた後の土は、明らかに瘴気の霧が晴れ、ふかふかとした本来の茶色を取り戻していく。


***


ドッグランに戻ると、柵の外に人影があった。


「ハニー、元気になったんだね!」


柵の外から、明るい声が響いた。かつてハニーベアに傷つけられた少年、テオだ。


彼は包帯の取れた腕を振り、ドッグランで巨体を揺らすハニーを眩しそうに見つめていた。その後ろでルッカ夫妻がそんなテオを微笑んで見つめている。


ハニーはかつての狂乱が嘘のように穏やかに鼻を鳴らし、テオの声に耳を傾けている。


「柵の中には入れないけれど、いつでも会いに来ていいぞ、テオ君」


「うん、ありがとう先生!」


被害者である彼が笑って名前を呼べる。その光景こそが、ここを「戻れない子の居場所」として開放した最大の成果だった。


***


そうして、草を刈り、水を撒き、柵を広げる日々が続いた。


その間にも、ロッカたちは毎日のように石を積み、ガルドは管と金具を調整し、エーリスは常駐に向けて村の治癒所との引き継ぎを進めていた。


コロは走れる距離を伸ばし、リーフは『お皿』を外して土の上で眠るようになり、ハニーは鼻腔の影が完全に消えて大地を踏みしめるようになった。


そして一か月後――。


石工棟梁ロッカの手により、ついに二階建ての診療所新棟が竣工した。


「これが私たちの、新しい部屋……」


リコが二階の居住区を見上げ、瞳を輝かせる。一階には人間用の診察室と病室が備わり、名実ともにここは保護区の心臓部となった。


常駐の日程調整を終えたエーリスが、荷物の搬入予定を書き出していると、新しい建物を見物に来ていた門番のキャスパーがすかさず前に出た。


「エーリス様、その搬入作業、この俺が責任を持ってお手伝いしましょう!  門番の筋力を見せる絶好の機会だ!」


「荷物を運ぶのか、エーリスさんの前で筋力を見せるのか、どっちなの?」


リコが呆れ顔で突っ込むと、キャスパーは「両方だ!」と堂々と胸を張った。


***


その夜。


保護区には、ロッカがこだわった「浴室」の稼働を祝う静かな熱気が満ちていた。


水はタンクから自分たちで運び、火を焚いて沸かすという手間はかかる。だが、桶を運び、火を見て、湯気を待つその手間すら、今の俺たちには生活が根を下ろしていく実感だった。


「私は火加減を見てるわ。ワタル、先に入って。この一か月、ずっとまともに休んでないでしょう」


リコの気遣いに甘え、俺はこの世界に来て初めて、湯船に身を沈めた。


温かい湯が肌を包み込み、泥だけでなく、心に張り付いていた緊張まで溶かしていく。


「……生き返るな」


窓から見える夜空の星が、湯煙越しに優しく揺れていた。


風呂から上がり、交代でリコが入浴する間、俺は夜の見回りに出た。


月明かりの下、広がったドッグランでは、コロたちが身を寄せ合い、穏やかな寝息を立てている。


かつて孤独に、あるいは暗闇の苦痛の中で牙を剥いていた彼らが、今はここを「安らぐ場所」として受け入れている。


建物に戻ると、風呂上がりのリコが、少し湿った銀色の髪をタオルで押さえながら、ブラシを手に立っていた。


「ワタル……背中側の毛が、自分じゃうまくとかせないのだ。お願いしても、いい?」


かつては人間に怯え、背後を取られることを極度に恐れていた銀狼の少女が、今は無防備に背中を預けてくる。その深い信頼に、胸の奥が熱くなった。


俺は丁寧に、彼女の銀色の毛をといていった。ブラシが毛並みに沿って通るたび、リコの肩から少しずつ力が抜けていく。その背中は、もう逃げるために強張ってはいなかった。


「母さんより、下手なのだ……。でも自分でやるよりはまし。ありがとう」


「感謝されている気がしないな」


リコは笑った。


ブラッシングを終えた後、俺は頭の中のカルテを広げた。リコをこの森の根元で保護したあの日から、書き続けてきた記録だ。


リコはもう患者ではない。俺の隣で共にこの場所を守る、かけがえのないパートナーだ。


【患者個別カルテ:リコ】

保護対象としての経過観察を終了。患者個別カルテを閉鎖し、以降は共同運営者として記録する。


【施設管理カルテ】

区画拡張:屋外療養区画の拡張および除染を実施。密閉受け槽の浄化排水を用いた環境改善手順の有効性を確認。

新設設備:診療所新棟が竣工。浴室は手動給水・焚き火加温式として運用開始。

人的管理:治癒士エーリスの常駐日程を調整中。搬送協力者としてキャスパーを登録。

患者経過:ハニーベアは運動療法を継続。地域住民テオとの柵越し面会により、社会的関係の修復を確認。コロ、リーフも保護区内で安定。

特記事項:保護区が「治す場所」から、スタッフと魔物が共に安らげる生活圏へ移行しつつあることを確認。

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